蓄積された豊かな経験と確固たる意志が支えるDJという表現の高み ー 日本の最重要DJにYusaku Shigeyasuが迫る。
世界への近道なんてない。“Try & Error”を続けるだけ。 10年振り、そして、ワールドワイドデビューとなった話題のニューアルバム『Remember the life beautiful』をリリースしたばかりのDJ Gonnoに迫る。物静かで穏やかな印象とは裏腹に、溢れ出る音楽への情熱、強烈なまでの信念、現在のダンスミュージックシーンに対する本音など、アンダーグラウンド・ダンスミュージック界のブライテストホープとして、世界を掴みながら、今、何を思うのか? 今回Qeticでは、Gonnoという一人のアーティストが見せるパーソナルな魅力をスペシャルインタビューにてお届けしたい。 Interview:Gonno ——まずは、ニューアルバムリリースおめでとうございます! Gonno ありがとうございます。 ——早速ですが、ニューアルバム『Remember the life is beauti
2006年11月15日 (水) ☆『Time6328』発売記念インタビュー! 70年代末のパンク~ニューウェイヴ黎明期から活動をスタートし、<R&S>や<Syzygy>から<Libyus>まで様々なレーベルからリリースを重ね、テクノ・ブレイクビーツ・ハウス・アンビエントとジャンルを横断しながら高い評価と支持を集めてきた音楽家、白石隆之。 そして今回リリースされるアルバム『Time6328』は、25年以上にも及ぶ活動歴を大胆かつ斬新な視点で総括するセルフミックスアルバム。 様々な時代の複数の楽曲を再エディットすることで、また新たなトラックを生み出し、アルバムとしてまとめ上げています。 そのリリースに際し、白石さんに作品についてのことやご自身の音楽遍歴についてなどのお話を伺いました。お楽しみください。 Interview with 白石隆之 ○今作は白石さんにとってアーティストとしてある意味区
――90年代後半はどうでしたか? ブレイクビーツからエレクトロニカといわれていたシーンへ繋がっていった時代ですね? 「テクノは<機能性>を基準にフロア向けとリスニングとに二分化されていった。俺としては『そんなに単純じゃないだろう…?』という思いがあって。その<機能性>というのは踊れるかどうかという意味で使われていたわけだけど、その踊れる音というイメージのレンジが狭すぎると思った。その頃には一方でMO'WAXやNINJA TUNEなどがブレイクビーツにテクノ的な感覚を取り入れてきたし、テクノでリスニングとか実験的と言われるものにもいいグルーヴのある曲はあって。そんなわけでメイン・フロアとチルアウト・ルームとのその中間みたいな場が自分の頭のなかに浮かんでいた」 ――80年代初めには、主流であった極端な振り分けとは違う音楽的な部分を求めて探求されていました。90年代中頃になると、フロアとリスニン
――次に自分のなかで音楽的な盛り上がりが来たのはいつの頃ですか? 「80年代終盤のアシッド・ハウス。そこで自分のなかが切り替わる感じがした。その前にハウスという言葉自体は耳にはしていたものの、その言葉の意味があまりにも曖昧で理解出来なくて。でも一応80年代後半から気にはなっていたところにアシッド・ハウスという言葉がでてきて、なんとなく判ってきたんだけど、さらなる疑問も沸々と湧いてきた。なぜこんなドライな音なのか。ドラム・マシンが素の音で鳴って、展開もなく垂れ流しになっているのはなぜなのか、と。全くエフェクトがかかっていない音というその意味が、さっぱり理解できなかった。当時はアート・オブ・ノイズとかの、派手なゲート・リバーヴのドラムの音なんかがオーヴァー・グラウンドでは主流だったから。それとは真逆の、ものすごく貧しい音で。なぜゴージャスにしないのか、あえてしていないとしたらその理由は何なのか
これから数回に分けて、つい数日前におこなった白石隆之へのインタビューをお届けします。インタビュアーは栗原大さん。実は、今回の白石隆之のアルバムは、そもそも栗原さんが以前やられていたTri-Eightからリリースが予定されていたものでした。それが諸般の事情で頓挫し、僕の手で再び仕切直しをしてリリースにまで漕ぎ着けたというタイトルなのです。なぜ、僕らがこの作品をリリースしたかったのか、その一端がこの長いインタビューから伝われば、そして、白石隆之という人のまだ語られていなかった部分、聴かれていなかった部分が見えてくれば、とても嬉しいです。 ――1982年の曲が収録されていますが、これが初めてのリリースだったんですか? 「これはリリースしていない曲だね。初めてリリースしたのは1980年。高校のときに、パンクとかニュー・ウェーヴの流れのなかで生まれた、ヴァニティっていうインディーズのさきがけみたいな
三田格氏との共著による日本で最初の”テクノのカタログ本”と、連動するテクノCD再発シリーズ『TECHNO definitive』を始動させた野田努氏にHMVオンライン・エクスクルーシヴのメール・インタビューを敢行!! 質問以上に丁寧なご回答を頂き、とても読み応えのある内容となりました! 野田さん、ありがとうございます!! 制作の裏話なども盛り込まれていますのでこのインタビューを読むと、また本の見方も変わってくるかも?!という事で最後までじっくりご覧くださいませ! -- HMVオンラインと申します。どうぞよろしくお願いいたします! まずは今回の書籍&CD再発シリーズ『TECHNO definitive』について、どのような内容になっているのかをご本人よりザックリお聞かせください。 基本、テクノの名盤カタログです。が、カタログを作るときに年代を意識して、年代順に並べました。これはパートナーの三
Space Lab Yellowが6月21日に閉店を迎える。 この箱が築き上げてきたものを表現するのは難しい。私が始めてYellowにいった時は自分には分不相応な大人の空間のように感じた。いいDJを聴きたくて毎週のように遊びに行くようになるとYellowで仲良くなった友達もでき、心から楽しいと思えるパーティを何度も体験した。何年もたった今でもフロアでYellow独特のあのしっかりした音を聴くとやっぱりいいなと思う。Yellowに足を運んだことがある人は皆それぞれに自分なりの思い入れを持っていると思うが、その蓄積がYellowという箱を特別な場所にしているのかも知れない。閉店するのはさびしいが、今回の特集を通して、各々自分だけのYellowに思いを馳せていただき、残り少ないパーティにも是非足を運んで、日本のクラブシーンの大きな1ページとなるであろう「今」を体験して欲しいと思う。 今回はSpa
まだ日本にはパーティもDJもレーベルも、なにもないという状況だった 93年、企業などの後ろ盾をもたない、文字通りのインディ・レーベルとして設立され、その後KAGAMIをはじめ、Riow Arai、Kaito名義で知られるHiroshi Watanabe、 DJ TASAKA、Mexico、Hitoshi Ohishiなど現在のシーンを担う、アーティスト達を発掘、またMijk Van Dijk、Ken Ishii、Black Dog、田中フミヤ、Thomas Schumacher、Hakan Lidbo 、など世界的なアーティストと交流を持ち独自の手法でシーンを切り開いてきたレーベル<FROGMAN>が、その活動を休止=Cold Sleepする。 今回から数回に渡り、激動の90年代のテクノの歴史を担ったレーベルの代表であるKEN=GO→(渡辺健吾)氏と、ゲストを迎え、14年間に及ぶその活動の
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