ついに帰宅時に一駅手前で降りて、酒とナナチキを買って飲酒散歩をはじめてしまった 実家暮らしで親は私が酒など飲まないと思っているし、夕飯だって当然のように用意があるのに 残業のふりをしてだらだら帰宅している 酒に弱いつもりはないけれど、すこしだけふわふわしている
小さい頃に公文式教室に通わされていたおかげで中学生までは無双していたが、レベルの高い高校に入ったところ要領がいい上に努力もできる人しかいなくて心が折れた 大学受験は失敗したものの外部の大学院を受験し何とか持ち直したが、ここでも周りは皆優秀な人ばかりでやはり身の丈に合わない環境に身を置くことは良くないと改めて感じた 研究も就活も家庭環境も上手くいかずに色々悩んでいた時、とても世話を焼いてくれていた彼氏に振られてしまいうつ病になってしまった 大好きだった人からも必要とされず自分より優秀な人しかいない環境で過ごしていると、自分がいる意味はあるのだろうかと考えてしまう 私がいなくなっても社会は全く問題なく回っていくし、いたとしても精神疾患を抱えた状態では何も貢献することができない その上運命だと思っていた人から見放されて生きる気力を完全に失った 本格的に社会のお荷物になる前にここで死んでおいた方が
「一緒に病院へ行ってくれないか」。 7年ほど音信不通だった兄から電話があったのは2013年5月17日だった。 総額で1000万を超す貸した金は返さない─、知人の弁護士を通じて整理した債務の返済は滞る─、紹介した会社は問題を起こしてクビになる─。 度重なる不義理から長く絶縁状態だったが、いつになく暗い語り口に嫌な予感がした。 兄は電話をしてくる数日前に、10年ほど連れ添った妻と離婚していた。類は友を呼ぶと言うが、2人はそろって無類のギャンブル好きだった。 夫婦は、東海地方の某温泉宿で、住み込みで働いて得た毎月の収入のほとんどを、パチンコと競艇につぎ込んでいた。 生活苦でケンカが絶えず、自身の体調も日々悪化していく悪循環の中で、兄は妻に離婚届を突き付けた。 そんな状況だったから、やむなく、一緒に病院に付いてきてもらう相手として、絶縁状態だった私を指名してきたのだと思う。 普段は人を笑わせる、陽
この間、友人何人かとお花見をした。 友人の中には旦那さんや子どもと一緒に来ている子もいて、致死量の幸せを浴びたらいまの私はどうなってしまうのだろうかと少し不安だったけれど、存外楽しく過ごして帰ってきた。 久しぶりに会う子もたくさんいたので、いま言うのはなんだかな、と思い夫が他界したことは言わずに過ごした。夫の話を少し振られた時もうまく返せたと思う。 場の空気のために言わなかったような書き方だけど、まだ自分で説明することができる状態ではないのだ、というのが正しい。きっと話しながらぐしゃぐしゃに泣いてしまうし、たくさんの憐憫を浴びることも嫌だ。悲しみは、まだ私の中だけにあって外に出すことができない。このまま私だけの悲しみを捏ね続けて、発酵させて、栄養になることもなく、どうすれば良いんだろう。 ところでいろんな友人の配偶者を見るたびに、素敵な人だけど私は私の夫が一番良いなと思うよ。私はやっぱり夫
山手線で着物姿のお相撲さんが隣に座った お相撲さんの幅は1.5席分で肩身が狭かった 足を肩幅に広げてるのはまぁ筋肉量のせいもあって仕方ないかもだが、ポケGOをやってる肘が当たってるのが気にくわなかった でも今日は肌寒く、密着するとほんのり暖かくて臭くもなくて結果いい体験だった
高校生のとき、初めてアルバイトをした。 一緒に働く人たちは親切で楽しかった。 ある日、修学旅行に行くので休みをいただきますと伝えたら「お土産買ってきてね!」と言われた。 この場合のお土産は、個包装の箱入りお菓子を買ってみんなで分けて食べてもらえば十分なのを、そのときはまだ知らなかった。 バ先の人数分、仲の良い友だちにあげるようなレベルのお土産を買わなければならないと思いこんでいた。 持っていける小遣いの金額は決まっていたので、大半がそのお土産代になってしまい、自分が欲しいものはあまり買えなかった。 バイトの日、お土産を渡したら「え!? こんなのもらっちゃっていいの!?」とみんなに驚かれた。 内心「お土産買ってきてねって言ったのそっちじゃん…」と思ったけど、そうは言えないので「もちろんです、どうぞ」と言うしかなかった。 その後、バ先の他の人が旅行に行ったお土産を配ってくれたときに、なんだ、こ
数年前から頭頂部が薄くなっているのは本人も自覚しているが、青白さの残っていた頭皮が完全に普通の皮膚の質感に変わってしまったこと
客先に呼ばれて、普段行けない定食屋で昼飯。 12時前で駐車場はほぼ満車。最後の一台に止める。 メニューはレジの前。 日替わり定食が8種類ぐらい書いてある。 焼肉定食にも心を惹かれたが、マグロブツとピーマンの肉詰め定食。 食券機で券を買う。少し前は席についてから自分で紙に注文を書いて店員に渡す仕組みだったが人手不足で変わったらしい。 でも店員は変わらず、いつももドラえもんみたいな店員が案内してくれる。 満員でもほどなく運ばれてくる。 脂がのったマグロが8切れぐらい。 刺身の褄に大根だけじゃなくオニオンスライスも載ってる。 ピーマンの肉詰めも大振りでフライにしてある。 大盛にしなくてもご飯はどんぶり。冷奴と味噌汁と沢庵。 やっぱり日本人は食にこだわりすぎ。 海から遠く離れた田舎で刺身食べなくてもいいし、ピーマン切って味付けしたひき肉詰めて、衣つけて油で揚げるとかどうかしてる。 腹十分目。 午後
数日前、朝起きると先に起きた妻から亡くなっていることが告げられた。 ショックを受けたことは間違いないが、そこまでの数日でかなり弱っていたことを思うと、ついにかあ…というのが正直な気持ちだった。 明日、永遠のお別れになるので、彼女との思い出を忘れないように吐き出させてほしい。 独身時代に一度飼っていた妻の誕生日プレゼントとして、お迎えしたのは2020年の春頃。ブラウンカラーで脇に白い模様があるキュートな女の子である。 当時、子供はいなかった我々夫婦は彼女に一瞬で虜になり、毎月のように写真を撮影し、妻はインスタなんか始めたりと、かなり浮かれていた。 比較的温厚な彼女は人が近づいても針を立てることなく抱かせてくるのも魅力の一つだった。 近くの公園に出かけたりもして、近くにいたマダムからひそひそされたりもしたが、その時撮った写真はしばらくPCの壁紙として活躍した。 当時借りていた家の更新が来たのに
4/8 追記 思った以上にたくさんの方に読まれて驚いています。 ブラジャー外干はありえんって意見が多かったのでググったら確かに危なそうだったんで室内に干したいんですけど、ワコールの店員さんに洗濯機の脱水は使うなって言われてるんですよ。だから自力で絞るしかないんですけど、それじゃヒモとかから水がぼたぼた垂れません?みなさんどうされてるんだろう。 ↑コメ欄の方ありがとうございます!バスタオルで挟むのやってみます! 後母親と一緒に買うものだと思ってたってコメント見たけど、「アンタ胸ないのにブラなんていらんでしょ」で終わらす母だったのでそれは仕方ないです。 追記終わり ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 産まれてこの方カップ付きキャミソールしか着てこず、ブラジャーを買ったことすらなかった。 ブラをする必要もないぐらいの胸の大きさだし、彼氏も居たことないので買うことすら思いつかなかったけど
デトックスのために書くのでまとまりのない内容です。 数年前結婚して、ありがたいことに今年に入って身籠ることもできて、、という矢先に旦那の母が癌になった。体調不良で受診、検査したら偶然見つかったらしい。偶然見つかって良かったというわけではなく、旦那の話を聞く限りでは結構進んでいそうとのこと。そりゃ体に不調が出てるんだから初期段階じゃないよな。 血が繋がって無いとはいえ、私の第二の母であり、ショックだった。半分部外者のような私が首を突っ込んでいいか迷いつつ、旦那と一緒に病院へ同行。 検査結果を説明されながら、「癌って言葉が出てこないけど、もしや癌では無い?」と思っていたら、その後の入院時書類にしっかりと○○癌と書かれていた。 入院する義母を病棟で見送り、旦那と2人で病院付近のご飯屋さんへ。 「いやー、まさかねー、熱出たと思ったら癌かー。」と冷静を装っていた旦那だけど、帰宅してしばらくしたら実感
一人暮らしを始めた。今年24になる。一人暮らしを始めるには遅い方だと思う。 家から片道1時間半近くかかる部署に異動になって一人暮らしを決めてから、こうして暮らし始めるまで、気づけば半年近く経っていた。 今年の初めに母親が家を出て行った。父が年末年始実家に帰っている隙にと、前々から契約していた部屋にごっそり荷物を持って、父に知らせずに出て行った。 最後の日、いよいよ自由になる母の乗ったタクシーが、新しい部屋に向かって走っていくのを1月2日の私はずっと見ていた。もう母と一緒に暮らすことはないんだなあと、そう思った。そして少し泣いた。 モラハラ気質の父と、そんな父のことが大嫌いな兄と、控えめな母。金銭的に不自由することはなくても、昔から仲は良くなかった。兄が母親側につくことが多いから、自然と私は父親側につくことが多かった。思えば父が運転する時は決まって私が助手席で、母が運転する時は兄が助手席だっ
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