実際どうなんすか。 おじさんおばさん達、ちゃんとこの法則通り、 遊んだら面白くなってるすか。遊ばなかったからつまらない人間になったスか。
至って精神的、肉体的に健康だけど小学生の頃から「まぁ別に明日事故で不意に死んじゃっても苦しまずに死ねるなら別にいいかな〜」って思ってた。「生まれてきた意味?うーん分かんない、別に今人生楽しいけど、もし生まれてこれなかったとしたらそもそも生まれて来たかったって考える意識すらないんだから、そう考えると別に生まれて来て良かった〜!!とは別に言えなくない?」とも思ってた。 そんな意識が変わったのは結婚して一年が過ぎた20代後半の時。初めて思った。「生まれて来てよかった!!ママありがとう!私はこの人と幸せになるために生まれてきたんだ!」 次に意識が変わったのはつい最近、妊娠した時。「絶対、まだ死ねない!この子をまず健康に産むまでは、まだ死ねない!!」 全部私の場合家族絡みなんだよね〜。 で、思ったんだけど例えば30.40で独身の人って生きがいなんなの?仕事とか趣味? no offense です。単純
自分の意見がない、とよく言われる。 何も考えていない、わけではない。でも、考えたことはだいたいその場にそぐわない気がして、話せない。 「その日の昼に何を食べたいか」「旅先で半日空いた時間をどう過ごすか」などはできる。そういう話ではなく、「将来どんな仕事に就きたいか」「研究室でこの先どのような研究を行いたいか」など、自分の将来に関わることにはっきりと答えを出せない。 思い起こせば元々そういう生き方をしてきたのではないか、と思う。昔から、自分で何かを考えたことがない。 決断こそ自分でしている(させられている)ものの、基本的に親の敷いたレールの上を走っていた気がする。 例えば、「あの習い事格好いいよね」と親に言われ、その気になって習い事を行っていたり。 「お前は理系の方が合ってるんじゃないか」と言われ、調べてみて自分でも向いていると思ったり。 自分で、やりたいと思ったことはなんだろう。自分の意志
2013-10-14 最重度の知的障害をもつ、姉のことを書いてみようと思う。 日常 学生時代 お金 家庭 世の中 先日、マクドナルドで知的障害児かな?って感じの10歳ぐらいの子が暴れていた。 「あー!」とか「うー!」とか大きな声で、何かを訴えているようだった。 それを、その子のお母さんっぽい人が「美味しいんだ!よかったね!」とニコニコしながら語りかけていた。 おいらは、「あー、すごいなあ。10年もの間、大変だったろうに。それなのにこんな仏の心で接してきたんだなー」と思った。 でも、帰り際に見たらそのお母さんだと思ってた人は、ヘルパーさんだった。 なんかネームプレートを首からぶらさげていた。 「まあそうだよなあ」と思ってしまった。 というのも、おいらの姉は最重度の知的障害。 知能は3歳児ぐらいのレベルしかないらしい。 子供の頃はよくおいらも養護学校とかに行って、知的障害の子の母親たちを見てき
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