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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (6)

  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
    namawakari
    namawakari 2023/03/24
    文学以外だと出鱈目連発なのに、文学については信頼できるいい文章を作る不思議な小谷野氏。
  • 呉智英さんと私 - jun-jun1965の日記

    呉智英さんと絶縁してから五年くらいになる。絶縁といっても、単に新刊が出ても送らないというだけで、新刊を送ると旧仮名遣いで書かれたハガキが来るという程度のつきあいでしかなかった。 若いころは尊敬していたが、だんだん薄れていった。『読書家の新技術』で紹介されているはほとんど読み、当初は無理していいだと思いたがったりしていたが、次第にその数は少なくなり、今では『共同幻想論』はもとより「柳田国男集」にいたるまでゼロになった。呉さんは左翼運動へのアンチテーゼで封建主義とか言っていたので、江戸ブームとかが来ると何かちぐはぐになってしまったのである。 電話で、結婚しない理由を聞いたこともあり、学生運動の世界では、結婚するのは恥ずかしいことだという意識があったという。若いころは美男でもてたらしい。 産経新聞で佐々木譲の「警官の血」で言葉の間違いをあげつらって佐々木の反駁にあったのは2008年1月のこと

    呉智英さんと私 - jun-jun1965の日記
    namawakari
    namawakari 2020/11/22
    “呉さんは左翼運動へのアンチテーゼで封建主義とか言っていたので、江戸ブームとかが来ると何かちぐはぐになってしまったのである”
  • ■ - jun-jun1965の日記

    昨日判決文が届いた。削除請求すら認められない全面敗訴である。 しかし驚くべきしっちゃかめっちゃかな判決文である。いったい、ミクシィのハンドルネームを変えた理由を説明しなければならないのだろうか。いわんや、筆名として「とん」にした理由などこの裁判と何の関係があるのか。あるいは、『禁煙ファシズムと戦う』にちゃんと出てくるジャムロジクという名前を、同書を熟読したはずの相手にわざわざ説明しなければならないのだろうか。第一、私の側の第一準備書面に対してあちらは何も答えていない。言うまでもなく、不当判決である。 しかしこれを、裁判所も禁煙ファシズムなのだ、とするのは早計かもしれない。『週刊現代』の、相撲界における八百長を報じた記事を相撲協会が訴えた事件の裁判長であった中村也寸志という人が裁判長だからである。あれだけ証拠を出したのに「取材はきわめてずさん」という判決を出した人である。あの判決が出たからと

    ■ - jun-jun1965の日記
    namawakari
    namawakari 2009/09/19
    判決自体にはほとんど触れず、裁判官の履歴を持ちだすなんて、駄目な反論の見本じゃないか。昔はそれなりに面白かったのに、完全にアッチの世界に行っちゃったみたい。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    言論を裏から手を回して弾圧する、といえば佐藤優だが、丸山眞男もそういうことをしたことが、羽入『学問とは何か』で分かる。 かつて梶山力が訳した「プロ倫」を、梶山が32歳で死んだあと、大塚久雄が手を入れて共訳で岩波文庫から出し、のちに大塚が梶山の名を削って単独で出した。安藤英治という成蹊大の教授がこれに怒り、梶山訳を再刊しようとしていた時、丸山からそれをやめるよう圧力がかかったという。安藤は丸山の弟弟子で、成蹊大への就職も丸山の世話になったそうで、成蹊大の政治学の女性教授から、丸山に会いに行こうと言われ、安藤が激しく動揺して羽入宅に電話してきたと書かれている。結局、羽入が懸命に励まして復刊されたというのが1994年のことで、羽入も書いているが、当時安藤は70過ぎである。いかに兄弟子とはいえ、70過ぎの教授に、何が怖いのであろうか。 『学問とは何か』は、主部分たる折原とその他大勢への反論の部分は

    ■ - jun-jun1965の日記
    namawakari
    namawakari 2008/12/05
    まだ羽入本引っ張っていたのか。こういった伝聞情報を嬉々として書き付けるのも学問的な態度ではないと思うが。
  • 羽入辰郎と市野川容孝 - jun-jun1965の日記

    羽入辰郎の『学問とは何か』(ミネルヴァ書房)という大著は、先の『マックス・ヴェーバーの犯罪』に対する折原浩一派の執拗でかつヴェーバー教に凝り固まった攻撃への反論の書である。実に分厚い。 その中に、論とはとりあえず無関係なエピソードとして、1984年の春、山中湖で起きた、東大のオリエンテーション合宿の際の五人の死亡事件のことが出ている。羽入は埼玉大学を出てからいったん精神科のソーシャル・ワーカーとして働き、東大に再入学していたから、当時31歳になっていた。そしてこの事件の際、救助の陣頭指揮をとったという。 そこに「市川芳孝」という名で、ボートに乗っていながら助かった当時の二年生が出てくる。仮名としてあるが、今では駒場で医療社会学を教えているとあるから、市野川容孝以外ではありえない。市野川は64年生まれである。この事件当時、私は英文科の三年生になったところだった。 酒に酔って深夜、ボートで、

    羽入辰郎と市野川容孝 - jun-jun1965の日記
    namawakari
    namawakari 2008/12/02
    「本論とはとりあえず無関係なエピソードとして 」こういうことを書くほうも相当なもんだと思うが。/人格と実績は別でしょ、『社会』を読んだ限りではそう思う。
  • 「皇太子」は呼び捨てか - jun-jun1965の日記

    石原慎太郎が皇太子を呼び捨てにしたというから、「徳仁」とか「ナルちゃん」とか言ったのかと思ったら、「皇太子が」って言っただけだという。それは「呼び捨て」ではないよ。 だいたい「陛下」だの「殿下」だのというのは明治より前には使われなかった言葉である。天皇のことは「ミカド」と言っていたし、皇太子なら春宮(東宮)だが、『日国語大辞典』で「東宮」を引いたって、誰も「東宮さま」だの「東宮殿下」なんて言っていない。「東宮」だけである。「今上」だって、それだけで尊称なのだ。 まあ皇太子というのは官製用語で、たとえば今の皇太子が天皇になったら秋篠宮は「皇太弟」になるわけだが、どうするのかね。いっそのこと、伝統に則って「東宮」呼称を復活させたらいかがでしょうか。それなら「東宮」でいいわけだし。一切合財プロイセンあたりの流儀に則って天皇制を近代化してしまった連中が、伝統がどうのこうの言うのは実にかたわら痛い

    「皇太子」は呼び捨てか - jun-jun1965の日記
    namawakari
    namawakari 2008/09/29
    「一切合財プロイセンあたりの流儀に則って天皇制を近代化してしまった連中が、伝統がどうのこうの言うのは実にかたわら痛い」
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