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社会と言語に関するomega314のブックマーク (5)

  • 琉球「方言禁止記者会見」に見る「普通の日本人」の植民地主義 - yktのブログ

    はじめに 「方言禁止記者会見」のCMを見たのは定屋のテレビで、知り合いと「イヤイヤこの企画はマズいだろうよ」という話をしていた。翌日になって果たしてどんな番組なのかを判断するためにTVerで視聴すると、案の定マズい内容であった(なにがマズいかは後述)。しかしTwitterなどで調べても誰も言及していないどころか、「沖縄弁が出ちゃう二階堂ふみ可愛い」といった意見がちらほら見えたため、引用RTという形で「植民地主義的でエグい」と投稿すると、思ったより拡散されて番組が炎上したというのが今回の経緯である。 私はこの番組自体をキャンセルしたいわけではないし、ポリコレ的配慮がなっていないと言いたいわけでもない(植民地主義とは「ポリコレ」以前の問題なので)。また番組の批判者を見ていても少し疑問に思うところもある。そういった疑問や懸念について、稿では現在の「普通の日人」による沖縄差別あるいは植民地主

    琉球「方言禁止記者会見」に見る「普通の日本人」の植民地主義 - yktのブログ
    omega314
    omega314 2024/01/21
    植民地主義者の顔をしろ。悪人は必ずしも嫌いではないが、「自覚」や「尊厳」の概念を持たない奴は軽蔑する。
  • プログラマの抱いている名前についての誤謬

    パトリック・ミッケンジー(Patrick McKenzie)さんのブログ・エントリ、 “Falsehoods Programmers Believe About Names” の日語訳です。翻訳の公開を快諾してくださったミッケンジーさんに感謝します。 公開: 2012-02-22 Posted on June 17, 2010 by Patrick きょう、ジョン・グレアム゠カミング(John Graham-Cumming)が、正しくない文字が含まれているといって彼のラスト・ネームを受け付けないコンピュータ・システムへの不満の記事を書いていた。もちろん彼の名前に「正しくない」ところなどない。当人の申し出たものが当人を識別するものとしては相応しいのであって、定義からして名前とはそういうものである。このことにジョンは当然ながらいらだったし、そうなるのもきわめて正当なことだ。定義からすれば事実

  • 仲良くしたければ、言葉を減らせ!:社会構成主義から妄想する「チームづくり」のコツとは何か? | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net

    「我思うゆえに、我あり」ではない 「我、他者とコミュニケーションする」、故に、我あり Word creates world! (やりとりされた言葉こそが、現実をつくる) ・ ・ ・ これらは、いわゆる「社会構成主義」とよばれる思想の基テーゼです。 ここで「社会構成主義」とは 1.意味や現実とは、個人の頭の中で、つくられるのではなく 2.ひとびとが物事をやりとりしているなかで、 3.ソーシャルにつくられていくのだYO! という考え方のことをいいます。ここ数十年、もっとも注目される理論のひとつですね。 もちろん、これらの需要期の定義、「その筋の専門家」の耳に入ったとしたら、便所スリッパでカンチョーされて、さらにグリグリされそうな「3行要約」ですが、ここはブログ。どうかお許しください(笑)。 ▼ ところで、社会構成主義のことを考えていて、いつも、「あるあるの事例だな」と妄想してしまうことのひと

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  • キーボードの暴力革命 ・・・IT革命で突然降って湧いたようなバカどもによる「大衆の反逆」 | 外山恒一のWEB版人民の敵

    炎上中、というほどでもないが、とにかく非難轟々である。「日刊SPA!」(『週刊SPA!』のweb版)に掲載されたプチ・インタビューが“火元”である。 Yahoo!ニュースとかにも記事は転載されているようで、いま見てみると“コメント数1518件”となっていて(せんごひゃくぅ!?)、大半、というかほとんどは批判、というか罵倒、ヒボー中傷の類である。 むろん予想できたことではある。なにせタイトルからして「選挙に行くな!そして日中国に朝貢せよ!」である。「選挙に行くな」はともかく「中国に朝貢せよ」なんて主張が現下の状況で反発を呼ばないわけがない。文中にあるとおり、私の主張におおむね賛同してくれている周囲の親しい活動家諸君にも、この主張にだけはなかなか賛同してもらえないほどなのだ。 が、まあどーでもいい。私はこの4、5年、あちこちで“中華主義”を吹いて回っているのだが、今回の記事で文字起こしされ

    キーボードの暴力革命 ・・・IT革命で突然降って湧いたようなバカどもによる「大衆の反逆」 | 外山恒一のWEB版人民の敵
  • 書かせる試験は階層の固定に寄与するだろう | taggaの日記 | スラド

    B. Bernstein が言語コード論で、 労働者階級の子どもが、主観的に文脈依存的に語る制限コードのみを獲得するのに対して、 中産階級の子どもが、制限コードに加えて、客観的に文脈非依存に語る精密コードも獲得する、そういう傾向があることを示そうとした。 これが正しければ、 学校という精密コードが求められる場で、 制限コードのみをもつ労働者階級の子どもは、 大きなハンディキャップを負わされている。 とはいえW. Labovは、 「黒人英語」の研究を通して、 「制限コード」のようなものを使っていても、 思考能力と豊かな表現力があることを示している。 なのだけど、 また「制限コード」で語られるテキストは「精密コード」を知るものが読めば、 非論理的に見えてしまう。 そして、こういうテキスト/談話の構成のしかたの差違に加えて、 社会方言に対するステレオタイプは、厳然としてある。 ということで、書か

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