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外国にルーツを持つ子どもたちが増える中、学校や園の給食に新たな課題が浮かんでいる。宗教上の理由で特定の食材をタブー(禁忌)にする子への対応だ。社会に多文化共生の考えは広まっているが、現場の負担増も懸念される。身近な困りごとや疑問を募って取材する#ニュース4Uが、「共育」への道を探った。 「お友だちの子どもが小学校で宗教食(豚肉除去)に対応してもらえず困っています」。東京都新宿区の女性(42)からニュース4UのLINEに取材依頼があった。 「ママ友」はオーストラリア出身の女性(33)。コートジボワール出身の夫(36)がムスリム(イスラム教徒)のため、日本で生まれた7歳と3歳の2人の娘も生まれながらにしてムスリムになった。 ムスリムは戒律で豚肉が食べ…
正統と異端が織りなすダイナミズム。これは他の文化圏にくらべて、中世ヨーロッパ世界に特徴的な歴史事象である。ヨーロッパでは、中世の正統と異端の相剋の中から、宗教改革の理想も市民革命の精神も生まれたといってもよい。ーー『中世の異端者たち』より(写真) 目次 なにが正統でなにが異端なのだろうか?(甚野尚志著『中世の異端者たち』) ジョン・ウィクリフについて(甚野尚志著『中世の異端者たち』) イングランドと教皇庁 ウィクリフの教会批判 ロラード運動 宗教改革の先駆者たちーージョン・ウィクリフ(E・ケァンズ著『基督教全史』) ジョン・ウィクリフの聖書解釈について(アンソニー・C・ティーセルトン、ノッティンガム大) 【関連記事】オリゲネスは ‟異端者” か、それとも ‟聖人” か?(by デイビッド・ベントリー・ハート) なにが正統でなにが異端なのだろうか?(甚野尚志著『中世の異端者たち』) 甚野尚志
「沈黙-サイレンス-」、絶賛公開中、配給:KADOKAWA、 (c) 2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved. 芥川賞を受賞するなど20世紀を代表する日本作家である遠藤周作。数ある作品の中でも、キリスト教が弾圧されていた時代の宣教師や信者への迫害を描いた「沈黙」は、多くの人の心をとらえ、遠藤文学の代表作として推す向きも少なくない。先日、文庫本の売り上げ部数は200万部を超えた。 その「沈黙」が映画化された。しかし、日本映画として作られたのではない。「タクシードライバー」や「レイジング・ブル」などを代表作として持つアメリカ人監督のマーティン・スコセッシ氏がメガホンをとり、ハリウッド映画として作られた。昨年末に米国で公開され、日本でも1月に公開が始まった。 残念ながらアカデミー賞の候補としては撮影賞のみのノミネートに留まったが、海外のメディアでも頻繁に取
「ヤマザキパン」の迅速な対応に各方面から称賛の声が上がっている。大きな災害が起こるたび、山崎製パンのトラックが被災地に“一番乗り”する光景は珍しくないが、それを可能にした同社の“DNA”の秘密に迫った。 【写真を見る】よく見ると意外な商品から大人気パンまで… 「ヤマザキパン」届けられた支援物資の気になる中身 *** 「ヤマザキパンさん、いつも災害時にご支援ありがとうございます」 1月3日、自民党の佐藤正久・参院議員は自身のXに、山崎製パンのトラックから自衛隊員の手で支援物資が次々と運ばれる動画とともに、こう感謝の言葉を投稿した。 最大震度7を観測した能登半島地震は発生から5日目を迎えたが、現在も懸命な救助活動が続けられている。電力供給や通信サービスといったインフラ面の制限に加え、必要な物資も滞るなかにあって、いち早く支援物資を届けたのが山崎製パンだった。 「これまでも同社は阪神・淡路大震災
ガザ地区にはローマ・カトリックとギリシャ正教のキリスト教徒が約1,300人住んでいるピアバティスタ ・ピザバラ大司教が、今年、早めのクリスマス・ミサを司式したハゼム・バルーシャ パレスチナ、ガザ市: ガザ市では、今月初め、小規模ながらも強い絆で結ばれたカトリックのキリスト教徒コミュニティがホーリー・ファミリー教会でのクリスマス・ミサに集まった。このクリスマス・ミサはエルサレムのカトリック総主教のピアバティスタ ・ピザバラ大司教が司式した。 ガザ地区のキリスト教徒の多数がベツレヘムに移動し降誕教会での深夜ミサに出席することをイスラエルが阻んでいるため、ガザ地区ではクリスマスを早めに祝ったのだった。 「もう何年もの間、私はガザ地区に来てキリスト教徒の皆さんと共にクリスマスを祝っています。彼らに寄り添って、彼らを支援するためです」と、ピザバラ大司教はアラブ・ニュースに語った。 総主教はガザ市内に
【要約】若い頃は名誉欲に駆られたり、乱暴な仲間たちと盗みを働いたり、軟弱文学やマニ教にはまったり、旧約聖書を荒唐無稽な与太話として馬鹿にしたり、性欲から抜け出せずにいたりしましたが、悩みに悩んだ末、様々な先人の助けを借りつつ、最終的には敬虔な母の願いどおり、キリスト者になりました。神様ありがとうございます。(第1巻~第9巻) さらに、現在の私が如何様なものかを、認識の仕方、幸福の感じ方、情念に縛られる様を通じて示しますが、それが人間の在り方というものです。神様ありがとうございます。(第10巻) そして聖書の理解について、時間論、天地論(空間論)、聖霊論(三位一体論)、生物論を通じて示します。神様ありがとうございます。(第11巻~第13巻) 【感想】かつてフランスの哲学者ミシェル・フーコーは「告白とは内面を作り出す制度」だというようなことを言った。まず内面があって次に「告白」という形の言表が
■「安息日の異邦人」体験 「おい、あんたら外国人だろ。ちょっとこっちに来てくれないか」 9月28日の金曜、商都テルアビブ近郊のネタニヤ。午後7時過ぎ、安息日の取材に訪れたユダヤ教の礼拝所(シナゴーグ)で、強面(こわもて)の男性に呼び止められた。キッパと呼ばれるユダヤ教徒の帽子をかぶった男性は、私たちを近くのアパートまで連れてくると「エレベーターで5階まで先に上がって待っていてくれ」と言って、自分は階段を上り始める。何か粗相をしてしまったか……。ドキドキして5階の薄暗い廊下で待っていると、男性が汗だくで階段を上ってきた。そして、玄関先で配電盤を指さし、こう言った。 「すまないけど、そこのスイッチを入れ直してくれないか。部屋の漏電ブレーカーが落ちてしまったんだ」 へ? 言われた通りにすると、暗闇に包まれていた部屋にパッと明かりがともり、中から女性たちの歓声が上がった。 安息日のエルサレム旧市街
はじめに 聖書は、「人は地上で造られ、永遠に地を治める」という歴史を語ります。また、神が造られた肉体と世界を基本的に良いものと見ています(簡単な要約は「福音の深さ、広さを(3)」、より詳しくは、拙論『包括的福音理解を求めて』以下『包括的』参照)。 では、「人は天から来て、天に帰る。肉体と世は卑しむべきもの」という教えはどこから来たのでしょう? このルーツを探る旅は、紀元前5世紀のギリシアから始まります。 (引用元や正確な引用文は、『包括的』を参照してください。) 1. ソクラテスとプラトン 紀元前5世紀末に生きたギリシアの哲学者ソクラテス、そして、その弟子のプラトンは、次のように考えていました。 ソクラテス プラトン 人は理性的な魂であり、天上で神によって造られた。ところがその魂は、地に落とされ、現在は、汚れた肉体の中に囚われ、下等な物質世界に置かれている。そこで、死後、肉体と世を逃れて天
(ダンテの「神曲、天国編」につけたギュスターヴ・ドレの挿絵「チェレステの薔薇」) 初めに プラトンは、「人は死後に天に上り神と一体となる。それこそ人の最高の幸福でありまた最終目的である」という思想を語りました。その流れを汲む紀元3世紀のプロティノスは、「神の直観(直視)と神との合一」を最高の目標にあげています。その影響を強く受けたアウグスティヌスは、新天新地の完成に触れながらも、最終的には「人は神だけを見つめ、神が全てとなる」と述べて、新天新地は実質的にアウグスティヌスの意識から薄れていきました。その後、この神秘主義的思想は「至福直観」と呼ばれるようになります(歴史的経緯に関しては、エッセイ「『天から来て天に帰る』のルーツ」参照)。 アウグスティヌスがその思想を聖書から裏付けるために使用した聖書箇所が、「顔と顔を合わせて見る」(1コリ13:12)、そして「神が、すべてにおいてすべてとなられ
ルターより100年も前に宗教改革を宣言した偉人ヤン・フス~宗教改革の先駆けと免罪符 僧侶上田隆弘の世界一周記-チェコ編⑧ プラハ城の散策の後は、階段を下りカレル橋の方向へ進んでいく。 次の目的地は旧市街広場にあるヤン・フス像だ。 プラハの赤い屋根の建物を間近に感じつつ、のんびりと練り歩く。 それからカレル橋を渡り、旧市街広場まで進んでいく。 そして広場の少し奥の方まで歩くと、目的地のヤン・フス像の前に到着する。 こちらに凛々しくたたずんでいるのがヤン・フスの像だ。 突然だが、皆さんは宗教改革といえば誰を思い浮かべるだろうか。 おそらく、多くの人がマルティン・ルターを思い浮かべることと思う。 そのルターがドイツで宗教改革を始めたと言われているのが1517年。 だが、もしこれに先立つことおよそ100年。 すでにここプラハで宗教改革が行われていたとしたら皆さんはどのように思われるだろうか。 歴史
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