小さい頃から割となんでも出来ていると思っていたんですが、全く褒められる事がなかったので自信は未だにありません。
気づいたんだけど、良いところを褒められるよりも、ダメなところを受け入れてもらう経験が重要なんだ。 自信のなさや挑戦への不安は、それが上手くできなかったときに起きることへの恐怖心だ。 恋愛や人間関係に踏み込むのが怖いのも、ダメな部分を知られたら嫌われると思うからだ。 だから頑張って成果を出したり、良いところを褒められても、卑屈さは治らない。 失敗を許されたり、ダメな部分を含めて愛されたりする経験があって、初めて自分自身への不安は解消されるんだ。 でも大人になってしまうと改めてそれを得るのは中々むずかしい。
物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。 どこにも声をあげる場所がありません。 「キリスト教?あの某宗教やカルトなんかより全然いいじゃない」 「知り合いのクリスチャン、いい人ばかりだよー」 「いやならやめればよくない?」 声をあげようとしても、かえってくるのはそんなのばかりで。 やめました。やめたつもりです。でもべっとりとこびりついてくるのです。 小さい頃、みんながワイワイしていた中、1人「僕はあんなことしちゃいけない」と思いながら、「でも、クリスチャンじゃなかったら、やるかもな・・・・・」なんておもってた。 いじめられてもやり返しちゃいけない。ゆるさないといけない。バカだと言われ続けていればいい。やり返せるようなタマじゃなかったけど、でもそれってやっぱ生まれつきといっていいほど、キリスト教に閉じ込められたからなのかなあ。 大人になったら「堂々としろ」。 子供
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