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呟きと性に関するtweakkのブックマーク (9)

  • 晴れ - finalventの日記

    春らしい薄曇り。花もぼちぼちと咲き始める。また、この季節かと思う。私はたくさん花を見る。カネに恵まれる運命ではなかったが、花には恵まれている。だったら、それもいいじゃないかと思う。宣長の歌に花と契るというのがあったと思ったが、そしてそれは暗喩でもあるのだろうが、花にはそう思わせるものがある。女に恵まれたか? まあ、そこはどう語るか苦いものがある。50歳過ぎてみると、若いときに思った性欲が衰えるというのは微妙に違う。もちろん、衰えるのだが、衰退というより、意識にうるさく干渉しないようになるというのと、自我の癒着した性欲のようなものに変質する。権力やカネがあれば、こうした屈曲それ自体が自我と化してくるだろう。女もいわゆる美人であれば40からの衰えをどう受け止めていくかで似たようなことになる。

    晴れ - finalventの日記
  • 晴れ - finalventの日記

    冬の空気ではない、晩秋の朝だなという感じだが、まだ紅葉は早そうだ。 夢は。詳しくは覚えていないが、なにかの騒動でそこにいた赤ちゃんを背負っていくというもの。赤ちゃんくらいどうってことはないだろうと背負うのだが、これが重たい。人間の重みかとか思っている自分がいる。 このところ、エキササイズ量が減っていかんな、やや風邪気味というのもあったりするなと思いつつ、奇妙に感性が若くなっている部分がありそうだ。老化の過程というのは単純に減衰していくのではなく、ある部分は補償的に鋭くなるのだろうか。 私は悔いの多い人生だし、青春もまあそれなりに悲惨だったが、さすがに若い頃の経験は他人事のような乖離感はある。が、逆にその乖離感ゆえにその感覚が純化されているような感じはする。 では現実的に、ゲーテとまではいかないが、あるいは西洋男性の初老にありがちな恋心みたいな心があるかというと、そこは微妙というか。現実問題

    晴れ - finalventの日記
  • 人の心のテンプレというか - finalventの日記

    自分が世間観察した感じでだけど、気違いは別として、いわゆる極悪人でも、自分がよい人間だと思われたいと思っているみたいだ。もちろん、やっていることは極悪なんで、社会的によいわけはないが、自分は社会の価値より大切なものがあるんだ、みたいな部分がある。あるいは、気違いの部類だが、よいと思われなくても、自分の欲望に忠実で生きたいみたいな。 で、どっちも、実は、ある種孤独の変形。極悪人はそれを理解してくれる人を信じたいし、欲望に忠実とか言ってる人もその欲望は孤独の裏返し。 つうわけで、どっかで孤独に通じていて、そして、孤独は、なんというか、愛情の経済学に通じている。 愛情というのは、実際的には、身の回りやちょっとその近辺、あるいはメディアで広げたりもするけど、愛情を注ぐ分と見返りを孤独や欲望でバランスしている。 まあ、そんなもの。 ただ、それでも、孤独は孤独だし、そういうのって愛ではないだろうなとは

    人の心のテンプレというか - finalventの日記
  • 恋をしている感覚 - finalventの日記

    恋というのはなにかしら狂気めいたものがあり、世界の認識が変わる。ただ、誰もが自分の恋というのをうまく理解できない。それはまず身体を巻き込むように世界が変わる。そして、その恋とやらが終わるとき、身体が引きちぎられるようにまた世界が鉛の彫像のようになってしまう。 それがなんどか、おそらく数回だろうが、繰り返されると、人は世界と他者に奇妙な対応を取るようになるというか、ほのかに定常的な狂気を抱え込んでしまうように思える。 この恋のような何かがゆるく続く愛情のようなものに変成するのかもよくわからない。 ただ、これは親子関係というか原初的な性を含んだ愛の関係の病理と関係しているのだろうとは思う。その意味で、恋の感覚は、反復の病理を質としているのではないかと思う。 自分はそうした世界との関係がよくわからないまま、単純にいえばズタボロになったので恐い世界とはなっているし、そこからずいぶん長い時間を掛け

    恋をしている感覚 - finalventの日記
  • 性行為の逆説というか - finalventの日記

    男も女の性行為の経験の多い人間が、比較的、よく語るし、その語りには、性行為を見切ったような概観が含まれる。 だが、滑稽なのは、そうした概観ほど古典の世界で描かれ陳腐になっているものはない。少なくとも語られた性行為の経験の概括は、つまらないものにしかなりえない。そして残るのは、彼らの多数の性行為の実践だけになるが、そこにそれだけの生と身体をかける欲望の意味が、逆説として性行為の意味から遠ざけてしまう。 山夏彦翁も言っていたが、たくさんの女の経験があるといっても、一人で千人分を薄めたのようなものでしかないという面もあるだろう。まあ、そのあたりの予感で、引き返すか、およそそういう世界と無縁になるべく定められた凡人が多い。 ふと思ったのだが。 これだけ人間種が性行為の可換性を持っているのは、遺伝子や進化という枠組みより、社会の臨界と内部のコミュニケーションの原型なのかもしれない。 団塊の世代の、

    性行為の逆説というか - finalventの日記
    tweakk
    tweakk 2007/05/03
    よく満足させたいと思う。それだけ。
  • 世の中の仕事ということ: 極東ブログ

    朝日新聞社説「20歳の君に――世界に一つだけの花」を読みながら、だるい感じがした。ああ、だるいなぁという感じだ。いつもなら次のような朝日の言い分にむかっ腹を立てるのだが、だるい。 アフリカの西の端にある、シエラレオネという国を知っているだろうか。平均寿命34歳。世界で最も短命な国だ。 「国境なき医師団」の一員として遠いこの国で活動した医師、山敏晴さんが昨夏、出版した「シエラレオネ 5歳まで生きられない子どもたち」(アートン)のページを改めて開いた。 よく言うよ。こんな時に手前勝手に「国境なき医師団」の活動を持ち出すなよ、恥ずかしいな、と思う。国際情勢といえば、アフガンだイラクだと騒いでいたころから、「国境なき医師団」のレターではシエラレオネが取り上げられていた。でも、ま、いい。というのは、先日マリのコレラの話を極東ブログに書いたが、この問題はもはや人道の問題を越えているように思うからだ。

  • ま、ざっくり - finalventの日記

    にしてもというか吉は端っこだが、国家論、国家権力の起源論、というのは、どうもなんか前提そのものが変だという感じはしている。軍事力や権力の概念が違っているというか抽象的すぎる。 むしろ、貨幣=信用の公義というとこで王権が特徴付けられるではないか。これはちょっと誤解を招きやすいが、つまり、そこから王権ができるわけではない。 ユダヤ、ソグド、イスラム……これに、近江商人を入れてもいいと思うのだが、内的な公義によって信用と遅延のシステムができあがり、市場は彼らへの依存によって動く。この場合、地方の小さな王権は、商業システムのなかで均衡することで、いわば、公義を市場に搾取されることになる。 絶対王制は逆に、この信用の公義が王権化したものだろうし、現代社会はけっこうそれっぽい。 ま、で。 ざっくりの部分だが。 たぶん、女系社会(系は関係ないが)、女が子を産み育て、生存を維持再生産されるところに、

    ま、ざっくり - finalventの日記
  • メスが着飾る - finalventの日記

    というふうに言っていいのかよくわからないが。 大抵の種では、オスが着飾る……じゃないがいろいろ「美」を競ってメスの気を引く。メスはまあ、そうした「美」を判定する。性戦略。 で。 れいのシンメトリーをメスが好むというのは、まあネタかはさておき、それ自体も「美」であれば、オスが着飾るじゃないが、オスの美ともいえる。 というか、メスが着飾るというのは、人間種というより、ある歴史空間の特異性か? で、また貨幣だ。 この構図のなかにたぶん、貨幣というか、価値への信頼なりが存在する。というか、遅延された労働の交換性への原初的な確信が込められている。 といういか、人間社会の貨幣と同一視できないかもしれないが、各種において貨幣的な存在があり、それが性戦略に関連している。 この場合、貨幣の遅延性がけっこう重要で、実際のところ、人間種の場合、極度のネオテニーを結果的に選択したため、女系であるか(女が子を育てる

    メスが着飾る - finalventの日記
  • たとえば女といふものについてちょっとだけ - finalventの日記

    歳を取ると、男の場合だが、女というのもの見え方が変わる。おっぱいなんざ乳飲み子のものだし、おいどなんかは労働のものだ。女の労働とかいうときいきい言われるだろうが、女たちはその身体を変えるほど女の労働をしきていた。 もちろん、女は男にとって性の対象であることは変わらない。しかし、女というのが、幼女から老婆まである一つの流れのように見えてくる。それに比すと男というのは、似ているようで似てない感じがする(ここは言い難い)。 流れというのは、若い女の顔から老いた顔も読めるし(顔だけでなく)、老いた顔から若い顔も読める。読めてどうだというのではなく、ただ読める。 それと、この歳になってみて思うのだが、男なんてどんな男もゴミみたいなものだが(偉大であってゴミ的な部分は変わらない)、女の大半は、後半生は、不幸、というのがいつもつきまっとっているように思う。 老いた女からは不幸が臭うし、若い女からは不幸へ

    たとえば女といふものについてちょっとだけ - finalventの日記
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