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ブックマーク / blog.tatsuru.com (4)

  • 桜を見る会再論 - 内田樹の研究室

    もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。 「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、

  • 日本。長髪とフォークの思想 - 内田樹の研究室

    11月22日付けのLibération に日の70年代ポップスについてのOlivier Lammという署名入りの長文の記事が掲載された。 はっぴいえんどの四人の写真が掲げられた記事を見てびっくりした。なんで「リベラシオン」にはっぴいえんどが出るんだと思って記事を読んだら、まことに興味深い内容だった。 You Tube のせいで今は世界中のあらゆる時代の楽曲を好きなだけ聴けるようになったわけだけれど、その過程でヨーロッパのユーチューバーたちは偶然日の60~90年代のポップスを「発見」したのである。そして、そのクオリティの高さにびっくりした。 「日ポップス、すげえ」と思ったプロデューサーが日ポップスの網羅的なコンピレーションアルバムを作成する企画を出し、それが実現したという話である。 その経緯を知ったオリヴィエ・ラムさんという日ポップス大好きなフランス人が「日のポップスは1970年

  • 気まずい共存について - 内田樹の研究室

    今年の5月17日に中央公会堂で開かれた「大阪のことを知ろう。市民大集会パート2 大阪問題」というイベントの基調講演で「みんなのそばにある大阪のモヤモヤ」という演題を頂いて15分間の大急ぎスピーチをした(そのあと若静紀さんのイベントのゲストという仕事があったのでほんとにケツカッチン)。そのときの講演が文字起こしされてきたので、ここに採録。 結論から言うと「モヤモヤしてる」っていうのは、そんなに悪い事じゃないと思います。むしろ問題は「すっきりしている」ということの方なんじゃないですか。 今の日の状況で一番僕が困っていることは、みんながシンプルで分かりやすい単一解を求めているということです。たった一つの「正解」があって、それを「選択」して、そこに全部の資源を「集中」するという「選択と集中」の発想をしたがる。だから、切り口上でまくし立ててくる。「この案に反対なんですか? 反対なら、対案出しなさい

  • 「愛国的リバタリアン」という怪物 - 内田樹の研究室

    金満里さんたちが出している「イマージュ」という媒体が、相模原の「やまゆり園事件」についての考察を特集した。そこに私も一文を寄稿した。あまり目に触れる機会のない媒体なので、私の書いたものだけここに再録する。 相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。 もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日社会内部にはたしかに存在しているから

    ppummu
    ppummu 2017/08/02
    福祉不要の絶対負けないマンたち、羨ましいけど疲れそう。しんどさ覚える前に淘汰されておけばよかったのになーって思っちゃうわ。
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