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鉄道と昭和に関するsarasaneのブックマーク (28)

  • 【西宮北口】 阪急西宮北口駅ダイヤモンドクロス 姿を消す(昭和59年3月25日) | 西宮の歴史 | 歴史と文化財 | 楽しむ・学ぶ | 西宮市ホームページ

  • SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

    サービス終了のお知らせ SankeiBizは、2022年12月26日をもちましてサービスを終了させていただきました。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。 産経デジタルがお送りする経済ニュースは「iza! 経済ニュース」でお楽しみください。 このページは5秒後に「iza!経済ニュース」(https://www.iza.ne.jp/economy/)に転送されます。 ページが切り替わらない場合は以下のボタンから「iza! 経済ニュース」へ移動をお願いします。 iza! 経済ニュースへ

    SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト
  • 大鹿1

    木曽森林鉄道    大鹿1 (上松起点25.6km)    大鹿淵へ  大鹿付近の鯎川線へ  氷ヶ瀬へ  椀貸せ淵?へ  日向淵へ 大鹿駅は、木曽森林鉄道最大の操車場があり、鯎(ウグイ)川線も分岐する重要な駅でした。 駅のすぐ近くに、大鹿淵を渡るアーチ式の鉄橋があり有名な撮影場所でもありました。 大鹿淵の鉄橋を渡ってトンネルをくぐるとすぐに氷ヶ瀬の貯木場がありました。 当時、ここまでは車で行くことができましたが、ここから先は道路がなく、森林鉄道が唯一の交通機関でした。 左の地図:国土地理院・5万分の一「上松」昭和43年発行に主な撮影場所をを記入しました。 地図の右が上松方面です。 崩沢~大鹿の駅間距離が1.6kmでした。

  • 魚梁瀬森林鉄道 最奥山の軌道です | 四国の山村と自然を撮る

    森林鉄道は奥山までついていますが作業現場は更に奥地にあります。山の中腹にここにあるような山内軌道をつけそこからインクラインと呼ばれる軌道を荷貨車を降ろしていました。2台の貨車をワイヤーでつなぎ降りる力で空の貨車を上げていました。ここは機関車が上がりませんので勾配を利用して積んだ貨車を転ばしていました。大木伐り引っ張り出し貨車に積み込み飛び乗り制動棒をあやつりながら急勾配を走ったのです。機械のない時代すべて腕一で運んだのです。雨も降れば雪も積む奥山の自然は苛酷です。この時代防寒する着物や道具はなく耐え苦労したことでしょう。この後に木を植えた人たちも同じように苦労したことでしょう。苗木を背負い坂を登り鍬を振ったことでしょう。見えない山の歴史を顧りみて先人たちを忘れないようにしましょう。

    魚梁瀬森林鉄道 最奥山の軌道です | 四国の山村と自然を撮る
  • 津島軽便堂写真館

    軽便鉄道・森林鉄道・鉱山鉄道などのナローゲージやローカル私鉄の写真を中心としたホームページです。 ■軽便鉄道 尾小屋鉄道  花巻電鉄 越後交通栃尾線  下津井電鉄  井笠鉄道 内部・八王子線  昔の北勢線  北勢線の四季最近の三岐北勢線 ■森林鉄道 木曽森林鉄道 木曽森林鰔川線 木曽森林番外編  屋久島森林鉄道 ■鉱山鉄道 三井芦別炭鉱 紀州鉱山鉄道 葛生駒形石灰 葛生住友セメント 三信鉱工のトロッコ  越戸鉱山トロッコ   明延鉱山・明神電車 高島炭鉱鉄道 日鉄・津久見 山野炭鉱凸電 大之浦二坑トロ 吉隈坑凸電 平山坑の凸電   大島炭鉱跡   池島炭鉱跡 ■簡易軌道・その他 浜中町営軌道  熊野簡易軌道  立山砂防軌道 ・railbus編・体験学習会 黒部ルート見学会 松製材 海津・墨俣のKATO  赤村トロッコ 虹の郷・ロムニー鉄道  北海道開拓の村 馬車鉄道 丸瀬布 いこいの森 

  • 花巻電鉄軌道線 - 連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々 - Yahoo!ブログ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 懐かしの鉄道写真 遠征記録 電車特急

  • 加悦SL広場~京都府与謝郡与謝野町加悦~

    加悦SL広場~京都府与謝郡与謝野町加悦~ 加悦SL広場は、1985(昭和60)年に廃止になった加悦鉄道(丹後山田~加悦間)などの車両を保存していた施設で、元々は加悦鉄道廃止前の1977(昭和52)年9月に、加悦駅構内に開設。1993(平成5)年に加悦駅構内を、当時の加悦町役場(現・与謝野町役場加悦庁舎)建設に伴い譲渡したため、1996(平成8)年11月に加悦駅の先にあった鉱山駅跡に移転し再オープンしています。 かつての運営は加悦鉄道の後身である加悦興産でしたが、現在は2011(平成23)年4月1日に宮津港運株式会社と合併して設立された「宮津海陸運輸株式会社」が担っています。なお、残念ながら2020(令和2)年3月31日を以って閉園となりました。 加悦駅の駅舎は1926(大正15)年に建設されたもので、町役場建設後も位置を若干変更の上で、保存されています。また加悦SL広場では、上写真のように

  • 忘れられた「日本無軌道電車」。|編集長敬白|鉄道ホビダス

    ▲現在の花屋敷停留所付近。道路は拡幅され、バスベイがあるためか広く感じる。なお、日無軌道電車時代はループ線を設ける用地がなかったため、道路中央に転車台を設けて方向転換をしていたという。P:宮武浩二 クリックするとポップアップします。 「日無軌道電車」をご存知でしょうか? 無軌条電車=トロリーバスが「軌道ニ準スベキモノ」として法制上は鉄道(軌道)の仲間とされているのはご承知と思いますが、無軌条ではなく"無軌道"とは如何に? 無軌道な若者...等々、現代では決して良い意味では使われない無軌道という言葉ですが、かつては無軌条電車ではなく無軌道電車という用語が汎用されていたと言います。そして、この無軌道を冠した社名を持つわが国初の営業用トロリーバスが「日無軌道電車」です。 日無軌道電車は現在の阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅と新花屋敷(川西市満願寺町付近)間1.3㎞を結んで1928(昭和3)年8月

  • 必見の「昭和30年代の名鉄風景」写真展。|編集長敬白|鉄道ホビダス

  • 和田岬線は今...。(下)|編集長敬白|鉄道ホビダス

    ▲日曜日の和田岬駅発の列車は7時27分発と17時26分発の2のみ。2目の536Mは乗客もまばらで、夕日の差し込む車内はまるで時間が停まったかのよう。'12.5.27 クリックするとポップアップします。 西日に照らされて日曜日最後の下り535Mが和田岬駅に到着したのが17時18分。8分ほどの停車で6連の103系R1編成は17時26分発536Mとなって兵庫へと折り返します。 たった一駅、2.7㎞の折り返し運転ですが、和田岬線はワンマン化されておらず、運転士さんと車掌さんが乗務しています。また、無人の和田岬駅には自動改札機や券売機は設備されておらず、すべて兵庫駅の和田岬線専用ホームに設けられた中間改札が対応するかたちとなっています。つまり、和田岬からは乗車した場合はこの兵庫駅中間改札の自動券売機で和田岬駅からの乗車券を購入する、もしくはICカード対応改札機で乗車記録をメモリーすることになりま

  • 南砂町の5000系カットボディー。|編集長敬白|鉄道ホビダス

    ▲地下トンネルを模したアーチ状の屋根の下に保存されている5833のカットボディー。手前には車輪もディスプレーされている。'12.3.7 新砂あゆみ公園 クリックするとポップアップします。 今日は所要で江東区方面へ。時間をつくって東京メトロ東西線南砂町駅前に保存されていると聞く5000系のカットボディーを訪ねてきました。路面電車と比べて地下鉄車輌の保存車はそれほど多くはなく、ましてやカットボディーとはいえ5000系の個体は貴重と言えるでしょう。 ▲保存展示というよりは公園の休息施設として利活用されており、ドアは撤去されている。'12.3.7 新砂あゆみ公園 クリックするとポップアップします。 保存されているのは南砂町駅前の「江東区立 新砂あゆみ公園」。保存といっても車輌丸ごとではなく、先頭部5mほどのカットボディーで、台車もありません。説明板によれば2002(平成14)年3月にこの公園に設置

  • 昭和の残像 鉄道懐古写真(41) 新春特別企画「旧型国電七変化!?」

    1月7日は「七草」でした。朝、7種類の野菜(野草)が入ったおかゆをべて祝う行事です。 そこで今回は七草にちなみ、「旧型国電七変化!?」と題して、筆者が撮影した写真の中から7種類のカラーリングをご紹介しましょう。 黄色&赤(新潟色) 新潟色は、降雪時でも目立つようにと、黄色と赤の派手な塗装でした。この色は、日海側の冬の気候を払拭するよう、明るい色を好む地域性から採用されたといわれています。また、「ひまわりの花」をイメージしたという説もあるようです。 新潟地区での旧型国電の運転は、1962年に関西地区で活躍した、ぶどう(茶)色の70系が転属してきたことから始まります。新潟色への塗り替えは、投入の翌年(1963年)から始まりました。 ただ、同時期に運転を開始した181系(当初は161系)「とき」などに比べ、ぶどう色1色の旧型国電は不評だったかもしれません。1978年に新潟色の旧型国電は引退し

    昭和の残像 鉄道懐古写真(41) 新春特別企画「旧型国電七変化!?」
  • 阪堺電軌モ161に乗る。|編集長敬白|鉄道ホビダス

    ▲心地よい吊り掛けサウンドを響かせて南海線を乗り越えるモ161。とても80歳を越える古豪とは思えない豪快な走りっぷりだ。'11.11.27 船尾-浜寺駅前 クリックするとポップアップします。 通常運用を持つ電車としてはわが国最古参として知られる阪堺電気軌道のモ161形のトップナンバー161号が、阪堺線開通100年を記念して昭和40年当時の姿に復元されたのは誌9月号(№336)誌面や小ブログでもご紹介いたしましたが(→こちら)、遅ればせながら先日試乗する機会を得ました。 ▲正面の方向幕窓は幕板とツライチになるようにカバーが取り付けられ、可能な限りオリジナルの面影を取り戻すべく配慮されている。'11.11.27 我孫子道車庫 クリックするとポップアップします。 現役車輌としての条件に支障をきたすことなく、可能な限りの復元を目指されたと言われるだけあって、木部の塗装を剥離して下地処理を施した

  • 北条鉄道法華口駅を訪ねる。|編集長敬白|鉄道ホビダス

  • 青森県の昭和感がすごいwwwwwwwwwww:哲学ニュースnwk

    2011年10月23日20:29 青森県の昭和感がすごいwwwwwwwwwww Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/23(日) 10:24:03.08 ID:3HwF6kch0 ターミナル駅前でこれだぜwwwwwww 青森 五所川原 むつ 弘前   三沢 黒岩 4: 和歌山県民:2011/10/23(日) 10:25:45.69 ID:2+iboiC+0 糞田舎過ぎ笑たwwwwww 日か? 8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/23(日) 10:26:24.25 ID:+f3093Eo0 >>4 和歌山が何を言うww 14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/23(日) 10:28:57.60 ID:DOgrTeX20 ねぶたにマッチする都市計画なんだろ

  • 【連載】昭和の残像 鉄道懐古写真 (31) 中央線「ロクヨンお召し」と懐かしの「あずさ2号」の記憶 | ライフ | マイコミジャーナル

    当連載の第30回「原宿駅宮廷ホームから発車した157系『お召し列車』」で使用した写真を探す最中、偶然にも、貴重なお召し列車の写真を発見しました。中央線を走った「ロクヨンお召し」(EF64牽引のお召し列車)です。 いまから33年前の1978(昭和53)年10月、長野県で開催された「やまびこ国体」に天皇陛下がご臨席された際、中央線にお召し列車が走りました。 通常、ご公務で地方へ行幸される際、運転されるお召し列車は、「新1号編成」と呼ばれる客車列車を使用します。5両からなる「新1号編成」の中央に連結された特別車両「御料車」に天皇陛下がご乗車されました。 通常、この編成の牽引機として、鉄道ファンから「ロイヤルエンジン」と賞賛された電気機関車EF58 61(直流電化区間のみ)がその任にあたります。しかし高尾以遠の中央線は山間部を走り、勾配がきついため、当時活躍していた勾配線区用の電気機関車EF6

  • 【連載】鉄道トリビア (120) なぜ西武多摩川線は"孤立"しているのか? | ライフ | マイコミジャーナル

    西武鉄道の路線図を見ると、なぜか多摩川線(武蔵境~是政間)だけが他の路線から孤立している。JR中央線と接続する多摩川線の起点・武蔵境駅は、国分寺線や多摩湖線と接続する国分寺駅と3.4kmしか離れていない。もう少しでつながったのに、つながらない。どうしてこうなったのだろう? 西武鉄道の路線図。多摩川線だけが孤立している 西武といえば黄色い電車だが、多摩川線の電車は白。独特の雰囲気だ その理由は単純明快。多摩川線はもともと多摩鉄道によって開業した路線で、後に合併されたという経緯があるからだ。多摩鉄道は1910(明治43)年に設立され、1917(大正6)年に武蔵境~北多摩(現在の白糸台駅)間が開業した。1919年、常久駅(現在の競艇場前駅)へ延伸。1922年に是政駅まで開業している。その後、1927(昭和2)年に旧西武鉄道に合併された。 多摩鉄道を合併した旧西武鉄道は新宿線と国分寺線を運営してお

  • RMライブラリー『京王5000系-ファンの目から見た33年―』。|編集長敬白|鉄道ホビダス

  • 山形交通三山線モハ103を見る。|編集長敬白|鉄道ホビダス

    ▲「月山の酒蔵資料館」に保存されている山形交通三山線のモハ103。保存状態はすこぶる良好。'11.7.24 クリックするとポップアップします。 ふたたび7月の秋田・山形方面の旅から、今日は山形交通三山線の保存車をご紹介いたしましょう。山形交通三山線は左沢線の羽前高松を起点に、月山山麓の間沢まで11.4㎞を結んでいた電化路線でしたが、1974(昭和49)年晩秋、ひっそりとその姿を消してゆきました。 ▲"おへそライト"がチャームポイントのモハ103。三山電気鉄道は開業にあたって同形3輌を新造している。'11.7.24 クリックするとポップアップします。 現在その姿を残しているのは、同線が三山電気鉄道として開業した際に用意された3輌の電動車のうちの1輌モハ103で、1926(大正15)年日車輌製の木造単車です。先日ご紹介した羽後交通のデハ3(1927年蒲田車輌製・アーカイブ「羽後交通デハ3を見