これは「ソシャゲのデイリーミッションこなした気分にさせる君」だよ
(四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一本に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送
今日は、日本の代表的なソフトウェア開発手法について紹介しよう。 その名も、メテオフォール型開発である*1。 第一節 通常のウォーターフォール型開発におけるプロジェクトはこのような形を取るが、 メテオフォール型開発ではこのような形が取られる。 そしてこうなる。 これはアジャイル型開発手法におけるサイクルであるが、 神の前では無力である。 神の一声は全てを崩壊させ、 民は一生懸命これを再建す。 これが、メテオフォール型開発*2である。 第二節 全てのスケジュールは天界の都合によって決まる。これを黙示録と呼ぶ。 ソフトウェア開発においてフィードバックは重要なファクターだが、 神にフィードバックは届かない。 ただし、祈りを捧げることはできる。この祈りはごくまれに届く。 神は様々な姿を取る。 外から現れることもあれば、 内に棲んでいることもある。 あるいは、まだ会っていない or 会うことすらできな
子供のころからPCが好きで、小学校時代に親父に買ってもらったPC-8001mkIIでずっとゲームしながら中学受験の勉強をしていました。当時のメディアはカセットテープ。その中に、「マリオブラザーズ」とか「信長の野望」が詰まってたんですよね。 好きが長じて、凄く偉大だったアスキーの発行していた月刊『LOG IN』にのめり込み、地元のパソコン好きのおっさんがたのコミュニティに入って、パソコン通信を知り、若葉マークのプログラマーになって現在に至る。小学校、中学校時代に好きだったものはいまでも大切な思い出であります。 大人になって、その偉大なアスキーを率いていた西和彦さんの話を具体的に聞く機会があり、間にいろんな人がいてすったもんだして、ああ、アスキーに、西さんに抱いていた夢は夢に過ぎなかったんだ、という結論に至るのが20代後半。そのとどめは、たぶん若い人は知らない「1ちゃんねるティーヴィー」。2
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