ethとphilosに関するsymbioticwormのブックマーク (11)

  • Equality and Its Implications: Roger Crisp

    以下の文章のWEB上での公開に関する注意 以下の文書は、ロジャー・スティーヴン・クリスプ博士(Dr. Roger Stephen Crisp)の論文「平等とその含意」(Equality and its Implications)の全訳です。この翻訳は、クリスプ教授の許可により、『実践哲学研究 第23号』(京都大学倫理学研究室内 実践哲学研究会)に掲載されたものを、クリスプ教授に再び許可を受けてWEB上で公開するものです。 この文書に関しては、個人使用の目的でダウンロードすることのみ許されます。再配布や再掲載等の行為は著作権の侵害にあたります。 Except for the download for the purpose of private use, NO PART of this document may be duplicated, republished, re-uploaded,

  • 動物倫理とポストモダン思想 - 道徳的動物日記

    davitrice.hatenadiary.jp ゲイリー・シュタイナーの主張は以前にも人が書いた短い記事を訳して紹介したが、何しろ短かい記事だったのでシュタイナーの主張がわかりづらかったかもしれない。今回は、シュタイナーが著書『動物と、ポストモダニズムの限界』で行っている主張の要点を私なりに短くまとめて紹介しよう。 シュタイナーはポストモダニズム思想が動物倫理の問題について行っている主張を手厳しく批判している人である。『動物と、ポストモダニズムの限界』で特に批判の対象となっているのはジャック・デリダとデリダに影響された思想家たちだ。…で、私はデリダのをはじめとしてシュタイナーの批判対象となっている思想家たちのはほとんど読んだことがない。なので、シュタイナーの批判がアンフェアなものであるとしても私には判断できないし、シュタイナーの主張をまとめている(かつ、私の主張も結構入っている)こ

    動物倫理とポストモダン思想 - 道徳的動物日記
  • Ask.fm - 伊勢田哲治

    大学があり授業がある限りはだれかしら雇わないといけないわけで、教えながら哲学の研究をするというポジション自体は残っていくとは思います。ただ、漠然と自分の好きな研究だけしていれば評価されるというわけでもありませんし、どういう人がどういうところに採用されたかみたいなことを見て、早いうちから研究者としての生存戦略を考えるみたいなことは必要になると思います。「そういう小賢しいのがいやだから研究者を目指したのに」という人にとっては大変生きにくい時代になっていると思います。 哲学業界としては優秀な方たちにあとを継いでいただかないと先細りになっていくので、能力のある方には哲学の研究者を目指してほしい反面、とても「どんどんおいでください」と勧誘できる状況でないのも事実で、苦しいところです。

    Ask.fm - 伊勢田哲治
    symbioticworm
    symbioticworm 2014/01/13
    “ふかふかですか? もふもふです。”ISD先生ェ……。
  • http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/tr2/moor.html

    以下に掲載するのは、ジェームズ・ムーア(ダートマス大学哲学科教授)の "What is Computer Ethics?"の翻訳である。同論文は、当初、 Metaphilosophy, Vol. 16, No. 4, 1985, に掲載されたものであるが、その後、 Deborah G. Johnson, Helen Nissenbaum (eds.) Computers, Ethics & Social Values, Prentice Hall, 1995, などのアンソロジーに再録されている。論 文の意義は、なんといっても、哲学の専門雑誌にコンピュータ・エシックスと いうタイトルをもった論文が初めて掲載されたケースであるという点にある。 すなわち、この嚆矢たる論文の発表年1985年をもって、われわれはコンピュー タ・エシックス元年とすることができるのである。もちろん、インターネット

  • 共鳴する「どうせ」で、いのちの選別を行わないために/『死の自己決定権のゆくえ:尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』児玉真美氏インタビュー - SYNODOS

    共鳴する「どうせ」で、いのちの選別を行わないために 『死の自己決定権のゆくえ:尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』児玉真美氏インタビュー 情報 #尊厳死#新刊インタビュー#死の自己決定権のゆくえ 尊厳死が合法化された国々では、いまなにが起きているのだろう。世界で並列して進行している「死の自己決定権」と「『無益な治療』論」とは? 世界は、時代は、どこへ向かおうとしているのか。2013年8月に出版された『死の自己決定権のゆくえ』(大月書店)著者・児玉真美さんへのメールインタビュー。(聞き手・構成/金子昂) ―― 最初に、児玉さんが「尊厳死」についてお調べになられるようになったきっかけをお聞かせください。 実は、何らかの問題意識から「海外安楽死や自殺幇助を調べよう」と思い、調べ始めた、というようなことではなかったんです。きっかけは、やっぱりアシュリー事件との出会でした。米国シアトルの病院が重症

    共鳴する「どうせ」で、いのちの選別を行わないために/『死の自己決定権のゆくえ:尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』児玉真美氏インタビュー - SYNODOS
    symbioticworm
    symbioticworm 2013/08/31
    http://ponto.cs.kyoto-wu.ac.jp/bulletin/10/eguchi.pdf http://togetter.com/li/268738 シンガーの取り上げ方や「パーソン論」の説明が不十分なように思う。
  • systemicsarchive.com - このウェブサイトは販売用です! - systemicsarchive リソースおよび情報

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  • Daily Life:野崎泰伸『生を肯定する倫理へ 障害学の視点から』

    July 10, 2011 野崎泰伸『生を肯定する倫理へ 障害学の視点から』 生を肯定する倫理へ―障害学の視点から を著者から御恵投いただいた。せっかくなので少しコメントしたい。記事が長いので三つに分けて投稿する。 書は著者が障害者としての自らの体験もふまえつつ、現代倫理学の主流のアプローチに対して「生を肯定する倫理」を打ち出すという意欲的な著作である。障害学と現代英米の倫理学は、非常に近い問題を扱う面もあるにもかかわらず、あまりきちんとした突き合わせがなされてこなかった。その意味で、両方の文献を読み込んだ著者の議論には参考になる視点が多い。 以下は、現代英米倫理学、特に功利主義に近い立場から、野崎氏の論述がどう読まれるのか、という応答である。それにしても、書で扱われているすべての話題に反応するのは難しいので、話題は三つに絞る。一つは「社会モデル」をどう考えるか、二つ目はシンガーをどう

  • Articles: odds and ends | Richard Dawkins Foundation

    symbioticworm
    symbioticworm 2011/06/23
    ドーキンスの「知の欺瞞」書評、他
  • 道徳起源論から進化倫理学

    道徳起源論から進化倫理学へ、最新稿 (最終稿は、佐伯・亀田編『進化ゲームとその展開』共立、2002、228-252に収録。引用はこれよりされたい。) 内井惣七 (この論文は、旧論文を縮約し、9-11節に新しい成果を盛り込んだもの。前掲書編者の佐伯胖氏と亀田達也氏の査読により改善できたことを感謝したい。旧論文体はここ。) われわれが現にもつ倫理の基盤、少なくともその重要な部分、は進化ゲーム理論から明らかにされた知見によって理解可能になる。これは、進化ゲーム理論など知らなかったダーウィン自身の洞察とも一致する。この洞察は、彼の晩年の著作『人間の由来』第一部での道徳起源論で展開されているが、基的な着想はすでに初期のノートにも書きとめられている。この洞察を、進化ゲーム理論や行動生態学の最近の成果を援用して再構成してみせるのが小論のまず第一の課題である。この課題は、「現にある」道徳の基盤を明らか

  • Liber Studiorum: 『丸山眞男話文集 2』

    TAKESANさんのところの批判の仕方の話と科学的方法に関する話に目を通しつつ、丸山眞男を引用。丸山 (略)下意識のものをコントロールするってのは、例えば、よく近代人が--僕は、それは非常に一方的だと想うけれども--、近代のそういった考え方の中にある、ある科学主義の考え方は、僕はやっぱり、神を僭称するんだと想いますね。神を僭称するってのは、下意識的なものを、合理化しようとするんです。というのは、非合理的なものを人間から駆逐しようとするんです。これは、人間が神になる、神を僭称しようとしてるんです。だから、科学的精神と科学主義とは非常に違うんです、僕に言わせれば。科学的精神とは、科学の限界を知ることなんです。科学で万事解決できるというのが科学主義。これは人間が神を僭称することなんです。ニュートンが、「俺のやったことは浜の真砂の一粒を……」なんとか「……やってるにすぎない」とか言ってるでしょ。つ

  • 「消極的義務」の倫理――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 - macska dot org

    今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優位社会でもある哲学界において、二十世紀中盤におけるアリストテレス的な徳倫理の復権に大きく貢献した哲学者の一人であり、前世紀を代表する女性哲学者の一人として記憶されることになるだろう。 しかしなんといっても彼女のもっともよく知られている功績は、いわゆる「トローリー(トロッコ)問題」という思考実験を提示したことだ。最近話題のマイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』を読んだり、かれの講義を収録したテレビ番組『ハーバード白熱教室』を観た人は、次のような設定に見覚えがあると思う。「トロッコ問題」には後述するように多数のバリエーションが生まれて

    「消極的義務」の倫理――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 - macska dot org
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