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原発とおっさんほいほいに関するumiusi45のブックマーク (5)

  • 茨城臨界事故から20年 減る関係者 教訓いかに伝えるか | NHKニュース

    被ばくで2人の作業員が亡くなった茨城県東海村の臨界事故から30日で20年になります。住民避難も行われ、当時、国内最悪の原子力事故といわれましたが、事故を知る住民や関係者も減り、教訓をどう伝えていくか課題となっています。 バケツで核燃料の原料を混ぜ合わせるなどの違法な作業が行われ、核分裂が連続して起きる「臨界」が発生、男性作業員3人が大量に放射線を浴びて2人が亡くなりました。 会社は核燃料加工の事業許可を取り消され、安全管理を問われた当時の会社幹部と社員合わせて6人に、執行猶予のついた有罪判決が言い渡されました。 事故は原子力防災体制の不備も明らかにしました。 国と自治体、事業者の連携がうまくいかず、臨界の収束に1日かかったほか、避難の判断や指示を誰が行うかなどでも混乱がありました。 国は事故後特別措置法を作って国が主導して対応をとることを定めたほか、全国に「オフサイトセンター」と呼ばれる防

    茨城臨界事故から20年 減る関係者 教訓いかに伝えるか | NHKニュース
    umiusi45
    umiusi45 2019/09/30
    「バケツでウラン」は衝撃的だったなぁ~
  • チェルノブイリは「ふつう」だった

    30年前の1986年に事故を起こした、あのチェルノブイリ原発に行った。外見だけじゃなくて、なんと内部にも入った。ずっと行きたかった場所だ。 いや、ずっと行きたかった、っていうのは違うかな。まあそりゃ見てみたいけど、ほんとうに行けるとは思ってなかった、って感じだ。 いざ目の前にしたら、すごかった。いまでも「あれは夢だったんじゃなかろうか」と思ったりする。 と、同時に「ふつうだなー!」とも思った。その話をしよう。

    チェルノブイリは「ふつう」だった
    umiusi45
    umiusi45 2016/11/18
    「未曾有の大事故の落とし前をつけるには、多くの人の日常が必要とされるということなのだな。」
  • 『美味しんぼ』雁屋 「福島編はまだ続く。鼻血ごときで騒いでる人たちは発狂するかもしれない」 : 痛いニュース(ノ∀`)

    『美味しんぼ』雁屋 「福島編はまだ続く。鼻血ごときで騒いでる人たちは発狂するかもしれない」 1 名前: キン肉バスター(芋)@\(^o^)/:2014/05/04(日) 16:46:18.03 ID:zvUoJjVD0.net 「美味しんぼ 福島の真実篇」、その22で、鼻血について書いたところ、色々なところで取り上げられてスピリッツ編集部に寄れば、「大騒ぎになっている」そうである。私は鼻血について書く時に、当然ある程度の反発は折り込み済みだったが、ここまで騒ぎになるとは思わなかった。 で、ここで、私は批判している人たちに反論するべきなのだが、「美味しんぼ」福島篇は、まだ、その23,その24と続く。その23、特にその24ではもっとはっきりとしたことを言っているので、鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。今まで私に好意的だった人も、背を向けるかも知れない。 私は自分が福島を2年

    『美味しんぼ』雁屋 「福島編はまだ続く。鼻血ごときで騒いでる人たちは発狂するかもしれない」 : 痛いニュース(ノ∀`)
    umiusi45
    umiusi45 2014/05/07
    それで福島をどうしたいんだよこのキチガイは 」「 主人公勢が放射能でヤバいことになったら評価するけどそんなことにはならないんだろうなぁ… 」
  • 小泉氏と細川氏、脱原発で再びタッグ 社団法人設立へ:朝日新聞デジタル

    小泉純一郎(72)、細川護熙(76)両元首相が、脱原発を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」を設立する。再生可能エネルギー普及の研究に加え、今秋の福島県知事選などで脱原発候補を支援することも検討している。 小泉、細川両氏は「推進会議」の活動方針を、①原発ゼロ・再生可能エネルギーの普及促進②原発再稼働反対③原発輸出反対、とすることで一致。今後は、新潟県や青森県など原発関連施設がある地域を中心にタウンミーティングを開き、小泉、細川両氏も出席して脱原発への機運を高めたいという。また、「推進会議」の活動と並行し、秋の福島県知事選や来春の統一地方選などで脱原発候補の支援も検討する。

    umiusi45
    umiusi45 2014/04/15
    今秋の福島県知事選などで脱原発候補を支援することも検討している。
  • 原発、尖閣諸島、新幹線……みんな角栄からはじまった。没後20年、田中角栄の功罪を検証 - エキサイトニュース

    1993年12月16日に元首相・田中角栄が75歳で亡くなってから、きょうでちょうど20年が経つ。この年の夏の総選挙では自民党が議席を大きく減らしたのに対し、新生党や日新党といった新勢力が躍進、選挙後には8つの党会派が組んで、細川護熙(日新党)を首相とする非自民連立政権が発足していた。 そういえば、私の通っていた高校の二学期の終業式で、校長が「新政権が発足したのと入れ替わるように、旧時代の遺物である田中角栄が亡くなり……」みたいなことを話していたのを思い出す。それを聞いて私は、「何言ってやがる、細川護熙も新生党の羽田孜も小沢一郎も、みんな元はといえば田中派じゃねえか」とツッコミを入れたものである。心のなかで。 この20年のうちに、田中派の流れを汲む自民党の平成研究会は、かつて党内最大派閥だったことが信じられないほど縮小するとともに、田中の愛弟子である小沢一郎が自民党を飛び出して進めた政界

    原発、尖閣諸島、新幹線……みんな角栄からはじまった。没後20年、田中角栄の功罪を検証 - エキサイトニュース
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