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朝日新聞と地図と歴史に関するumiusi45のブックマーク (2)

  • 江戸城は「決戦に備えた城」だった 最古級の図面を確認:朝日新聞デジタル

    松江市は8日、市松江歴史館が所蔵している江戸城が描かれた「江戸始図(えどはじめず)」が、1607~09年ごろの徳川家康による築城直後を描いた最古級の図面だと分かったと発表した。最古とされる東京都立中央図書館所蔵の「慶長江戸絵図」とほぼ同時期で、専門家は「石垣や土塁の構造がより詳しく描かれ、江戸城中心部の詳細が分かる資料」としている。 江戸始図は平面図で、27・6センチ×40センチ。図面の存在は以前から知られていたが、専門家の調査で初めて年代が絞られたという。江戸城丸内部の「詰丸(つめのまる)」や城壁の複雑な構造が描かれ、周囲の屋敷には居住者とみられる人名が記載されている。 城郭の考古学が専門の千田(せんだ)嘉博・奈良大教授によると、慶長江戸絵図も城の中心部を描いているが、ゆがみが大きく石垣と建物の描き分けも明確でない。江戸始図では、姫路城のように大天守と小天守が連立していたことや、一気に

    江戸城は「決戦に備えた城」だった 最古級の図面を確認:朝日新聞デジタル
    umiusi45
    umiusi45 2017/02/10
    家康が作った時は、まだ「対豊臣」の常在戦場だったのね。。。。
  • 甲子園浜で干潮になると見える「遺跡」は何?:朝日新聞デジタル

    西宮市の甲子園浜では、干潮になると、干潟に遺跡のような構造物が出現します。あれは一体何でしょうか。(西宮市 男性 42歳) 「甲子園浜に遺跡?」。半信半疑で現場に向かうと――ありました。 干潟には、一見して自然石ではない四角い板状の石がごろごろ。少し離れた海の中からは、壁のようなものが突き出していました。確かに、海中に没した都市の遺跡のように見えます。 すぐ近くにある市立甲子園浜自然環境センターで聞けば分かるのではと思い、訪ねました。 「昭和初期にあった阪神パークの遺構です。ライオンの頭部の石像も落ちていますよ。その外側にあるのが、海軍飛行場の敷地の外壁です」と担当者。甲子園浜にあったのは初代の阪神パーク。ちなみに、阪神甲子園球場近くの大型商業施設「ららぽーと甲子園」が立つ場所には、戦後に2代目が再建されたそうです。 「鳴尾村誌」によると、192… この記事は有料会員記事です。有料会員にな

    甲子園浜で干潮になると見える「遺跡」は何?:朝日新聞デジタル
    umiusi45
    umiusi45 2016/05/30
    なるほど、遺跡があるほどの文明が甲子園に!!!(違う
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