リアリティと世間と空気と歴史に関するwakabaroomのブックマーク (9)

  • 沖縄女性の入れ墨「ハジチ」禁止令から今年で120年 法令で「憧れ」が「恥」に変わった歴史【WEB限定】 | 沖縄タイムス+プラス

    1982年那覇市生まれ。ギャル記者。Yahoo個人オーサー。千葉大、2019年3月首都大学東京大学院卒業。2007年沖縄タイムス社入社、社会部を経てDX戦略局。2015年、GIS沖縄研究室研究室、首都大学東京渡邉英徳研究室と共同制作した「沖縄戦デジタルアーカイブ」が文化庁メディア芸術祭入選など。 大学在学中から、若者文化を研究。Twitterは@sssss_sssss_10 沖縄にはかつて、女性が手に入れ墨を彫る「ハジチ」の文化があった。1899年、日政府が入れ墨を禁止したことで、ハジチは「憧れ」から「排除」の対象に変わった歴史がある。禁止されてから今年で120年。専門家は「ハジチを通して、歴史や差別の問題を知ってほしい」と話す。(デジタル部・與那覇里子)

    沖縄女性の入れ墨「ハジチ」禁止令から今年で120年 法令で「憧れ」が「恥」に変わった歴史【WEB限定】 | 沖縄タイムス+プラス
    wakabaroom
    wakabaroom 2019/08/27
    “ちょんまげやお歯黒なども禁止された日本の「文明開化」政策の一環だったという。「明治政府は、入れ墨が欧米の人の目に触れることを気にして、庶民の行動を規制しようとしていたことが背景にあると思います」”
  • 「この戦争は間違ってます」とか「日本はいずれ負けます」とかしたり顔でホザいた予知能力者は実在する - 山下泰平の趣味の方法

    戦争を扱ったフィクションで、たまにこの戦争は負けるッ!!みたいなオッさんが出てくる。彼らのような人間は実在してて、元気一杯生きていた。断じて空想上の存在ではない。 記録として残っている日負ける実在するキャラとして、超有名なのが山下清である。山下清は貼絵画家で、今では知らない人が多いんろうけど、かっては裸の大将放浪記というタイトルでドラマ化されていたほどの人物だ。 裸の大将放浪記 山下清物語 [DVD] 出版社/メーカー: 角川映画発売日: 2008/11/21メディア: DVD クリック: 17回この商品を含むブログを見る 山下清は超リアリストの上に、全く雰囲気が読めない。日が負ける理由は、道具が悪いのと国が狭いのと数カ国相手に戦争するからといった単純明快なもの、確かに正しいんだけど雰囲気読めよなっていう感じなのだが、清は子供の頃から一貫して日戦争に負けると言い張り続けて、幾度も殴ら

    「この戦争は間違ってます」とか「日本はいずれ負けます」とかしたり顔でホザいた予知能力者は実在する - 山下泰平の趣味の方法
    wakabaroom
    wakabaroom 2019/02/07
    "日本人はよその国と戦争すると、敵のたまが飛んでくる所を進んで行って、死ぬかくごで戦うんだぞ。日本にはやまと魂があって、世界で一番強い国だから、どこの国を相手にしても"…戦争しなくても今も同じ選民意識
  • 【5金スペシャルPart1】マル激放送900回記念トークライブ 社会を壊さないために何ができるかを、あらためて考えてみた

    http://www.videonews.com/ マル激トーク・オン・ディマンド 第899回(2018年6月30日) マル激放送900回記念トークライブ 社会を壊さないために何ができるかを、あらためて考えてみた  その月の5回目の金曜日に、異色の企画を無料でお届けする5金スペシャル。  今回の5金は、マル激が来週、第900回放送を迎えるのを記念して、6月30日に外国特派員協会で行われた神保・宮台による公開ライブの模様をお届けする。  2001年4月の放送開始以来、マル激はジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司のコンビが、世界の政治、経済、社会、メディアなどの諸問題に加えて、社会のあり方や個人の幸せなどについても、多くのゲストを招き、いろいろな角度から議論を積み重ねてきた。  第900回放送を迎えるにあたり過去の放送を振り返ってみると、17年前の番組開始時に取り上げたさまざま

    【5金スペシャルPart1】マル激放送900回記念トークライブ 社会を壊さないために何ができるかを、あらためて考えてみた
  • 背割り、梅鉢、半ビラ…冤罪も多かった江戸時代の牢屋での壮絶なリンチ : Japaaan

    東京都中央区日橋小伝馬町には江戸時代、囚人を収容する伝馬町牢屋敷がありました。放火事件を起こした八百屋お七や、黒船来航時にアメリカに密航を企てて捕まった幕末志士の吉田松陰も、ここに収容されました。常… 今回は、牢内で行われていた私刑(リンチ)の様子を、文久3年(1863年)に政治犯として収容された落合直言という志士の手記『獄中罪科』から紹介します。 リンチは、牢名主へのツル(お金)が少ないとき、反抗的な態度を取ったとき、喧嘩をしたとき、「きる、とぶ、はねる、おつる」などの禁句(首を切る、首が飛ぶ、首を刎る、首が落ちるに通ずるため)を言った者などに行われました。 その他、牢名主の気分を害すれば、命令一つでリンチが待ち受けていました。 ↑右上では新人が痛めつけられ、左上には牢名主が座しています ・背割り…背中を思い切り肘鉄されます。正座させられ、両肩を押さえられての肘鉄なので、背骨を損傷する

    背割り、梅鉢、半ビラ…冤罪も多かった江戸時代の牢屋での壮絶なリンチ : Japaaan
  • 拉致問題「なぜ日本は直接言ってこないのか」 金正恩氏発言は事実か?(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩委員長(写真:代表撮影/Inter-Korean Summit Press Corps/Lee Jae-Won/アフロ) 4月27日の南北首脳会談で、韓国の文在寅大統領が北朝鮮の金正恩委員長に日人拉致問題を提起した際、金委員長が「なぜ、日は直接言ってこないのか」と語ったと報じられた。このニュースに、ツイッター上では「えっ!今まで直接言ってなかったわけ?」「安倍晋三、拉致問題、何もやってなかったことが、金正恩に暴露される!」などと驚き、日政府の従来の交渉姿勢を揶揄するかのような反応が相次いでいる。 日朝ストックホルム合意を伝える産経新聞号外(2014年5月29日) 4年前、日朝政府間交渉で拉致問題を含む再調査に合意したことをもうお忘れだろうか(いわゆるストックホルム合意)。北朝鮮は特別調査委員会を設置したが、一方的に解体宣言した。その後も、日政府は国

    拉致問題「なぜ日本は直接言ってこないのか」 金正恩氏発言は事実か?(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • キューバ危機(1962)はなぜ回避できたのか? - エッセイ | 危機対応学

    はじめに 2016年11月25日、キューバの国家元首であったフィデル・カストロがこの世を去った。これで1962年10月に起こったキューバ危機の主役3人がすべて鬼籍に入ったことになる(あとの2人は、米国大統領であったジョン・F・ケネディと、ソ連の最高指導者であったニキータ・S・フルシチョフ)。 キューバ危機とは、13日間という短い期間に起きた次の一連の事件のことを指す。(1)アメリカの偵察機U2がキューバでミサイル基地が建設中であることを発見、(2)アメリカが海上封鎖を敢行し、キューバをソ連から隔離(米国側は検疫 "quarantine" という語を使用)、(3)米国がキューバを攻撃しないという条件で、ソ連側がミサイル撤去に同意(さらには、トルコにあるミサイルの撤去も密約として両国間で了解)。 国際政治上、危機と言われるものは数多くあるが、核戦争の一歩手前まで行ったキューバ危機は、その中でも

    wakabaroom
    wakabaroom 2018/03/06
    “ジャニスは「集団思考(groupthink)」と定義し、キューバ危機はそのような現象が起きなかった事例と論じた”
  • 「私は戦争犯罪人ではない」 国際刑事法廷で服毒自殺か:朝日新聞デジタル

    オランダ・ハーグで29日に開かれた国連旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)の上訴審判決の言い渡し中に、被告が液体を飲み、間もなく死亡した。服毒自殺とみられ、年内で24年間の活動を終えるICTYの最後の判決は、ショッキングな幕切れになった。 死亡したのは、1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、クロアチア人勢力の幹部だったスロボダン・プラリャク被告(72)。クロアチア人勢力の武装組織や警察で指導的な立場にいながら、93年に起きた人道犯罪を止めなかったとされた。 この日の言い渡しは、クロアチア人勢力の元指導者6人が対象で、裁判長が上訴理由などを考慮して原審との判断の違いを説明し、最後に被告を一人ずつ起立させて責任と量刑を述べた。3番目に呼ばれたプラリャク被告は、有罪となって禁錮20年の量刑が維持されたのを直立して聞いた。 記者が座った傍聴席から見て被告席は法廷の左端で、プラリャク被告

    「私は戦争犯罪人ではない」 国際刑事法廷で服毒自殺か:朝日新聞デジタル
  • 原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話

    原爆被爆者で、何十年も被爆者の地位向上などのため活動し、 署名活動をしたり、デモに参加したという祖母。 滅多に他人の批判や悪口を言わなかったけれど、そんな祖母が生前に一度だけ、 明確に「許せなかった」話をしてくれたことがあった。 テレビで被爆者のドキュメンタリー映像を見ていた時のこと。 なんとなく、「やっぱり被爆者手帳って嘘ついて持ってる人結構いるの?」と聞いてみた。 原爆被爆者に対する補助はかなり手厚く、年金ならぬ被爆者に対する援助のために 死にかけの親を何とか生かしてくれと頼む家族もいるくらいの代物である。 祖母はあっさりと、「そりゃそうよ」と言った。 「あの人原爆に遭うてないよねって人もおったよ。でも証人がおれば手帳貰えたからね」 「なんという税金泥棒。そういう人ムカついたりせんかった?」 「そりゃ良い気分はしなかったけど、でもねえ、もっと許せん人がおったけえね」 おばあちゃんでも許

    原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話
  • 恋愛は明治期に輸入された

    久保田裕之(家族社会学) @hkubota1016 OCでQ&Aに座ってたら、質問に来た高校生が「実は失恋して勉強が手につかなくて…」とこぼすので、「恋愛が日に輸入されたのは明治期で、大正時代を通じて広がっていった割と新しい考え方でね、」などと5分くらい話したが、彼が欲しいのはそういう言葉じゃないみたいだった。 2017-07-20 10:29:48

    恋愛は明治期に輸入された
  • 1