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呟きと日本に関するtweakkのブックマーク (7)

  • ちょこっと小沢一郎のこと - finalventの日記

    こっそり思っていることで書くつもりもなかったのだけど、というか、誤解されるのめんどくさいなというか。でも、たいしたことでもないし、ちょこっと。二つ。 夢というわけではないけど、なんとなく、ビジョンがさらないのは、農道に蜜柑箱を置き小沢がそれに乗ってなんか言っている光景。農民が数人あつまっているという光景。たぶん、実際にあるんじゃないかなと思う。その姿を彼が生きているうちに見ておいたほうがいいかな、と。ただ、現実は民主党的な取り巻きの図なんだろうなと思うと萎える。 小沢が必死で社民党や国民新党を囲い込むとしているのは、簡単にいえば党利というだけの政治なんだけど、彼は彼で、実は反対する勢力をどこまで取り込めるかという一つの政治観の直感があるのではないか。その延長には自民党も取り込みたいというのがあるだろうし、れいの大連立もそうだったのかもしれない。それと、自民党政権を倒すというのは表面的には矛

    ちょこっと小沢一郎のこと - finalventの日記
  • ちょこっと - finalventの日記

    もうあまり言うことはないだろうし、私をネットウヨ認定する人もいるみたいで、ネットウヨ=反韓・嫌韓という連鎖になってそういうイメージを投げる人もいるだろうし、実際、表面的には親韓とは見えないだろうし、そうでもないかといろいろ思いはする。ただ、極東ブログをもしきちんと読まれている人がいたら、私が朝鮮にいろいろ思いを持っていることがわかるかも……いや、それこそが甘えというものだな。 ⇒極東ブログ: トラジ、トラジ 私の父は10歳から20歳まで朝鮮で過ごした。物心つくころから朝鮮にいた。日人コミュニティにいたともいえるが、当時の朝鮮は、異論もあるだろうが、日人コミュニティに朝鮮人を内包している部分もあり、必ずしも対立的ではなかった。このあたりの微妙な感覚は五木寛之の「風に吹かれて」にもある。 ⇒「 風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ): 五木 寛之: 」 五木は父よ

    ちょこっと - finalventの日記
  • 基本っていうか - finalventの日記

    そういえば私が子どものころ、祖父が風呂に入りながら壺坂霊験記のさわりをうなっていたことを思い出した。そういえば風呂屋でも一節うなっている爺がよくいた。いつからか、爺はみんな戦後生まれになって、そういう風景を見なくなった。 ああいうのは基っていうのは違うのかもしれないけど、あの情感がわからないと、戦前に繋がる日というものの感覚はわからないではないだろうか。 たぶん、団塊の世代の人たちは、記憶を丁寧に思い出せばあの世界を再獲得できるというか、できないわけはないのに。

    基本っていうか - finalventの日記
  • 今日の増田的議論 - finalventの日記

    ⇒所詮この世は学歴社会 エントリはどってことなく、そしてレスの継続もとくにどってことないけど、なんとなく話題が続いていきそう。 ちなみに、日はいまだに学歴社会。でも、それはそういうのを必要とする生き方をするかというだけのこと。 学歴にしてもあと家柄にしてもそうだけど、まあ、私の世代以下だと薄れる部分はあるのだろうけど、簡単にいうと、嫁とか旦那とか自由にもてなくなるんですよ。まあ、露骨にいっちゃうと、嫁ならそこそこ美人のお嬢さんだし、旦那ならかっこよくて健康で頭がよいという粒ぞろいなんで、で、ようするにそういう階層の人間でも凡庸だから、そのあたりでサティスファイして幸せなんだけど、でも、当に自分という意識に、階層性への離反的に目覚めると、すげー不幸になりがち。というか、ちきんと離反できた人は幸せだけど、その中間地帯に、20%くらい不幸の帯がある。 富と名声を得てそして内面が不幸だけどそう

    今日の増田的議論 - finalventの日記
    tweakk
    tweakk 2007/12/10
    「学歴社会っていうのは、大学とかのレベルじゃなくて、OB会とかその上につながって、嫁とか旦那につながっていくところにある」
  • それはすごく違うんですけど - finalventの日記

    たぶん通じないと思うが。 今頃見たのでちょっと。 ⇒2006-11-02 : おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日 という断定は、どう読んでも、あくまでもfinalventさんの主観でしかない。主観と言って適切でなければ、思い入れ、あるいは熱い想い。そういうところから、「私は彼らの思いをどうくみ取ってその裔に伝えるだろうか」というfinalventさんの吐露がでてくる。 主観云々のところは、まあ、なんというか、長い議論になるので割愛。 「存在の規定」からも、もっとはっきりわかります。そこから出発して、そのような規定を(いわば勝手に)父祖に当てはめつつ書き手の熱い想いを託している。あるいは熱い想いがあるからこそ父祖にまでさかのぼって想像した上で詠嘆する。なるほどfinalventさんの立ち位置はここにあるのだ、ということがよくわかるわけです。 で、これはすごい誤解だなぁ、しかし、

    それはすごく違うんですけど - finalventの日記
  • 仁徳天皇陵……とか - finalventの日記

    天皇陵のわけないじゃん、は、さておき。 日の古代史とやらはあれを、軍事ベースの政権と見る。 あほか。と私は思うのだが、思っても無駄で、あほは私っていうことになるので、古代史学なんかどうでもいい。 なぜこの極東の島にあれだけの富ができたか、というのが原点。 そしてあれは、極めて祭祀、というのが条件。 そこからダイレクトにわかることは交易のための公義=貨幣のインフラということ。あれ(前方後円墳)が日国内にあるというのは権力のシステムではなく、交易の副次的なシステムなわけで、この列島から海を介して富を得るシステムが確立していたということ。 つまり、これは華僑でしょう。 ただ、どのような華僑かがわからないし、どのような宗教かがわからない。 大枠では道教であることは間違いない。 難しいのは、なぜこの島にその富のシステムが出来てしまったのか。山東半島とか朝鮮半島のほうが便利じゃないかと思うのだが、

    仁徳天皇陵……とか - finalventの日記
  • 吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記

    ソフト・スターリニズムとは何かが以前なら感覚としてある層には共有されていた。おそらく、60年代安保から70年代安保への裂け目の感性を持つ人がいたからだ。それと、吉は関わらなかったが、ハンガリー動乱が日共的なもののの質的な解体を志向していることに気が付いた人がいたからだ。 今その感性が崩れ去ろうとしてのは、彼らが死期を迎えつつあるからか。しかし、その問いは歴史のなかに忘れ去れさられるに足る解体を遂げただろうか。 そうではないだろう。むしろ、その間隙のなかでべ平連的なものが、戦後民主化的なものと結合して※※的なものに結合して、歴史の感性を失った30代から20代の旧知的な特権に吸着される若者に見られるようになった。面白いことに、吉主義者の私に対する攻撃がこのあたりから起きてきたのはあまりに漫画的というか、俺も吉主義者なんかやってるからだよ、な。 この若者たちには60年代から70年代の間隙

    吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記
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