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適応の技術・技法と子供に関するsoleil266564のブックマーク (4)

  • 子供から学ぶ大人の情操教育で、またひとつ殻が破れた。RANGER

    その日の昼は、みんなの分がまとめて用意されていて、そこからひとりひとりが自分の分を取り分けるというものだった。 A君は人の倍以上の量をよそった。 それによって、最後の方の子供が少量しかよそうことできなくなってしまった。 A君に「ダメでしょ!そんなに取ったら。」とダメ出ししないのが、このようちえんの保育方針。 保育士さんは、A君に「たくさん取ったねえ。たくさんべたかったんだねえ。」と声をかける。 A君「うん。」 次に、保育士さんは少量しかよそえなかった子供に聞く。 「少ししか取れなかったけど、どうだった?」 B君「A君だけがたくさん取ってしまって悲しかった。」 C君「A君がたくさんべたいならば、自分は少なくて大丈夫。」 これを聞いてA君が自ら何かを考えるのがポイントである。 このやりとりによって、A君は悲しんだお友達がいることを知って、悪いことをしたと思うように変化した。 時間が経って

    子供から学ぶ大人の情操教育で、またひとつ殻が破れた。RANGER
  • 日本の減点主義とそこからくる自己肯定感の低さを前にしてやろうと思うこと。RANGER

    子供の頃から親の高い期待を背負って生きてきた、という人に時々出会うことがある。 その人たちは、今や客観視してそのことを自分で積極的に話せるようになっているから、私がそのことを知るに至るわけなのだが、中にはその名残とも言える見えない期待に未だに縛られていて、それにあがいているように見える人もいる。 子供の頃の影響は大きいものだとあらためて思う。 子供にとって、親の思いは概ね素晴らしく有難いものではあるのだが、この親の思いによって縛られて知らず知らずの内に自分らしさを抑えられることもしばしばあるものだ。 かくいう私も、私も親の期待を背負わされそうになったひとりである。 親にどこからか来た理想があって、その理想に対して常に足りてないことを指摘されて、それを埋め合わせる日々になっていた時期もあった。 いいところは当たり前だから褒めないし、褒められる側もできていることを褒められるとどうもこそばゆい。

    日本の減点主義とそこからくる自己肯定感の低さを前にしてやろうと思うこと。RANGER
  • 「人に興味がある」と言われた私なのだが、それは本当なのだろうか?RANGER

    私のいろいろなことを学びたい気持ちは未だに健在である。 学びにはいらない知識がついて気を揉むという面もあるとは思うが、それでもそれを上回って学びは人を幸せにする、あるいは、楽にする、という風に私はなぜだか思っている。 なぜそう思うのかはっきりとはわからないのだが、私はどうもそういう人のようだ。 私が学びたい領域は決して広くはないのだが、その中にまさに学びに関連する「教育」がある。 これまでに、教育に関するの感想をいくつか書いてみたのだが、正直に言えばこれらのことは未来の子供たちのために、というよりは、むしろ自分のこれからのために使えないか?という思いが大きい。 それに対して、今更まだそんなことを言うのか?ともう一人の自分が言うのだが、私はどうもそういう人のようなのだ。 その理由を強いて上げれば、自分自身の体感がないと子供に何を言っても上滑りすると感じるからなのかもしれない。 そんな好奇心

    「人に興味がある」と言われた私なのだが、それは本当なのだろうか?RANGER
  • 「依存症」から抜け出すには、苦痛を減らすことに尽きる。私は「快感の自家発電」もしていきたい。RANGER

    現代の商品やサービスがそれにはまるように巧妙に作られているから、成り行きに任せずに意識的に習慣を変えるなどしないといけない、と警鐘を鳴らしている。 いかにして病みつきにさせるかが、ビジネス成功のポイントになっているというのだ。 上記若者の例は、快感を得るものが溢れている非常に豊かな時代にあってその豊かさを十二分に享受している人と、一方ではそこに興味がないかあるいはその危険をわかっていて避けている人が分かれている様を表しているように見える。 戦後の3S政策(スクリーン、スポーツ、セックス)が依存症づくりのスタートだったようにも感じられるのだが、自由を目指すが自由になれない私としては、自由の対極にあるような依存症、あるいは、依存について考えないわけにはいかない。 そういうわけでお付き合いをお願いしたい。 依存症とは 依存症とは、日常生活に支障をきたしているにもかかわらず、特定の物質や行動をやめ

    「依存症」から抜け出すには、苦痛を減らすことに尽きる。私は「快感の自家発電」もしていきたい。RANGER
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