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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/koku-fan (3)

  • 零戦22型「AI-112」、来日を前に足止め(追記あり) -  FROM EDITOR・・・・・

    Photos:Zero Enterprize Japan 9月号P.39でお伝えした、日人の石塚政秀氏が所有する零戦ですが ワシントン州タコマ港から日への船積みを直前にして 米国務省の輸出許可が下りず、留め置かれた状態が続いています。 記事中で、予定どうりなら「7月中の来日も」とお伝えしましたが 残念ながら果たせませんでした。 同機の日国内での運用を担当するゼロエンタープライズ・ジャパンによれば 「関係各所との交渉は山場を迎えており、まもなく事態は進展する」とのこと。 続報は、また追ってお知らせします(写真はコンテナへの収納作業)。 追:8月20日(現地時間)、零戦を乗せた船がシアトルを出港しました!!

    零戦22型「AI-112」、来日を前に足止め(追記あり) -  FROM EDITOR・・・・・
  • ブルーインパルスの歴史 -  FROM EDITOR・・・・・

    昨年もアメリカの独立記念日にあたる7月4日に、 ブルーインパルスの事故については、ブログで紹介しました。 松島基地の第11飛行隊の隊舎の一室には、 写真のようなパネルが掲示されています。 これはF-86Fからの54年間の歴史の中で、ブルーインパルスが 経験してきたつらい墜落事故の一覧で、F-86F時代の4件、 T-2時代の2件、そしてT-4となってからの1件の事故と、 殉職された8名の氏名が記されています。 とくに、T-2時代の2名の殉職者が出た事故、T-4の 3名が殉職した事故に加え、死亡者は出なかったものの 接触から墜落にいたったF-86F時代の事故も含め、 7月4日に起こった3件の事故は その日付が赤で記入してあります。 パネルのいちばん上には 我々は先輩達の事故を忘れることなく Blue Impulseの歴史を創造し続ける と書いてあります。 事故は、忘れてしまうことが最大の問題点

    ブルーインパルスの歴史 -  FROM EDITOR・・・・・
  • 日本人が零戦のオーナーに、そして里帰りを目指す -  FROM EDITOR・・・・・

    9月19日午前、都内のホテルで零戦ファン大喜びの記者説明会がありました。 8月号P.16掲載のプレーンズ・オブ・フェイム航空ショーの誌記事で一部既報のとおり、 アメリカロシアで修復・再製され、現在はアメリカで飛ぶ零戦22型(N553TT)が ニュージーランド・クライストチャーチ在住の日人実業家、石塚政秀氏がCEOを務める 米デラウェア州のゼロ・エンタープライズINC.の所有であることが正式に発表され、 合わせて来年4月以降に同機を日に里帰りさせ各地で飛行させようというプロジェクト、 「零 Reset」(仮称)構想の概要が発表されたのです。 里帰り飛行のために入手した零戦を紹介する石塚氏(画面左)。 石塚氏によれば、里帰り計画は2008年春にスタートしたものの諸般の事情から一時中断、 しかし2010年春、機体の入手に合わせて同機を管理するゼロ・エンタープライズINC.を設立、 その後

    日本人が零戦のオーナーに、そして里帰りを目指す -  FROM EDITOR・・・・・
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