教えてくれ 別に死のうとしてる訳じゃないぞ シンプルな興味さ
すべての物には終わりがあるということは、そこら辺の公園でPokemon GOをしているガキンチョも、 チェーン店の飲み屋でワイワイ騒いでいる大学生も、電車内でため息を連発しながらスマホをいじるサラリーマンも、 マック赤坂も、おっさんもババアも、ジジイもクソニートも、みんな知っている。 今日も一日が終わるし、宿題もやり続ければいつか終わる。 電車にだって終電はある。僕の好きな漫画はこの前打ち切りになってしまった。 死ぬということも同じで、人間はいつか必ず死ぬ。 僕はその事実を、今日が終わることも、来年にはこの大学を卒業することも、 先日上司と喧嘩してバイトをクビになったことと同様に、十分に理解している。 しかし、理解する事と受け入れる事は大きくかけ離れている。 僕は今21歳で、80歳ごろには多分死んでいるわけだが、自分の人生の25%をもう使ってしまったことが怖くて怖くて仕方がない。 一方で、
世間では昔からよくある話。 付き合った彼女か彼氏かが創価学会の人で、強烈に勧誘を受けて拒否反応が起こって別れてしまうって話。 好きだったするもんだから結構苦しく辛い別れだったりする。 十年以上前の話だけど、そういう経験をした。 付き合った人の中で一番いい子だった。 だからものすごく好きになった分だけ別れるのもものすごく辛かった。 聖教新聞を有無を言わさず購読させられたり、集会に連れて行かれて猛烈に勧誘受けたけど、当時の時代背景もあって、めちゃくちゃ拒否反応が起きた。 しかし、一向にいい返事をしない俺と、妄信的になっているとしか見えない彼女。 関係が悪化し、壊れるのは結構早かったと思う。 それから十年以上たち、再会した。 お互い結婚を経て子供もいる。 二人とも別れてから割とすぐに結婚してた。 ただ、彼女は離婚してしまってた。 その旦那さんは俺とは違い、何ら拒否反応を起こさず、あっさり創価学会
物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。 どこにも声をあげる場所がありません。 「キリスト教?あの某宗教やカルトなんかより全然いいじゃない」 「知り合いのクリスチャン、いい人ばかりだよー」 「いやならやめればよくない?」 声をあげようとしても、かえってくるのはそんなのばかりで。 やめました。やめたつもりです。でもべっとりとこびりついてくるのです。 小さい頃、みんながワイワイしていた中、1人「僕はあんなことしちゃいけない」と思いながら、「でも、クリスチャンじゃなかったら、やるかもな・・・・・」なんておもってた。 いじめられてもやり返しちゃいけない。ゆるさないといけない。バカだと言われ続けていればいい。やり返せるようなタマじゃなかったけど、でもそれってやっぱ生まれつきといっていいほど、キリスト教に閉じ込められたからなのかなあ。 大人になったら「堂々としろ」。 子供
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