【大鹿靖明、上栗崇】世界的なゲーム機メーカーと米大リーグの人気チーム。山内溥(ひろし)さんほど世代や国を超えて幅広い大衆を相手にしていた経営者はいないだろう。「私は娯楽屋」という口癖の通り、面白さを提供し続けた人生だった。 2代目経営者の祖父が病で倒れたため、早稲田大を中退して家業の花札・かるた店を継いだのは1949年。ちょっと人気を集めても、飽きられるとあっと言う間にすたれるおもちゃ業界の荒波をくぐり抜けてきた。「よう、つぶれないできたもんだ」と本人が述懐するほど、試行錯誤の時代が続いた。 それが、83年発売のファミリーコンピュータで一変する。テレビゲーム時代の到来を見越し、トップダウンで開発を指示。「スーパーマリオブラザーズ」などのソフトが大ヒットした。海外では「NINTENDO」がゲームの代名詞になり、高収益企業に変身した。 続きを読む関連記事山内溥さん死去 任天堂育ての親、ファ