元NHKアナウンサーの武田真一さん(56)は2011年3月11日、東京・渋谷のスタジオから、海辺の街が津波にのみ込まれていく惨状を中継映像とともに実況し、避難を呼び掛け続けた。それから12年半が過ぎた10月、武田さんはその街で講演会に臨んだ。「これから話すことは、ごく個人的な閖上(ゆりあげ)に対する思いです」。そう前置きして、住民たちに語り始めた。
元NHKアナウンサーの武田真一さん(56)は2011年3月11日、東京・渋谷のスタジオから、海辺の街が津波にのみ込まれていく惨状を中継映像とともに実況し、避難を呼び掛け続けた。それから12年半が過ぎた10月、武田さんはその街で講演会に臨んだ。「これから話すことは、ごく個人的な閖上(ゆりあげ)に対する思いです」。そう前置きして、住民たちに語り始めた。
関連死を含めた死者・行方不明者が2万2212人と戦後最悪の自然災害となった東日本大震災から11日で12年となる。東京電力福島第1原発事故による福島県の帰還困難区域は、一部で避難指示が解除されたものの、東京23区の半分ほどの面積に相当する322平方キロに上る。避難者は全国47都道府県に3万884人いる。 警察庁のまとめによると、死者が1万5900人、行方不明者は2523人。死者のうち53人は遺体が見つかっているが身元は分からない。2021年11月以来、新たに身元が判明した死者はいない。復興庁によると、震災や原発事故に伴う避難で体調を崩すなどして亡くなった関連死は3789人。厚生労働省の集計では震災に関連した自殺者は248人に上る。
皇居そばの竹橋をバリケードで塞ぐ2・26事件の反乱軍兵士。今は、この写真の撮影位置の背後に毎日新聞東京本社がある=1936年2月撮影 戦前のクーデター、2・26事件から今月で87年がたちます。事件は、私の初任地、青森県とも浅からぬ縁がありました。関係した地方紙記者らとその戦後、現在の同県にある核燃料サイクル施設までの流れを素描します。【オピニオングループ・鈴木英生】 1936年2月26日朝、雪深い青森市の陸軍第8師団歩兵第5連隊本部。スキーを履いて出勤した末松太平大尉が、電話でこう問われた。「野中四郎大尉を知っていますか」。野中は2・26事件の首謀者の一人だ。興奮気味の声の主は、地元紙「東奥日報」記者の竹内俊吉。末松は、以前から親しかった竹内によって同志の決起を知った。 事件は、農村の疲弊や政治の腐敗に憤る青年将校たちが起こした。部下約1400人を引き連れて要人を殺害し、首都中枢を占拠する
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