原作改変どうこうが話題になるけど、90年代の原作ものって改変が当たり前だったよ? オリジナルエピソードを足したり、アニメオリジナルキャラを登場させることが売りだった。 ファンも雑誌とかでその予告を見てワクワクしてたんだよ。 「わぁ、オリジナルエピソードが見れるなんて楽しみ!」って。 原作が原作そのまま映像化されても意味じゃん。 なんか今の子って評判になったものしか見ないし、原作そのままの映像化が見たいしって、事前に内容がわかっているものしか見ないよね。 それ時間の無駄じゃん。
野沢雅子さんが2023年9月25日放送のJ-WAVE『ゆう坊&マシリトのKosoKoso放送局』の中で『ドラゴンボール』の孫悟空役オーデションで鳥山明先生から直々に「この人が悟空です」と選ばれた話をしていました。 (鳥嶋和彦)それで野沢さん、『鬼太郎』をおやりになって、その後は『いなかっぺ大将』ですか? (野沢雅子)『いなかっぺ大将』。それで『銀河鉄道999』で。これ、全部原作者の先生がオーディションで選んでくださったもので。それが不思議に大ヒットしているんですよ。不思議だなと思って。 (鳥嶋和彦)そうなんですよね。実はその後、『ドラゴンボール』のオーディションでも鳥山先生が野沢さんを選んだんですよね? (野沢雅子)そうなんです。 (鳥嶋和彦)で、実はさっきね、外で話したんですけど。フジテレビのプロデューサーは鳥山さんとか僕らに対して、野沢さんの名前が一番下で。できるだけ見せないようにして
[B! togetter] 「SPY×FAMILY」は、子供が見る作品としてふさわしくないのでは?という議論 鬼滅は敵が再生能力持ちの鬼だから首切り飛ばしまくりだし味方もアニメ化範囲でも指の骨折られるは欠損するわ串刺しだわで凄惨 アニメはカラーなので血も生々しい 子供はちょっと見たら怖がって見なかった(でも鬼滅が好き) これに触れて育つ世代はグロ描写のハードルが相当下がるんじゃないかな 基準が鬼滅になって慣れてるから当たり前になる すぐにガラッと変わるわけではないけど後で振り返った時に「そういえば鬼滅以後でグロ表現が変わったね」って感じになるんだと思う リョナ好きとか公言できるようになるのかも 人気のあるVTuber(女性)でそういう人いるし 正直個人的には眉を顰めてしまう でも自分の親世代もそう思ってたんだろうなと思うんだよね グロや暴力表現に限らず だからなるべく寛容ではいたいと思って
このようなツイートを見かけた。 「強い女」概念、しばしば「わがまま」とか「男をいじめたりアゴでこき使う」になりがちで、まあある種の願望の発露なんだろうけど、「え~、君にとっての『強い』ってそういうことなんだ…」と思ってしまう。 それってサル山のボス的な強さであり、「有害な男らしさ」に属するものじゃないかなぁ。 — 新納 (@niinow_g) 2023年10月22日 ここから「強い女」を巡るやり取りが色々と広まっていったようだ。たとえばこういう話もある。 「強い女」、個人的には、正直なところ草薙素子とかエボシ様とかそこらへんの偉大なる前例が良すぎて、そこから発展させるのがすごく難しく感じる次第です(宮崎駿とか富野由悠季とか押井守とか庵野秀明とか幾原邦彦とかが描いてきた「強い女」の引力が強すぎるんだ! 助けてくれ!!!!) — 籠原スナヲ (@suna_kago) 2023年10月23日 「
アニメ(映像)になった瞬間に「時間」という概念から逃れることが難しくなってしまう。 なので漫画という常に静止しているメディアでしか表現できないものはあると思うんだよね。 例えば昔懐かしのテニスの王子様で乾が「あれはフローターサーブ、なんちゃらかんちゃらでうんぬんかんぬであれこれあれこれでどうこうどうしてあーしたこーしたにゃんにゃかにゃんにゃんうんこちんちん」みたいなことを長々と解説するんだけど、漫画だとこれが一コマに収まるので打って次の瞬間には相手のコートにボールが撃ち込まれている。 でもこれをアニメでやると乾が解説している間、延々とボールが飛び続けているか、ラケットがボールにヒットした瞬間の絵で静止して乾の解説のターンに入るので、今時間の流れどうなってるねんみたいな状況になってしまう。 心情表現にしてもそう。 漫画だと心情表現用の吹き出しに心情を書いて置いておくことで、空気感を維持するこ
小学校4年生の子どもにジャンプマンガについて聞いた。 アニメの鬼滅の刃はマジでみんな見てた/見てるので、「誰が好き?」という話題が出たり、イラストかいたりする。それに比べると呪術廻戦やヒロアカは、好きな子が見てるだけなので、休み時間に話題になることはあまりない。 「見てる」というのは、基本、アニメだから。コミック読んでる子はいるかもしれないけど、あまり聞かない。学校でコミック貸し借りすることもない。アニメはアマプラとかdアニメとかで見る。テレビでは見ない。 ここまで聞いて疑問に思ったので、「雑誌の週刊少年ジャンプ買ってる人はいないの?」と尋ねたら、「ああ、隣のクラスの担任の先生が買ってるらしいよ」とのことでした! なんかだいぶ風景がちがうんだなあ。
原作は「マイルドDQNであることが普通の田舎」の話を書いていて、作者もそういうところで育った人間なのに、アニメ化する際に都会の連中がマイルドDQN成分を無理に漂白したから、ゲェーッ!?免許取り立てで二人乗り!?みたいなことになるんだよな。 うっせぇうっせぇうっせぇわ。 田舎では赤信号は「気を付けて渡れ」だし、原付は免許取る前から乗ってもいいし、二人乗りに制限はない。煙草も酒もやりたきゃやればいい。無免許の中学生があぜ道をトラクターとか軽トラとか普通に走らせてる。私有地だからだろ?って言うけど、私有地であってもあぜ道は道路扱いだから免許はいるけど、免許と収穫どっちが大事なのかという話だ。 スーパーカブの原作でもはっきりとそう書かれている。罰金よりも大事なものがある、と。あれはそういうリアリティラインの話だ。そして別にそれは「特別」な世界の話ではなく、ごくごく一般的な田舎のマイルドDQNの思考
失敗も多い実写化・アニメ化が両方成功したレジェンド作品 マンガの“アニメ化決定”はファンにとって喜ばしいことです。しかし、ときにはストーリーの改悪、作画崩壊、声優が棒読み……など、残念な結果となることもあります。“実写化”となるとさらにハードルが高く、3次元で見ると違和感がすごかったり、作りこみがチープだったり……はっきり成功したといえる作品はかなり少ないのではないでしょうか。しかし、なかにはどちらも成功したという稀有な作品も。この記事ではそんな、1作で3度楽しめる、「アニメ化も実写化も成功したマンガ」を3作紹介します。 【画像】最終章が上映中!マンガ原作のヒット映画 ●『DEATH NOTE』 原作:大場つぐみ 作画:小畑健 2003年から2006年まで連載され、大ヒットを記録したサスペンスマンガ『DEATH NOTE』。名前を書くだけで人を死に追いやる「デスノート」を使い、歪んだ正義感
【追記】 不死=どんなことがあっても死なない、が定義とは言ってない。 下に挙げた作品では、実はちゃんと死ぬ方法や理由が存在する。寿命だったり、ある特殊な状況下で死ぬと復活できなかったり。 「弱点があるなら不死ではない」って人がいるけどそうじゃないんだ。そこが作品の個性なんだよ。 --- 不死や不死者、あるいは不老不死や復活を扱った作品が好き。 不死の猟犬バッカーノ!堕天作戦亜人 死なないということは「生きるしかない」あるいは「終わりが見えない」ことの言い換えでもあり、多くの作品がその苦悩をテーマにしている。カジュアルに死んでカジュアルに生き残る世界。一見すると不死は便利な道具だけど、人の死自体が最終段階である以上、不死者はその最後の一歩まで簡単に落ちるほど脆い存在でもある。だから不死者の主人公は、意外と弱い。それが作品の個性に繋がっていることも多く、面白い。 一方で東京喰種などのように単に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く