政治や社会を反権力の立場から鋭く批評したコラムニストの小田嶋隆(おだじま・たかし)さんが24日、病気のため死去した。65歳。葬儀は近親者のみで営む。 東京都生まれ。早稲田大卒。食品メーカーを退社後、ラジオ局アシスタントディレクター、作詞家などを経験する。雑誌「噂の真相」(2004年休刊)でコラムを…
まだまだ元気だった頃のその人影や声の抑揚などをせめて記憶にとどめておきたいという思いから、死化粧を施されて口もきくこともない青山真治――それは、途方もなく美しい表情だったとあとで聞かされたのだが――の遺体に接することなどこの哀れな老人にはとても耐えられそうもなかったので、その旨を伴侶のとよた真帆に電話で告げることしかできなかった。そのとき、受話器の向こうで気丈に振る舞う真帆の凜々しさには、ひたすら涙があふれた。こうして青山真治の葬儀への参列をみずからに禁じるしかなかった老齢のわたくしは、その時刻、式が行われているだろう空間へと思いをはせながら、さる日刊紙のため、映画作家としての彼の特異な魅力と思いもかけぬ素晴らしさをあれこれ書き続けていたのだが、つもる思いとそれを伝えようとする言葉とが、新聞特有の行数と字数の制限に阻まれてひたすら空転するしかなく、思うように筆が進むはずもない。だから、その
すべてではない ユリイカ、この映画にはすべてがあると、まだ言うわけにはいかない。この映画はけっして完璧ではない。なぜならこの種の映画が完璧であるために不可欠な、いくつかの美質が欠けているように思われるからだ。例えばここには「退屈さ」がない、ここには愚鈍さがない、ここにはノベライズという蛇足がある…。しかし、それでも、ここにはすべてがあると言わなければならない。もしあなたが、ここにおいていまだ露わにならざるもの達の影を、声を、リズムを感じられるならば。 そう、すべては潜在する。この作品の特殊な技法、クロマティックB&Wという(マクルーハン的に)クールな着色こそは、「もの」の潜在態を立ち上げるべく開発されたものでなければ何だろうか。この映像のもと、あらゆることはデジャヴュとジャメヴュの相互浸透するかのような薄明に宙吊りにされる。そして広大な駐車場に停泊するバス一台。バスジャック事件そのものの直
呉智英さんと絶縁してから五年くらいになる。絶縁といっても、単に新刊が出ても送らないというだけで、新刊を送ると旧仮名遣いで書かれたハガキが来るという程度のつきあいでしかなかった。 若いころは尊敬していたが、だんだん薄れていった。『読書家の新技術』で紹介されている本はほとんど読み、当初は無理していい本だと思いたがったりしていたが、次第にその数は少なくなり、今では『共同幻想論』はもとより「柳田国男集」にいたるまでゼロになった。呉さんは左翼運動へのアンチテーゼで封建主義とか言っていたので、江戸ブームとかが来ると何かちぐはぐになってしまったのである。 電話で、結婚しない理由を聞いたこともあり、学生運動の世界では、結婚するのは恥ずかしいことだという意識があったという。若いころは美男でもてたらしい。 産経新聞で佐々木譲の「警官の血」で言葉の間違いをあげつらって佐々木の反駁にあったのは2008年1月のこと
たった今、相倉久人氏の密葬から帰って参りました。 現在ワタシは、「レクイエムの名人」というタイトルで、今まで書いたり喋ったりした追悼文集を一冊の本にまとめる。というけしからん事をしています。他人様が亡くなった。それに手向けの言葉と音楽を添える。それは良いとして、それをまとめて金をとって売る。天罰が下るでしょう。いやもう、とっくに下っているのではないだろうか。 実のところ、ちょうど先日が完全脱稿、あとはまえ&あとがきとゲラ校正。という状況でした。 今まで書いた本の中でも、執筆が最も辛く、スリリングな本でした。ためいきをひとつ。小雨がちょいと。 「七夕か、祈る事も何も無いが、好物の、求肥の入った鮎でも喰うか」と思い、近所の和菓子屋に入るとメールが着信し「プーさんが死んだ」と、これが第一報でした。 <プーさんこと菊地雅章氏の名盤「ススト」から、DCPRG(当時)は「サークル/ライン」を完コピした
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