「タクシー業界の風雲児」と呼ばれたエムケイ創業者の青木定雄(本名・兪奉植=ユ・ボンシク)氏が6月8日、肺炎のため京都市の病院で死去した。88歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男で現エムケイ社長の信明氏。 青木氏は在日1世の立志伝中の人物である。1928年、朝鮮半島の南に位置する慶尚南道(キョンサンナムド)で、6人兄弟の3男に生まれた。 43年に15歳で日本に渡った。立命館大学法学部に入学したが、授業料を払えなくなり中退。56年に、ひょんなことからガソリンスタンドの経営を引き継いだ。60年、知人に勧められてミナミタクシーを設立したことが、タクシー人生の始まりとなった。63年に桂タクシーを買収。77年に両社の合併で、両社の頭文字をとって社名をエムケイとした。 60年にタクシー会社を始めた時は、車両10台で運転手は24人だった。 MKグループの中核会社であるエムケイのホームページに