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考え方と変化に関するsoleil266564のブックマーク (5)

  • 日々の小さな変化は見逃しやすいが、まとめて見ると大きな違いに気づくことができる。

    最近、自分の結婚式の準備の時くらいぶりに、大学生の頃の自分が写っている写真を見る機会があり、 「すごい変わったなー(老けたという意味で)」 と思いました。 そして、思い出したように、大学生の頃にコストコのアルバイトの様子を書いていたブログを見返してみたのですが、そこでも、 「すごい変わったなー(昔はこんな子供っぽい文章しか書けなかったという意味で)」 と思いました。 このような経験を通してあらためて思ったことがあります。 それが、 日々の小さな変化は見逃しやすいが、まとめて見ると大きな違いに気づくことができる。 というもの。 稿ではこの考え方について、もう少し思考を掘り下げてみたいと思います。 日々の日記をやる理由 このブログでも何度かお伝えしている通り、私には「日記を書く」という習慣があります。 参照:30代半ばになって偶然、自分にあった「日記の書き方」を見つけた、という話。 日々の業

    日々の小さな変化は見逃しやすいが、まとめて見ると大きな違いに気づくことができる。
  • 変化が激しい現代では「完璧主義」から距離を置くのがいい。RANGER

    最近、若者の間で完璧主義者が増加しているという話を聞いた。 「完璧主義」というものを3つに分類している動画がある。 ①自己位の完璧主義 →自分の内面から完璧でありたいという欲求がにじみ出る人 ②社会既定の完璧主義 →社会の規定(常識)に対して完璧でないとならないと思う人 ③他者指向の完璧主義 →相手に完璧を求める人 それぞれが増加している中で②社会既定の完璧主義が他の2つより倍増していて、生きづらさが増しているという。 これを聞いて思い出したのは、私の子供の頃に無意識に観察していた大人たちのこと。 みんな一生懸命に社会の常識に照らし合わせて恐る恐る生きているように見えた。 不思議な感覚が蘇ってきた。 なぜそんなにもビクビクしながら生きているのだろうか? 素朴にそう思った。 「決まりが○○だから、○○しなくてはならない。」 「○○しないと笑われる」 などと話していた。 これが、当時の常識に

    変化が激しい現代では「完璧主義」から距離を置くのがいい。RANGER
  • 「スローメディア」を支持する時間の経過と共に「自分のスローメディア化」が着々と進んでいる話。

    あらためて言うまでもないが現代の「情報を取り扱うメディア」は雨後の筍のようだ。 テレビ、新聞、ラジオ、雑誌のような昔からあるマスメディア。 文学や科学技術などの文章を読むための書籍というメディア。 インターネットやスマートフォンといったメディアを土台にしてテキストメディア、動画メディア、ソーシャルメディアなど様々なデジタルメディアが今だに出現している。 最近も「Z世代がよく使うソーシャルメディア」という記事を見かけたが30代半を過ぎた私には半分以上が知らないものだった。 こんな感じで現代には取り取りのメディアがあるわけだが、皆さんにおかれてはどんなメディアが好みだろうか? あるいはどんなメディアを求めているだろうか? そもそもそんなことは考えもしないだろうか? かくいう自分の話になるが、今現在、私が好きで支持しているのは「スローメディア」と呼ばれるメディア群である。 ここでスローメディアに

    「スローメディア」を支持する時間の経過と共に「自分のスローメディア化」が着々と進んでいる話。
  • お尻にできたエクボから学ぶ人生の教訓とは?RANGER

    最近、整体の先生から私の体の変化を指摘してもらった。 「お尻にエクボができてますねえ。すごい。」 出典:お尻のエクボ お尻は筋肉を使わないとだんだんとたれてくるものだが、お尻の筋肉が使えるとお尻を締めた時にエクボが出るようになるらしい。 確かに、私の中でのレベルの話ではあるが殿筋の厚みが生まれてから今が最大になっている。 私の股関節痛(約8か月前の記事に書いた)は骨格の歪みからきていて、それによってお尻に体重を乗せることができなかったので、これは私にとって画期的な変化である。 私は、久々にあがって少しだけ高価な牛肉を購入したのだった。 お尻のエクボであがっているこのタイミングで、今一度私のここまでを振り返ってみたいと思う。 そして苦しんでいるだけではもったいないのでそこから何かしら学ぶことができないか?などと都合のいいことを思っている。 股関節痛の原因となった私の勘違い 骨盤を立てることで

    お尻にできたエクボから学ぶ人生の教訓とは?RANGER
  • 私はどこまで変われるのだろうか?RANGER

    30年以上ぶりに大学時代のサークルの同窓会に参加して感じたことは、同期や先輩に再会してその当時のまんまに戻れるなあ、というものだった。 それは、同期や先輩のそれぞれの語り口調や会話のリードの仕方(ある人は)、会話に入るタイミングや言葉数など当時と全く変っていないからで、音量は当時に比べて落ち着いてきてはいるが、それぞれの驚き方、笑い方、おどけ方なども変わっていない。 更に言えば、世の中を楽観的に捉えるのか?慎重に捉えているのか?話のどこの部分を面白がるのか?などそれぞれが持つ感覚の特徴が当時と変わっていないようにも思う。 もちろん自分も含めて皺も白髪も増えて容姿は明らかに変ってはいるのだが・・・。 やっぱり「三つ子の魂百まで」なんだなあと確認する。 それぞれが長年の社会生活で様々なことを経験してきているし、知識も増えるなど変化しているはずなのにそこが感じられないことを不思議に思ったのだが、

    私はどこまで変われるのだろうか?RANGER
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