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呟きと人生に関するtweakkのブックマーク (49)

  • 失恋のこととか - finalventの日記

    55歳の、もう爺さんじゃねーのかという年の男が、23、4歳のころの失恋を思うのもどうかと思うけど、意外と心のなかに沈んではいるもので、そういうはなかなかごまかしがきかない。これはなんともなあ、つらいものだなと思う。 『考える生き方』(参照)では、最初、失恋の話とは書かなかったが、編集サイドで入れたらというのと、なくていいですよというのがあって、いろいろ思ったけど、入れるには入れた。読んだかたから、抽象的過ぎるというのがあった。自分にしてみると、あの書いてようやく、失恋の痛みとか悔恨とか罪責感とかいろんなものがあっても、自分の受け取る分は半分でいいということだった。それで十分かなとも。そのメッセージが誰かに伝わるかはわからない。失恋のつらさは半分でいい。 そして年を取ったので、実はディテールはもうだいぶ忘れている。ビジュアルにすっと思い出す部分があり鮮明でもあるので、なにかよく覚えているよ

    失恋のこととか - finalventの日記
  • まあ - finalventの日記

    年を取ったなと思う。54歳にもなるのだから、当然だろうと思う。20代のころ、30代の人たちが老人に見えたものだったし、25歳を過ぎたときにすら老いたものだなとも思った。あの時の感覚は今でももっているから、かなり不思議な気がする。私を「爺」という人たちの気持ちもわかるけど、そういう人たちが20代後半以降だと、私の中にいる若い私は、君たちは、おじさん、おばさんだよ、と思っている。 いつ年を取ったのかというと、考えればわからないことでもない。ブログを始めたのは2003年だった? 信じられる? 僕ですら信じられませんよ。今年は2011年ですよ。引き算すると、8年。恋愛は4年で終わるというから、その間、2回恋愛できちゃいますよ。しなかったけど。 で、2003年のころはまだ40代半ばで、そのころすでに「爺」だったから、もう今では、ということでもあるが、あのころすでに沖縄での生活を引き上げて翌年だった。

    まあ - finalventの日記
  • 曇り - finalventの日記

    五月になった。あっという間に五月という感じがするのは、3月11日が昨日のようにも思えることもあるかもしれないし、それを思わず迎えた年初の印象がうまく消化できない感じかもしれない。反面、ずいぶん時は流れたという思いもないわけでもない。 停電が事実上回避されてからはプールが平時に近く使えるので泳げるのはいいなと思う。暖かくなるとプールの人が増えてめんどくさいなとも思う。 もまた読みだした。いつでもなにか読んでないと気がすまないお病気みたいな自分だが、震災以降、実際のところ注文が届かないこともあり、あまり読みもせず、買いもしなかった。が、ここに来て、どさどさと届く。 なんのために読むんだろう、そんなの長い人生でもないのにと思うこともあるし、これから老年になると読むぐらいしかないか、でも目も見えなくなるだろうなとも思う。老眼はなぜかない。先日、四〇代の人と話したら老眼があるという。そうだよね見づ

    曇り - finalventの日記
  • 快晴 - finalventの日記

    外が妙に明るく、カーテンを開くと新緑が眩しい。初夏のようだと思い、まさに初夏じゃないかと苦笑する。なにかが心を刺すように訪れようとしている気配を感じながら、それをうまく引き寄せることができない。若さのつらさのようなものに、いつも別の心が警戒している。 その前、まだまどろみのなかで、頭のなかに自然に流れる歌を聴いていた。ユーミンの曲だった。ああ、そうだったかと自分は思っている。先日知った新曲の「ひとつの恋が終るとき」が呼びかけている対の曲があったはずだがそれはなんだっただろうと思っていたのだったが、この曲だったかと。「情熱に届かない」。 ⇒YouTube - 松任谷由実 情熱に届かない〜Don't Let Me Go 描いてよ、あのときの空 あなたの胸にもう一度だけ 白いキャンバスが燃えるほど I want to、I want to know 失くしきれない あのときの夢 いつか情熱に届きた

    快晴 - finalventの日記
  • 晴れ - finalventの日記

    冷えるけど、春という感じ。受験生たちの大半は開放感という時期か。いろいろつらい思いをしている子もいるのだろうな。 高校時代はあまりいい思い出がない。内申点が高かったのだけど、番の試験でブレがあるといやだと思って、いちランク下の高校を選んだら、なんか一種の受験校みたいでなんというのか、そういう感じの子が多く、また先生もそういう感じで、なんか失敗した。 と、思っていた。が、ふと昨日、いやそうでもないなあ、いろいろ友情とかあったじゃないかと思いだし、なぜその思い出が変質したのかとふと思い当たった。大きな友情の事件があったのだ。もちろん、記憶のなかでそれを封印していたわけではないが、その情感を思い出そうしない抑制機構があった。 こうした抑制機構は両親にもある。 50歳過ぎて生きてみると、いろいろ少年時代青春時代の思いは変わってくる。失恋とかも、なんのことはない、ただの汚い人間関係だったなと思う。

    晴れ - finalventの日記
  • 無題ドキュメント

    Apalog読者の皆様 アパレルウェブのブログ「Apalog」は以下のページに移転いたしました。 https://blog.apparel-web.com/ 今後とも「Apalog」をどうぞよろしくお願いいたします。 Apalog運営事務局

    無題ドキュメント
  • 快晴 - finalventの日記

    じわじわと年を取っていくようでやなもんだ。 昨日Twitter政治に関心あるなら政治家やらないのかと問われ、少し考えているとして、まあ、うまく通じなかった。まあ、釣りみたいなものだったのではないかな。 自分に政治家の資質があるとは思えない。人を率いていく力がない。その点はなんだかんだ言っても政治家さんたちはすごいと思っている。 野田財務相が国際会議で通訳のイヤホンを充てているのを英語がわからんのははずかしいみたいに指摘する声もあったが、あのレベルの英語を誤解無く理解できるには米国で相当の学歴を詰んでいないと無理だろう。野田さんはよくやっているほうではないかと思いつつ、反面、そういうエリートがあの立場に立つこともないのだろうし、立たせると人を率いる力がなかったりする。だいたいにおいて語学屋さんには人徳がないものだ。 以前少し書いたが、私は恩人が菅さんの支援をしていた手前、彼の立候補のころか

    快晴 - finalventの日記
  • 快晴 - finalventの日記

    富士山は普通に霞んでいる。世の中は仕事始めだがまだ正月気分がうまく抜けない。というか、自分は読書引きこもり状態がなかなか抜けない感じか。夢は見たが覚えていない。朝のラジオのニュースで意外な話を聞いた。 そういえば、飯島愛の死も永田寿康の自殺も、もう過ぎ去った話題のように見える。そしてその奇妙な無関心さには、世の中というものの、ある意味では公平な残酷さのようなものがないわけではない。彼らは孤独だったと思う。そしてその孤独を癒してくれる自然的な、あるいは啓示的な介在などなかったということだろう。そしてそれはいつだって誰だって己の鏡のように脅迫されるようななにかだ。 永田メールについては、私は世間の人がいうような偽メールではないと思っている。では何かということが言い難い。いずれにせよあのメールを誰が作ったかがついに問われなかったのはおかしなことで、もし永田元議員が心労したとすればそこになにか要因

    快晴 - finalventの日記
  • 元アミューズ所属アーティストHiromi =@Mimmynyanko の晩年を語る

    元アミューズ所属アーティストHiromi =@Mimmynyanko の友人、メディアクリエイターの根尾俊介( @neo_mx )による、不運のアーティストのドキュメンタリーです。 根尾は、Hiromiが晩年に唯一直接会って話をしていた友人である。 Hiromi自身が、Twitter上で自身のアーティスト名、名を伏せていたため、Twitter上で@Mimmynyankoは有名でユニークな存在だったものの、その音楽性やバックグラウンドは謎とされていた。 続きを読む

    元アミューズ所属アーティストHiromi =@Mimmynyanko の晩年を語る
  • 晴れ・ログイン - finalventの日記

    初夏のようだ。というか、初夏か。昨晩は久しぶりに寝付かれなかった。急にしんみりと昔のユーミンの歌を聴きだしたら止まらなくなってしまった。80年代なんてほんの昨日のことのようなのに。自分に残された人生はそう長くはないんだな。いやそんなことはなんどもなんども確認したし、確認せざるをえないような状況が重なったものだが、また、ぐわんとやってくる。若い日というのもは残酷なものだなと思う。恋愛とは残酷なものだ。滑稽で惨めであるがゆえに残酷だなと思う。美しい思い出だけを残すなんてことはない。その中に、後年の老いの権力は忍び込んでいる。

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  • 曇り - finalventの日記

    花見という趣向でもないが昨日はよく花を見た。ところどころに染井吉野ではない桜もあり、心が和む。夜桜も見た。これは染井吉野だ。この世ならぬ風景といった赴きはある。そういえば、昨日の夕日は美しいものだった。昨日ブログのエントリを書いたが詮無いと思って没にした。今朝見ると没ファイルがあり、今日の思いから書き直して、まあ、これでもいいかとアップロードした。SBの孫さんの講演が人気らしいということで、飛ばし飛ばし見た。見たといえるほどでもないが、まあ、同じようにしてつぶれていった人を知っている私などには、言い方は悪いが悪いジョークだなという印象はある。生存バイアスというのは不思議なものだと思う。

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  • 雑感 - finalventの日記

    愛というのは、よくわからんものだと思う。 よく、議論をするとき、定義を明確にしろ、おまえはどういう定義で言っているのかと詰問する人がいるが、学問ではなく、人間が考える大切なことは生活経験の直感に支えられているのであって、定義はできない。愛を定義してから、愛を議論するというのはただの愚か者だろう。 愛について、エロスとアガペーといった、いわゆるターミノロジー的な話もあるが、きわめて率直に言えば、戯れ言だろう。 人は、愛を暗黙的に知っている。それが起点になる。では、どのように知るかというと、単純に魅惑・魅了の意識だろう。これが自我の臨界を暗示するので、いろいろとやっかいなことになるし、それもまた暗黙の所与だろう。人は、うっすらと、愛のなかで死ねると理解しているし、愛のなかでしか死ねないと知っている。 愛が難しいのは、それがどうも必然的に失敗するような、なにか存在論的な仕組みを持っていることだ。

    雑感 - finalventの日記
  • 薄曇り - finalventの日記

    昨晩、気になることを調べていていささか就寝時間が遅れ、おかげで寝坊した。ああ、そのわりに深夜の暴風の音を聞いていたから眠りは浅かったか。明け方、ぼんやりとふつふつとわいてくる記憶を見ていた。母親の実家の縁側の籐椅子を思い出した。不思議な気がした。いろんなものが記憶に埋まっているのか。ときおり、嗅覚と連想されて不思議な思い出が蘇ることはある。なんのために記憶を溜め込み、そしてそれを放出してこの世を去っていかなくてはならないのだろう。とか、人生モードで考えると、つい「愛」とも連想する。愛も、長く生きてくるとというか50歳も超えると、一つには記憶になる。別の面では、ああ、愛とはこういうものであったかと思うこともある。▼世間は連休になるらしい、ということは明日も休日か。お彼岸である。和菓子にはお萩(ぼた)が売っていて、好みの胡桃餡を買った。美味しいなと思う。魚屋によって少しばかり背徳の思いを隠し

    薄曇り - finalventの日記
  • 晴れ - finalventの日記

    正月物も購入・予約を終えて、あとはごちゃごちゃしたことをどうするかなくらい。今年は私事はきびしい年だった。来年もそうなりそうだ。どこまで俺は生きているんだろうとかしみじみ悲しくなってくる。コンビニからスーパーにいく歩道で路肩に腰掛けてタバコ吸っている老人がいて、旨そうに吸っていて、むしろ歩行で邪魔したくはないが現実は歩行の邪魔。まいったなと道路側をさりげなく小走りにして過ごす。年を取ると人生の敗残は明確になる。なんにもない人生だったなというのが残る。いや、あの老人がそうだとは言えないのだろうが。人生というのは案外、立志や社会から降りたときそれはそれで難しい問題があるな。昔、カーマスートラを読んだときだったか(読んだのだが)、人生には3つ学ぶことがある、だったかな、富と性と隠遁だったか。富はまあ俺には関係ない。性はかなり関係なくなってきた(EDではないが)。隠遁というのは存外に大変な問題かも

    晴れ - finalventの日記
  • 年末雑感 - finalventの日記

    先日たまたま昔よく読んでいたホームページが消えたことを聞いて、調べてみると消えていた。率直に言うと、HP主は死んだのではないかなという思いが去来した。そう思わせるところがある人だったせいもある。どこかで不思議な幸福を得て暮らしているとよいのだが。そういえば、以前この日記に書いたが、私より一つ年下の某氏は心筋梗塞で亡くなった。毎日でもないが、よく日記を読ませてもらったものだが、気がつくと亡くなっていた。ああ、と思う。 そのことと直接関係はないのだが、なんというか、人は失恋というのにどう対処して生きているのだろうかと思うことがある。特に離婚とかした人。お子さんもあって離婚した人。現実にそういう人は知人もいるのだが、だいたいはさばっとしている。過去に悔やんでいるふうはない。一般的に離婚はけっこうハードルが高く、その過程で悔やみみたいな感情は摩滅してしまうか、ああ、ふっきれてよかったという感じが強

    年末雑感 - finalventの日記
    tweakk
    tweakk 2009/12/27
    なんの問題もなく生きてるはずないと思うけど。
  • 薄曇り - finalventの日記

    気温はそれなりに上がるのではないか。いわゆる運動会日和というやつか。昨晩は手頃な音楽をいろいろ聴いていた。私は懐かしい音楽を聴くというのがきらいなのだが、このところ少しそうした思いを緩めて聴いてみる。過去も去来するが過去に付随する若い気持ちも去来する。どこに過去に置き忘れられた、どこにも行かなかった未来。夢は、どこかの温泉療養みたいな施設。私は老人ではなく、30代一人娘一人のサラリーマンとしてそこに来ている。朝のバイキングで、まずそうだなあとか見ている。娘が親をさけてうろうろしている。夢とはいえ、どうして自分の経験とはまったく違う、なんというのか人の経験の混信みたいなものになるのだろうか。

    薄曇り - finalventの日記
  • 曇り - finalventの日記

    夕方に雨が降るか。なんとなく降ってほしいような気分。夢は青春のある春の日の電車の中みたいな光景だった。隣に大柄な女性がいるのだが誰かわからない。恋人でもないようだった。朝のつばさを見つつ、自分の青春を振り返り、ふと嫌なことに気がつく。人が自分を裏切るというのはある意味で慣れてしまったが、慣れというのは構えがきついということで、構えとは人を信じられなくなることだ。人を信じられないというのはいろいろ段階があり、そして心底信じるというのも自己驕慢の類だろうとは思うが、それでも微妙に悪意のバランスのようなものもある。これはやっかいな問題か。人を人は道具として見るべきではないとはいえるが、欲望というのは基的にそういう枠組みを持っているのだろう。魅惑的な人ほどその枠組みに嵌るようにできてもいる。などなど。

    曇り - finalventの日記
  • 売れ残ったと思う 無題のドキュメント

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/08/31(月) 01:18:14.19 ID:mAf1AG9z0 もう駄目だと思う 52歳♀ 【50才で赤ちゃんを!】 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/08/31(月) 01:18:42.71 ID:MY6HxXkM0 おれが貰ってやるよ 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/08/31(月) 01:19:28.59 ID:5AZWrLYk0 またアラフォーとか言って、35歳ぐらいの女が愚痴ってんのかと思ったら・・・ なんかごめん・・・ 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2009/08/31(月) 01:19:45.43 ID:Ns5iUSoU0 でも70歳くらいの爺さんからみればピチピチじゃん。 孤独な爺さんいっぱいい

    tweakk
    tweakk 2009/09/04
    ちょっと不幸かもしれんがふつうだと思う。憐れみ視線おおすぎじゃないか?
  • なかなか一歩を踏み出せない君へ、さいころを振らなければ奇跡は起きないんだよ - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    いい話を読んだ。 ここ数ヶ月くらいダメになってた http://anond.hatelabo.jp/20090813020327 半分ぐらいは、たまに仕事に億劫になる自分についてのことでもある…。自戒だな、まじで。 奇跡や成功ってのは、いや、それに限らず欲しいものというのは、欲しいものに手を伸ばす行為とか努力とかが伴わなければ手に入らないんだよね。こうであったらいいなあ、と願うものは、それが現実的だろうが妄想だろうが、そうであるように願い、考え、行動しない限り、近づくことはできない。 妄想で言うなら、例えば野球選手になれたらとか、生まれ変わることができたらとか、物理的に無理じゃん、というような目標。考えるだけ無駄、だけど、それに類似するような、これからの目標を自分の中に作って消化することぐらいはできるんじゃないだろうか。 自分では苦労していると思っても、思い返してみると大して苦労してなくて

    なかなか一歩を踏み出せない君へ、さいころを振らなければ奇跡は起きないんだよ - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • ぶくまのトップにあったのでつい読んでみた - finalventの日記

    ぶくま⇒はてなブックマーク - ほんとに成功する法則。(ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム) ネタ元⇒ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム 目標がはた迷惑なことがある云々がオチになっているけど。 実際には、成功というのは、時の運、人の運、あるいは悪魔の遊び、で、その人に課せられたものになると思う。 時の運というのは、宝くじに当たるようなもの。いわゆる運。それと、時流の乗っておけ、セカンドライフで騒いだあとはすっぱり忘れてトィッターで騒いでみると。時の運に当たる確率は高まるだろうから、この手の阿呆は後が絶えない。 人の運というのは、成功とやらを多くの人が助けてくれること。だから、成功というのはどことなく「公」的ななにかを含んでいる。ああ、この人を援助してあげようという人々の支援で成功が成り立つ。なので、重要なのは、その「公」的な志というかそういう部分。ただ、これは人の個人の特に性の部分を浸蝕す

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