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放射線に関するmoeyonkomadaisukiのブックマーク (8)

  • ぷろどおむ えあらいん 例の「あれ」について

    ツイッターの方でも週末に少し書いていたのですが、残念ながら流れていた画像が物だったと言うことで,もうちょっと長く書くことにして,久々にエントリとして起こしてみました。もちろん話題は、今沸騰中の例の「あれ」です。「あれ」絡みでいろいろ聞こえてきた話についてちょっと思ったことを、思いつくがままに列挙してみます。 1)「鼻血が出たという事実を無視するのか」という批判について おそらく、まっとうに批判したり呆れたりしている人の中で、「鼻血が出た」という事実を不認定している人は皆無だと思います。ただ、事故前よりも「有意に高い頻度」で鼻血を出すようになった人が、福島県に「有意な割合で存在する」のかどうかという点が全く明らかになっていないというか、それ以前にそんなデータはどこにもないわけです。 鼻血がでるという症状が高レベルの放射線を被曝した際に生じるのは事実です。ですが、鼻血なんて言うものの原因はそ

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    moeyonkomadaisuki 2014/05/14
    デマ美味しんぼのあれの話
  • 放射線防護の革命を今こそ--より安全で安価な原子力利用のために

    ウェード・アリソン オックスフォード大学名誉教授(物理学) (GEPR版) 福島事故、混乱は避けられた 日の福島第一原子力発電所からの放射能漏れ事故についての報道は、安全について明らかに恐ろしいメッセージを伝えた。そして世界中の産業界、政府そして市民は決してこのような事故を起こしてはならないという反応を示した。 しかしこれには慎重な検証が必要だ。どこで、そしていつであっても福島のような事故は避けなければならないが、同様の事故が起こったとしても、世界的な災害になることは必ずしも意味しないのだ。 人間が活動するさまざまな分野に置いて、通常は生命の損失を伴う特別な事故が起きるが、原子力技術の場合にはまれである。「放射線防護」あるいは「対放射能安全策」といわれる原子炉と放射線の人体への影響との間には、混乱があり続けてきた。 過去60年のすべての原子力発電をめぐる主要事故–ウィンズケール(1957

    放射線防護の革命を今こそ--より安全で安価な原子力利用のために
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    moeyonkomadaisuki 2013/01/08
    d( ´▽`)
  • みんな被ばくしていた - 杜の里から

    〔注:誤読されやすい内容ですので、ぜひコメント欄もお読み下さい(2012年1月22日追記)〕 5月27日、文部科学省は父兄達からの不安に答えるべく、上限20ミリシーベルトとしていた学校での児童・生徒が受ける年間放射線量を、1ミリシーベルト以下に抑えることを目指すという方針を打ち出しました。 あれほど頑なであった政府ですが、不安を抱える地元の父兄のデモなどにより、とうとう折れたという形での発表でした。 しかしこれまでの経緯を見ていますと、私には学校側も父兄側も皆、数字ばかりに捕われすぎているように感じてしまいます。 ひとえにこれは、放射線というものが目に見えず、危険か安全かが数字の大小でしか判断出来ない所からくる不安なのですが、「今すぐ健康に影響が出る値ではない」などという、何とも曖昧な政府の発言に寄るところも大きいと思えます。 つまり父兄には、安全の「目安」が見えないのですね。 しかしこの

    みんな被ばくしていた - 杜の里から
  • 私の転換点 「放射能」は量の問題だと気づくまで - Togetter

    あふらん/afran @pinwheel007 私の転換点① ブログにまとめて書くつもりですけど、その前に、ここでちょっとつぶやきます。私の転換点は去年の5月ごろ「つまり、放射能は量の問題なんだ」と気づいたときだと思います。「あるかないかではなく、量の問題なんだ」と気づいたときから冷静に考えられるようになりました。 2012-03-05 15:17:41 あふらん/afran @pinwheel007 私の転換点② それまで夫がいろいろ説明してくれても、夫が言っていることはわかるんだけど、頭の上に重たい雲がどーんとのっかってる感じがとれませんでした。この重たい気分がいやなのよと思って、どこかに引っ越したいと思いました。会津に行って帰ってくるときは気分が沈みましたね。 2012-03-05 15:23:56

    私の転換点 「放射能」は量の問題だと気づくまで - Togetter
  • 放射線被ばく基準の意味 – Global Energy Policy Research

    震災から10ヶ月も経った今も、“放射線パニック“は収まるどころか、深刻さを増しているようである。涙ながらに危険を訴える学者、安全ばかり強調する医師など、専門家の立場も様々である。原発には利権がからむという“常識”もあってか、専門家の意見に対しても、多くの国民が懐疑的になっており、私なども、東電とも政府とも関係がないのに、すっかり、“御用学者”のレッテルを貼られる始末である。しかし、なぜ被ばくの影響について、専門家の意見がこれほど分かれるのであろうか? 混乱の原因の多くは「リスク評価」と「リスク管理」の混同にある。「リスク評価」は科学的事実に基づき、「リスク管理」は「放射線防護の考え方」を規定するポリシーを導く。たとえば、「100ミリシーベルト(mSv)以下では、被ばくと発がんとの因果関係の証拠が得られない」という言明は、サイエンスである。このような科学的事実(仮説)のうち、国際的な合意を得

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    moeyonkomadaisuki 2012/05/12
    枝葉はともかく。概要はわかりやすい。専門家の意見がなぜわかれるのかについて分析。サイエンスと安全哲学を混同した結果であるとのこと。
  • 食品から受ける放射線量(預託実効線量)

    自然界に広く存在する放射性物質は品にも含まれます。 放射性物質は、品の摂取により人体の組織に取り込まれます。日常生活においても、わずかですが体内から放射線を受けます(内部被ばく)。 このページでは、体内の放射線から人体がどの程度影響を受けているか、を知るための放射線量(預託実効線量)を調べることができます。

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    moeyonkomadaisuki 2012/05/04
    これいい。理解するのにいい説明。
  • SYNODOS JOURNAL : 放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」 八代嘉美

    2011/3/1723:28 放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」 八代嘉美 3月17日の午前中、twitterのタイムライン上で、今回の福島第一原子力発電所の事故に対して、『「放射線は危なくない」キャンペーン』がネットワークメディア上ではじまっているのではないか、という発言を目にした。発言者が「キャンペーン」と評した言説がどの程度の規模なのかは分からないが、「危なくない」と発言している人たちの論拠のひとつに、被曝対策として、「花粉対策」のアナロジーを用いるものがあるのではないかと考えた。 だが、実際に我々の健康に与える脅威は「花粉程度」のものではない。思えば、「この線量は東京ニューヨーク間の飛行機内で浴びる放射線の被曝量と同じ」たとか「X線撮影での線量と同じ」というような報道は見かけるようになったが、実際に生体内で何が起こっているのかをまとめているものは、新聞などでは見かけなかった。

  • 京都送り火に見る日本人の「放射線ゼロリスク志向」

    「福島県内で製造された生理用品から高放射能」という情報が17日から18日にかけてtwitterで拡散しました。「サーベイメータで測定したら高かった」と情報を出した人がおり、「私も測定してみた」「そういえば、かぶれた」などと大騒ぎ。しかし、発信源らしき人が公開していたサーベイメータによる測定写真を見た専門家が「使い方間違っているよ」と指摘し、騒ぎは一気に収束しました。もともと、高いとされた数値もごく低く、誤差の範囲のものでした。 どうも、放射線パニックとも言える状況です。京都の「五山送り火」での岩手県陸前高田市の薪を燃やすかどうかをめぐる騒ぎも、実態は小さなリスクなのに非科学的な京都市の判断によって、逆に市民の不安が煽られてしまいました。 やっぱり、放射線のリスクが理解されていません。そして、「危ない」と声高に叫ぶ人たちの声ばかりが目立って、科学的に妥当な情報が市民に届いていません。改めて説

    京都送り火に見る日本人の「放射線ゼロリスク志向」
    moeyonkomadaisuki
    moeyonkomadaisuki 2011/08/24
    これは良記事。筆者に同意。いい加減に日本人というか情弱のゼロリスク信仰を直さないといけない。
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