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1980sとインタビューに関するtweakkのブックマーク (8)

  • 『原作者・武論尊、もしくは史村翔』

    漫画ファンのみならず、漫画を読まない人たちでさえ、この作品を知らない人はいないはず。と言っても過言ではないほどのメガヒット作が、1983年集英社の週刊少年ジャンプに誕生した。それが武論尊先生と原哲夫先生のコンビが生み出した世紀末アクション巨編『北斗の拳』。作品の誕生から20年近い時間が経過した今もなお新たなファンを生み出し続けている『北斗の拳』は、いかにして私たちの前に登場したのか? 武論尊先生のお話をお楽しみください。 (取材日/2003.12.22 写真/練馬高野台、自宅の書斎にて) ●『北斗の拳』の連載のきっかけは? 【編集メモ】 *『北斗の拳』1983(S58)年41号~1988(S63)年35号 集英社 週刊少年ジャンプ 漫画/原哲夫 1983年。 原(哲夫)先生がね、 『北斗の拳』というタイトルの読み切りを描いたの。 拳法使いの主人公が、北斗神拳を使って悪を倒すっていう…。 で

  • 『原作者・武論尊、もしくは史村翔』

    デビュー以来30数年、過酷な漫画創作の世界を原作者として生き抜いてきた武論尊先生に、今回は同業の原作者について語っていただきました。大いなる先駆者や語り合える原作者仲間に対する秘めたる思い。そして、最近の小説原作に対する感想など、生身の武論尊先生のお話をお楽しみください。 (取材日/2005.3.19 写真/愛車の前で) ●ほかの原作者の仕事などをよくチェックされたりしますか? 全然しない。 なんだろうな、なんでしないんだろう…。 でも、例えば、新連載を起こしたってのは見るよね。 どんなモノ描くのかなって…。 漫画家が新連載を起こしたときよりは、 知ってる原作者が新連載を起こしたほうが見るねぇ。 やっぱり、同業者として興味があるし。 別にライバルっていうことじゃないんだけど、 どういうところに着目したかなって…、 それは気になるから、見るね。 (継続的に見てたりは?) 面白かったら見るよ、

  • 白石隆之へのインタビューその3: コルドブログ

    ――90年代後半はどうでしたか? ブレイクビーツからエレクトロニカといわれていたシーンへ繋がっていった時代ですね? 「テクノは<機能性>を基準にフロア向けとリスニングとに二分化されていった。俺としては『そんなに単純じゃないだろう…?』という思いがあって。その<機能性>というのは踊れるかどうかという意味で使われていたわけだけど、その踊れる音というイメージのレンジが狭すぎると思った。その頃には一方でMO'WAXやNINJA TUNEなどがブレイクビーツにテクノ的な感覚を取り入れてきたし、テクノでリスニングとか実験的と言われるものにもいいグルーヴのある曲はあって。そんなわけでメイン・フロアとチルアウト・ルームとのその中間みたいな場が自分の頭のなかに浮かんでいた」 ――80年代初めには、主流であった極端な振り分けとは違う音楽的な部分を求めて探求されていました。90年代中頃になると、フロアとリスニン

  • 白石隆之へのインタビューその2: コルドブログ

    ――次に自分のなかで音楽的な盛り上がりが来たのはいつの頃ですか? 「80年代終盤のアシッド・ハウス。そこで自分のなかが切り替わる感じがした。その前にハウスという言葉自体は耳にはしていたものの、その言葉の意味があまりにも曖昧で理解出来なくて。でも一応80年代後半から気にはなっていたところにアシッド・ハウスという言葉がでてきて、なんとなく判ってきたんだけど、さらなる疑問も沸々と湧いてきた。なぜこんなドライな音なのか。ドラム・マシンが素の音で鳴って、展開もなく垂れ流しになっているのはなぜなのか、と。全くエフェクトがかかっていない音というその意味が、さっぱり理解できなかった。当時はアート・オブ・ノイズとかの、派手なゲート・リバーヴのドラムの音なんかがオーヴァー・グラウンドでは主流だったから。それとは真逆の、ものすごく貧しい音で。なぜゴージャスにしないのか、あえてしていないとしたらその理由は何なのか

  • 白石隆之へのインタビューその1: コルドブログ

    これから数回に分けて、つい数日前におこなった白石隆之へのインタビューをお届けします。インタビュアーは栗原大さん。実は、今回の白石隆之のアルバムは、そもそも栗原さんが以前やられていたTri-Eightからリリースが予定されていたものでした。それが諸般の事情で頓挫し、僕の手で再び仕切直しをしてリリースにまで漕ぎ着けたというタイトルなのです。なぜ、僕らがこの作品をリリースしたかったのか、その一端がこの長いインタビューから伝われば、そして、白石隆之という人のまだ語られていなかった部分、聴かれていなかった部分が見えてくれば、とても嬉しいです。 ――1982年の曲が収録されていますが、これが初めてのリリースだったんですか? 「これはリリースしていない曲だね。初めてリリースしたのは1980年。高校のときに、パンクとかニュー・ウェーヴの流れのなかで生まれた、ヴァニティっていうインディーズのさきがけみたいな

    tweakk
    tweakk 2013/06/04
    強く共感しつつ読む
  • 29歳のスティーブ・ジョブズ、iPLAYBOYで読んでみました

    29歳のスティーブ・ジョブズ、iPLAYBOYで読んでみました2011.07.22 12:306,297 福田ミホ このたび、男性向け雑誌PLAYBOYからiPad向け雑誌のiPLAYBOYがローンチされました。iPLAYBOYでは、アメリカのPLAYBOYのバックナンバーが1953年の創刊号からすべて(!)閲覧できます。 たとえば1987年のバックナンバーでは、フリーのジャーナリストのデヴィッド・シェフ氏による若き日のスティーブ・ジョブズのインタビューを読めたりします。以下、その記事になります。 今回の「インタビュー」は、ある子供のバースデーパーティでジョブズに会ったとき、ほぼ終わっていました。それはニューヨークシティで行われた、セレブリティでいっぱいのパーティでした。夜が更けてきたとき、ジョブズが9歳のバースデー・ボーイにカリフォルニアから持ってきたプレゼントを渡そうとしているのに気づ

    29歳のスティーブ・ジョブズ、iPLAYBOYで読んでみました
  • Business Media 誠:“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮本茂氏の設計哲学(前編) (1/5)

    “よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮茂氏の設計哲学(前編)(1/5 ページ) 電機産業や自動車産業などの日伝統の製造業が世界市場で苦戦を強いられる中、存在感を拡大させているのがゲーム産業の雄、任天堂だ。2009年3月期の売上高は1兆8386億円、株式時価総額は3兆円超と日第9位の企業となっている(2月9日現在)。 京都で花札やトランプを製造する一企業に過ぎなかった任天堂が飛躍を遂げる上で、キーパーソンとなったのがゲームデザイナーの宮茂専務取締役情報開発部長(57)だ。宮氏はマリオシリーズやゼルダの伝説シリーズのほか、『Wii Fit』のような健康管理ソフトも開発、老若男女を問わず、世界中の人々から支持を獲得している。 ゲームデザイナーとしての30年間の業績が評価され、第13回文化庁メディア芸術祭(主催:文化庁、国立新美術館、CG-ARTS協会)で

    Business Media 誠:“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮本茂氏の設計哲学(前編) (1/5)
    tweakk
    tweakk 2010/02/11
    70年代生まれの人には人生そのもの/スーパーマリオは”カートリッジの最後の記念”だったのか/新・鬼ヶ島大好きだったな・・・
  • ■邪神の啓示――『ドルアーガの塔』編

    黒字=2ちゃんねらーの質問 緑字=遠藤氏の回答(文頭のS、A~Eは遠藤氏による質問の評価点。Pはペナルティ級) 赤字=GIL@D/LAB.管理人のコメント(ないのが大半です) □ ドルアーガシリーズのストーリーって、ゲームのために作られたっていう感じがしなくてすごく好きです。勇気を身軽さにかえるティアラとか、力にかえる黄金の鎧とかの設定も当に生きた設定だと思います。 ★ バビロニアンキャッスルサーガは、もちろん「バベルの塔」にインスパイアされて作ったものです。 ある日、同僚の女子社員(和田久美ちゃん、この子が個性的な子なんですよ)と一緒に池袋まである講演会を聞きに行きました(半分仕事)。その会場で渡されたチラシの裏につらつら書いていったイメージを、彼女と共にストーリーの形にまとめたわけです。 天界と魔界の分化、イシターとドルアーガの戦い、ドルアーガの封印などなどのプレストーリーは、いまだ

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