私、大人になっても魔女っ子おもちゃを集めています! 魔女っ子おもちゃを好きになったのは、子供のころの誕生日やクリスマスに、プレゼントとしてもらったことがきっかけでした。きらきらと輝くおもちゃを手にしたときは、とにかくうれしくて。本当に魔法を使って、敵を倒せるような気分になりました。そしてそのまま、魔女っ子おもちゃから卒業できず今日まで至ります。 魔女っ子おもちゃの魅力は、なんといってもメッキ塗装やストーンのキラキラ感、そして夢と憧れが詰まったデザインです。そして収集したおもちゃを一箇所に集めると、キラキラ感が増して一層かわいい! コレクションしていて、とてもわくわくできるのです。 本格的に収集し始めるようになったのは、「おジャ魔女どれみ」シリーズからです。シリーズ2作目の「おジャ魔女どれみ♯」から3作目の「も~っと! おジャ魔女どれみ」に移り変わる2001年ごろ、「おジャ魔女どれみ♯」のお
女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書) 作者: 大?ひかり出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2017/09/14メディア: 新書この商品を含むブログを見る Kindle版もあります。 女系図でみる驚きの日本史(新潮新書) 作者: 大塚ひかり出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2017/09/22メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 内容(「BOOK」データベースより) 胤(たね)よりも腹(はら)が大事―母親が誰かに注目した「女系図」でたどると、日本史の見え方が一変する。滅亡したはずの平家は、実は今上天皇にまで平清盛の血筋を繋げる一方、源頼朝の直系子孫はほどなくして途絶えているのだ。「史上初にして唯一の女性皇太子はなぜ誕生したのか」「徳川将軍家にはなぜ女系図が作れないのか」等々、著者作成の豊富な系図をもとに、次々と歴史の謎を解き明かしていく。 世の中には、いろんなものに興味
近代日本の活字メディアと読書文化は、明治30年代を転回点として、近世的読書の世界から近代活字メディアを基盤とする読書世界へと決定的に移行していく。本書は、このような移行期としての明… 近代日本の活字メディアと読書文化は、明治30年代を転回点として、近世的読書の世界から近代活字メディアを基盤とする読書世界へと決定的に移行していく。本書は、このような移行期としての明治30年代の読書文化の変容過程を、活字メディアの流通、ツーリズム、読書装置の普及という三つの視点から分析し、さらに、この変容過程の帰結として"読書国民"の誕生を提示しようとする試みである。 〈読書国民〉の誕生戦前の雑誌やロ絵などには、読書する人々の姿が頻繁に登場し、「緑陰読書号」などと銘打たれていたものだが、そのもとは明治三十年代、急激な近代化を背景に、日本人の多くが強い向上欲をいだき、その知的源泉を読書に求め、内田魯庵(ろあん)の
これは自買本です。昨年末に出たのを見て気にかかっていたのですが、この週末に一気に読みました。 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480016591/ 敗戦直後の貧困は「食べるものすらない」という「かたち」で現れた。こうした中で、戦争により生み出された浮浪者や浮浪児の一部は炭鉱へと送られた。そこで生まれ育った若者の多くは集団就職で都会へと出ていき、その一部は「寄せ場」の労働者となった。高度経済成長により実現した大衆消費社会は多重債務問題をもたらし、バブル崩壊はホームレスを生んだ―。戦後日本の貧困の「かたち」がいかに変容したかを描き出し、今日における貧困問題の核心を衝く。 やはり戦後期の貧困調査の生々しい記録に基づく前半部の記述が興味深いです。氏原正治郎さんらの東大社研の調査は労使関係が多いのですが、とりわけ初めのころのには貧困調査的なのも多く
ヨーロッパ歴史演習、ヨーロッパの歴史、特殊講義担当 林田伸一 歴史を勉強する面白さは、いろいろな点に見出すことができますが、そのひとつとして、時代によってあるテーマが別の角度から見られるようになったり、それまで顧みられなかったテーマに光があてられたりすることがあります。 ひとつ例を挙げてみましょう。意外に思われるかも知れませんが、ヨーロッパの宮廷は、歴史家たちによって長いこと軽視されてきました。宮廷に与えられていた特権と浪費の舞台というネガティヴなイメージが、大きな理由だったと考えられます。しかし、歴史研究が集合心性や表象の問題に取り組んだり、文化人類学的な方法を導入したりといった動向の中で、近年になって宮廷やそこで行われる儀礼・祝祭に対する関心が高まってきました。 宮廷も中世、ルネサンス期、絶対王政期と異なった性格を示しますが、ここではルネサンス期の宮廷について少し触れることにしましょう
山猫だぶ㌠ @fluor_doublet 「丹生」という地名は、基本的には水銀から朱を作った場所、水銀鉱床、朱を作っている技能者の棲む集落に付けられる。奈良、三重、和歌山に多く、一部は香川や京都にもあるのだけれども。でも、日本で一ヶ所だけ、それがうまく当てはまらないところがある。群馬県富岡市の、貫前神社の奥だ。 2015-12-19 13:54:08 山猫だぶ㌠ @fluor_doublet 群馬の丹生の歴史は古くて、10世紀前後には丹生神社という社名が記載されているのだけれども。でも、その辺りは新しい堆積岩で水銀鉱床はないし、甘楽の奥を考えても、ヒ素や銅鉛亜鉛鉱床はあっても、水銀鉱はない。なんでここに丹生の名が付いているのだろう? 2015-12-19 13:57:31
インターネットの普及により、最近では様々なホームページで日本史の史料が 検索できるようになりました。ここでは、その一部をご紹介します。 ○東京大学史料編纂所ホームページ http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html 東京大学史料編纂所では、現在様々な史料のデータベース化が進行しています。 以下にその代表的なものをご紹介します。 「大日本史料総合データベース」 『大日本史料』とは、明治以来の国史編纂事業から起り、現在も編纂刊行が続けられている日本歴史の一大編年史料集です。このデータベースでは、『大日本史料』『史料綜覧(そうらん)』「史料稿本」の綱文(事件の大要を簡潔に記したもの)・書名・索引語・本文(原則として2007年以降の新規刊行物を中心にデータベース化進行中)を検索することができます。 「古記録フルテキストデータベース」 現在も刊行中の『大日本古記録
周りのみんながやっているから、乗り遅れないように私もやる――誰しも一度はこうした経験をしたことがあるのではないか。仲間外れは怖いものだ。多少ヘンな流行であっても、ついつい乗ってしまうのが人間の性である。 だが、そうして広まったブームも、時間が経つにつれて一つの風習・行事として根付く場合がある。「伝統」だなんて言葉がついていれば、説得力倍増だ。「古くから伝わるものなんだ、絶やしちゃいけない」という義務感すら覚えさせられる。 著者はここで疑問を抱く。その伝統、本当に古くからあるのか? だいたい「古くから」「昔から」とは一体いつごろのことなのか? いつからなら「伝統」と呼べるのか? 本書はそうしたモヤモヤを感じる日本の伝統の数々を検証する一冊である。著者は1979年に「星新一ショートショート・コンテスト」入賞を機に数多くのラジオ番組制作に関わってきた名放送作家。脚本家・作家としても活躍し、日本史
遡ってったら、元は村本大輔氏の「朝生」発言が発端らしいんですけど、テーマ自体はもちょっと面白いものを含有してる気もします。/アジアはアジアで元からこういう概念があったのに、あとから西洋主体で構築した国際法とすり合わせを余儀なくされ「ん?つまり保護国のこと?」「主権とか外交権あるの?ないの?」とか聞かれても「冊封は冊封だしなあ…」と答えるないよね。 そこで齟齬が生まれる、ってのも大変だけど、日本が問われた「結局、ミカドとタイクンの関係は何なんだ」みたいな話も同じですかね…? ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) @blue_kbx @Sankei_news @obinnobi @satoshin257 @kankimura @usagitan @japanchinaGEO @iwatachan @ryukyushimpo @bionzx @nikkiestale__
1950年代、京都の土御門家(つちみかどけ)の古典籍の中から、約0.1gの隕石小片が発見された。紙包みが同梱されており、1817年12月29日に落下した八王子隕石についての記述と、1866年6月7日に落下した曽根隕石についての記述があった。 【こちらも】阪大ら、太陽系誕生時の有機物を含む隕石の非破壊分析に成功 長らく、この隕石小片は八王子隕石の断片の一つであると信じられてきたのだが、果たしてそれは正しかったのか。それについて今回分析を行ったのが、国立極地研究所、九州大学、国文学研究資料館、総合研究大学院大学からなる研究グループである。 1817年、つまり文化十四年の隕石は相当な多数が八王子一帯に降り注いだらしい。それに関する様々な記録が残されており、また発見された隕石の一部は江戸幕府勘定奉行所に届けられて天文方の調査するところともなったのだが、既に散逸しており、確かに間違いなく八王子隕石の
佐賀県立図書館は25日、所蔵する古文書から南北朝時代のものと推定される刀剣書「龍造寺本銘尽」が見つかったと発表した。鎌倉時代の刀工を中心に延べ約280人の名前が確認でき、調査した九州産業大の吉原弘道准教授(日本中世史)は「国内に現存する中では最古のものとみられ、貴重な史料だ」と話す。 吉原氏によると、刀剣書は刀工の名前や代表作、系図などが記載されている専門書。1351年に書かれた2枚の古文書(それぞれ縦約33センチ、横約48~49センチの継ぎ紙)の裏に墨で記録されていた。肥前の豪族、龍造寺氏が足利氏から借りた秘本の刀剣書を書き写したものと推定される。 これまでは1423年に書き写された国の重要文化財「観智院本銘尽」(国立国会図書館所蔵)が最古の刀剣書とされていた。 県立図書館は、今回見つかった刀剣書の原本を26日から来年2月4日まで県立博物館で展示する。
フォントデザインの潮流〜前編(1985-2000) 文字ブームが来たらフォントメーカーの追い風になるのに。そんな淡い期待を抱いていたのは10年前のこと。いまや文字ブームまっ盛りである。一方、フォントメーカーが追い風にのっている気配はない。先日、若い書体デザイナーとお昼を食べていたとき、 20年前にもフォントブームがあってねという話をしたら、2人とも聞いたことがないというので、この30年のフォントデザインのあらましを書いてみようと考えた次第である。年末にむけて、日本語フォントの来し方と行く末に思いを巡らせるのもいいだろう。 ネヴィル・ブロディのグラフィック 1980年代半ば、世界の注目を集めたデザイナーがいる。イギリスのネヴィル・ブロディだ。ファッション雑誌『THE FACE』のアートディレクターをつとめたブロディは、一躍時代の寵児となり、大胆な文字づかいで若いデザイナーの心をつかんだ。19
Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu あまり言われていないけど、中学や高校の教員をしながら時間をやりくりしてコツコツと研究をすることが教員の多忙化で著しく困難になったことの文化的損失って、積み重ねるとものすごく大きいと思う。 2017-12-22 19:27:00
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