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倒錯委員長に関するtelmineのブックマーク (5)

  • 繊細な先輩 - いいんちょさんのありゃあブログ

    こないだ学で、同じ研究室所属の後輩四人が飯っているところを遠巻きに目撃したのだけれど、その輪の中に入ろうか入るまいか迷ったあげく、結局最初っから知らなかったフリをしてそこを後にした。 今年で、この大学のキャンパスで過ごす夏は六回になる。6年生にもなると、人がどう思おうと、周囲からは多少でも敬われてしまう。 なんつーか、僕が輪に入っただけで場が変わってしまうのがわかるわけだ。 その彼らは学部の3年生だから、現役だと仮定すると年齢、学年で3年違う。3年というのは、社会に出てしまえばそれはそれでちっぽけな差なのかもしれないが、幸か不幸か僕の後輩君たちは、その辺の礼儀ができているほうなため(政治が巧いと言うべきか?)、そんな「ちっぽけな差」であろうと、大切にしてくれる。変な話、確実に場が「あらたまってしまう」のだ。 僕にとっては、それはそれで困ってしまうのだ。これはまるっきり「シュレーディン

    繊細な先輩 - いいんちょさんのありゃあブログ
    telmine
    telmine 2009/07/23
    "だって考えてみてほしい。集団でやるなら、どういう順番で回すかで、後輩たちが僕が先にするよう気を使うはずだ。"マジキチ。京都教育大の件でこんな文章をWWWに晒せる人間、どっかおかしい。/大学名間違えてた。陳謝
  • 村上春樹的な「やれやれ」 - いいんちょさんのありゃあブログ

    二日ぶりに学校に来て自分のブログを開くと、すごいことになっとる。やったね!ブクマ自己新更新♪……と喜んでもいられないことを、コメント欄とブクマページを開いて気づく(それにしても更新する度にページビューが何十も増えているのは、初体験だが不気味である)。 正直、読んでいてがっかりした。うんざりである。最近わけあって村上春樹の作品を読みあさっているのだがまさにこの状況、村上春樹的な「やれやれ」、である。 ちゃんと読んでもらえれば、冒頭の「伯父の家族エピソード」というのは話の導入部にすぎず、「僕の問い」の質は後半に集約されることがわかってもらえるはずだ。なのに、書いた人としてはどうでもいい(もっと言えば無くてもよい)前半のエピソードの枝葉末節をあげつらっての批判が大半ではないか。僕はこの状況に、うんざりする。「木を見て森を見ず」とはまさにこのことではないだろうか。 「読みの多様性」や「創造的な

    村上春樹的な「やれやれ」 - いいんちょさんのありゃあブログ
    telmine
    telmine 2009/07/23
    専用タグ作っちゃった☆ ホントひどいなこの人。コメント欄の匿名さんがカッコよすぎる。多分あそこまで書かれても自分に非があるとはこれっぽっちも考えられない人なんだろうけど。
  • 誰がための「オシャレな女」なのか? - いいんちょさんのありゃあブログ

    連休の初日に伯父の家族がやってきた。伯父には三人の子ども、つまり僕のいとこが三人いるのだがその真ん中、今年14歳になる女の子がおもしろい。毎回会う度に、よくいえばオシャレな女の子に、悪く言えばケバイギャルに変容していくのだ。その変化は普段会わない僕には顕著に見える。最初はさりげない細部に変化の兆候があったのだが、このところはもう開き直ったか、僕に会うときだろうとお構いなしにその変化の度合いを見せつけてくる。 思い返せば僕の中学時代も、この年頃の成長というのは、まだ女子の方がその速度において男子を圧倒していた。夏休みの登校日や新学期の初日、一学期には黒々としたロングヘアーをなびかせていた清純そうなあの娘が、当時の僕ら男子には想像の付かない「一夏の経験」を経て、趣味の悪い金髪になっていたり。とにかくいろいろあるものなのである、14歳というお年頃。考えてみれば14とは中二であり、文字通り男子が中

    誰がための「オシャレな女」なのか? - いいんちょさんのありゃあブログ
    telmine
    telmine 2009/07/22
    相変わらずの頭の悪さに愕然。少なくとも従兄弟のオシャレはお前のためのものではないことだけは確か。とりあえず「自分の女の価値に気づきやがって」がついついで許容される言葉なのか無い頭で考えなおすといいよ
  • 好きなものについて語ること - いいんちょさんのありゃあブログ

    この件について先日ご指摘をいただいたある方に、僕がフーコーを引き合いに出したことに対して、彼が同性愛者だったという事実も考慮に入れるべきではないか、というご指摘をいただいた。もちろん僕はフーコーが同性愛者であったことを知っているし、そのことは十二分に考慮に入れるべきであると考えている。 しかしここで指摘したいのは、言説を説いたフーコーの批評活動が、単純に同性愛者などのセクシャルマイノリティという抑圧された同胞の「解放」を目的にしていたというわけでもない、ということだ。僕がいちいち感服してしまう彼の天才性とはおそらく、常にものごとを一つ上の次元から考えることだ。彼の問題意識の射程は「同性愛者をいかに解放するか」では必ずしもない。そうではなく、彼の問題意識はいわば「なぜ人(異性愛者、同性愛者関わりなく)は、自分あるいは他人の性について真実を語るべきと考え、同時にそれが社会的な抑圧からの解放にな

    好きなものについて語ること - いいんちょさんのありゃあブログ
    telmine
    telmine 2009/05/16
    "「抑圧」を感じるのは読み手の勝手だが、そんなことをいったら何を書いたって誰かが不可避的に抑圧を感じる可能性がある。ここで抑圧を感じるのはあなた個人の問題だろう。"…何だろう、この読み手側への丸投げ感
  • 女は腐女子に生まれるのではない。腐女子になるのだ。 - いいんちょさんのありゃあブログ

    なぜ、腐女子は男尊女卑なのか? ―オタク恋愛とセックス事情 (アフタヌーン新書 003) 作者: fujyoshi syndicate(腐女子シンジケート)出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/04/09メディア: 新書購入: 2人 クリック: 97回この商品を含むブログ (24件) を見る この手のを出せば、内容が比較的に腐女子に親和的であろうと、少なからぬ反発を招くというのは、書の編集者もさすがにわかっていただろうから、タイトルがこれでGOサインが出るというのは、ある意味宣戦布告なのかもしれない。 思った通り各所方面で批判に晒されている書であるが、内容についてはとやかく言わない。俺(今回は暫時的に一人称は「俺」)が書きたいのはこのについてではなく、この手のが出る度に、批判を展開する人たちの側、つまり腐女子(と自らを言明する女性)についてだ。いや、もっと言えば、オタク

    女は腐女子に生まれるのではない。腐女子になるのだ。 - いいんちょさんのありゃあブログ
    telmine
    telmine 2009/05/14
    「腐女子の方々の中でも、自称することにそこまで重きを置く方々がいるのは、僕の考えには入っていませんでした。」…え、本当に?そんなんでこんなテキストを?/そもそも前提がおかしいという事では。
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