島原の乱は、江戸時代初期に起こった一揆で、幕府のキリシタン弾圧に対する反乱でした。日本歴史上最大規模となる一揆で、幕末以前では最後の本格的な内戦となります。 島原藩主松倉勝家は、過酷な年貢の取り立てを行っていました。そして、年貢が払えない農民や改宗を拒んだキリシタンに対して、あまりにひどい拷問や処刑を続けたことに対する反発から発生したのです。 島原の乱とは、寛永14年(1637年)に起こったキリシタン農民による一揆を言います。 島原・天草の乱、若しくは島原・天草一揆とも呼ばれていて、悪辣極まる悪性を敢行した天草や島原の領主に対して、反発し立ち上がった農民たちが、当時廃城となっていた原城を本拠地として抵抗を続けたのでした。 参加農民は3万8,000人とされていますが、幕府が動員した武士の数はなんと12万人と言われています。この兵力の大差にもかかわらず、挙兵してから原城を落城させるまでに半年を