人を褒めるってほぼノーコストで相手のやる気を回復させる魔法みたいなものなのに、 人のことを褒めない人いるよなーと思う。 褒められた側はやる気になるし、褒めた側としてもほぼメリットしかないと思うのだけれど、 やはりみんな悪い部分しか見ていないよね。悲しいなぁ。
宗教は大嫌いだけど、このたび信仰を持ってみる事にした。 理由は、まあ年を取ったという事なんだと思う。 別に今の生活に不満があるわけじゃない。 一人でアニメ見てゲームして趣味に没頭して美味しい物食べて、安定している人生だと思う。さほどストレスも受けていない。 でも何というか、虚しいというか。 今ストレスが無いのは人付き合いを放棄したというか、他人と距離を置いているからなんだけど、 本当は皆と仲良くしたいのに、集団の中にいるとどうしても自分を攻撃してくる人と遭遇してしまい、自分を応援してくれる人も特に居ないので孤立してる感が半端なく、攻撃に耐えられず離脱してしまったんだよね。 自分を悪く罵る人と仲良くしつつ、自分とも仲良くする人を信用できなかったというのもある。こいつにこやかに話しかけて来るけど裏で悪口言ってんだろう?的な。 あと、表面的な付き合いだけでちっとも仲良くなれなかった。一言でいうと
単純に気になるから教えてくれ。 ざっと思いつくのは、以下のパターンあたりかな。 賛同派:記事に対して賛同するのでホットエントリ目指して1票。吊るし上げ派:記事に対して否定するので拡散・炎上目的でホットエントリ目指して1票。ノリ派:よく分かってないが盛り上がってるのでとりあえず1票。ホットエントリした記事に多い。特定ブロガー信者派:記事が書かれたら何も考えずにブクマ。ちきりんとか。乱れ撃ち派:見たページを片っ端からブクマ。1日数百ブクマする猛者もいる。ブクマだけで満足派:計画だけ立てて勉強しない中学生タイプ。自己啓発系の記事に多い。後で読む派:時間がないのでとりあえずブクマ。大体は後で読まれない。セルクマ派:記事を書いたのでとりあえず自分でブクマ。
先日晴れて1歳を迎えた。 かわいそうな事をしたと思う。 妻にもこの日以外に産んでくれと頼んでたがダメだった。 毎年この日は喪に服さないといけない空気なんとかしてほしい。 子供の誕生日を聞かれて答えると「あっ、、あ。そうなんだ。」みたいな気まずい空気が流れる。 子供はこれから自分の誕生日に毎回震災の話をされる。 それは先生からからもしれないしテレビからかもしれない。 ネットでは震災特集をやり新聞にはご冥福の文字。 これから一生子供がこの事につきまとわれる。 不憫でしょうがない。 この日はお祝い事は無しみたいな空気。 正直アカの他人の命日よりも子供の誕生日の方が何倍も大事だ。 なんとかしてほしい。
当たり前のことを確認的に。 2013-07-02 ウェブ言論にとって名前は記号でしかなく、誰が言ったかではなく何を言ったかが重要、というのは正論だし僕もそう思っているんだけど、長い実名との戦いから得た教訓は「実名の必要性とは責任の持ち込み先の判別のために必要」というなんとも暗い話でありますな。 つまり、本名が「山田太郎」だったとして、ググると1,930,000件表示される「山田太郎」という記号に意味があるのではなく、どこそこにお住まいの、どこそこにお勤めの、今何歳の、等々の個人を特定する情報としての実名が欲しいわけですね。で、そんなもの何に使うのって話なんですけど、そりゃ社会的強弱を図るために決まっているじゃないですか。 もちろんね、匿名さんがある肩書きを名乗っている時に、その肩書を持った実在する人物であるかどうかを証明するためにはそういう行為も必要ですよね。もっとも、ある肩書きを持った人
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