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seismeに関するykkykymのブックマーク (42)

  • 線量記し、シートに包まれ…原発から避難したままの民具:朝日新聞デジタル

    2011年の東日大震災に伴う東京電力福島第一原発の事故で、地元・福島県双葉郡の文化財も避難を余儀なくされた。今は使われなくなった手動の農具やさまざまな動物の剝製(はくせい)、昆虫の標など、地域の歴史の語り部ばかりだ。だが、8年半たっても、約80キロ離れた収蔵庫に留め置かれたまま帰還の日は見えてこない。「被災地の現実を忘れないで欲しい」。地元教育委員会の協力を得たアーティストが、帰れない被災地の文化財を東京で紹介しようと準備を進めている。 福島県白河市の県文化財センター白河館(愛称まほろん)。双葉町教委で文化財を担当する吉野高光(たかみつ)さん(59)が、映画監督で美術作家の藤井光(ひかる)さん(43)=東京都在住=らと一緒に訪れたのは10月10日のことだった。 券売機・昆虫の標も 5棟のプレハブ収蔵庫には、双葉郡3町(双葉、大熊、富岡)の民俗・考古資料が保管されている。双葉町のものだ

    線量記し、シートに包まれ…原発から避難したままの民具:朝日新聞デジタル
    ykkykym
    ykkykym 2019/10/30
    “ 福島県白河市の県文化財センター白河館(愛称まほろん)。双葉町教委吉野高光さん(59)が、美術作家の藤井光さん(43)と訪れた。来年3月から都内の美術館で展示”
  • 凄惨な現場に生けられた“一輪の花“に涙を流す人々がいた

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    凄惨な現場に生けられた“一輪の花“に涙を流す人々がいた
    ykkykym
    ykkykym 2019/03/31
    “南相馬市博物館の学芸員二上文彦さん。震災直後、沿岸部には様々なものが流れ着いた。「震災遺構だと割り切って持ってくることはできませんでした」華道家の片桐功敦さん「誰も言わないことこそ、アーティストが叱
  • 「傷口に塩を塗り込んででも」伝える。すべては、これからも生きるために

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    「傷口に塩を塗り込んででも」伝える。すべては、これからも生きるために
    ykkykym
    ykkykym 2019/03/11
    “気仙沼の海を臨む丘にあるリアス・アーク美術館。副館長の山内宏泰さん。破壊された家財道具を「がれき」ではなく「被災物」と呼ぶ”
  • Fukushima residents complain over statue of child in radiation suit

    Sun Child is depicted in a yellow Hazmat-style suit. The mayor of Fukushima defended the decision to install the statue. Photograph: Kyodo News via Getty Images Sun Child is depicted in a yellow Hazmat-style suit. The mayor of Fukushima defended the decision to install the statue. Photograph: Kyodo News via Getty Images

    Fukushima residents complain over statue of child in radiation suit
  • 防護服を着た子供像「サン・チャイルド」は、なぜ福島で炎上したのか(林 智裕) @gendai_biz

    「住民は怒っている」と世界で報じられた 2018年8月3日、JR福島駅前にモニュメントが設置されました。現代美術家として知られるヤノベケンジ氏が2011年に、東日大震災をきっかけに制作した、「サン・チャイルド」と呼ばれる全高6.2mにもなる巨大な子供の像です。 その容貌は、黄色い放射能防護服を着た子供がヘルメットを脱いで左手に抱え、顔に傷を負い、絆創膏を貼りながらも、空を見上げて立っているというものです。胸には「000」と表示されたガイガー・カウンター(放射線測定器)が表現されています。 しかし、この像が設置されると、様々な批判と議論が起こりました。 国内のメディアの他、英国BBCが 「福島市がJR福島駅付近に設置した防護服姿の少年像に、住民らが怒りの反応を示している。2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、同市が未だに放射能に汚染されたままだとの印象を与えるとの声もあ

    防護服を着た子供像「サン・チャイルド」は、なぜ福島で炎上したのか(林 智裕) @gendai_biz
    ykkykym
    ykkykym 2018/08/27
    “原発は「核兵器と同じ放射性物質を燃料とする、原爆や戦争を想起させるもの」であるとともに「『権力』から押し付けられるものの象徴」でした。福島はまたたく間に、激しい政治的対立やイデオロギー闘争の主戦場と
  • 「真っ当な対策があれば、原発事故はなかった」 地震学者・島崎氏が見たもの - Yahoo!ニュース

    「長期評価に沿って防災対策をしていれば1万8000余りのうちかなりの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかったと思います」。東京電力の元会長ら旧経営陣3人を被告とする刑事裁判の証人席で、東京大学名誉教授の島崎邦彦氏(72)はそう証言した。長く、日の地震研究の中心的存在だった島崎氏は、福島第一原発の事故後、原子力規制委員会が発足すると同時に委員長代理の要職に就き、2年間、原発の新規制基準への適合審査に当たってきた。島崎氏はなぜ、その職を引き受けたのか、東日大震災前の防災行政で何が起こっていたのか。これまでは、語れなかったこともある。それも含め、インタビューで質問を重ねた。(木野龍逸/Yahoo!ニュース 特集編集部) この6月18日、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が起き、4人が死亡した。住宅の被害は3万棟超。島崎氏にインタビューしたのは、その直後だ。そして冒頭、島崎氏は「こ

    「真っ当な対策があれば、原発事故はなかった」 地震学者・島崎氏が見たもの - Yahoo!ニュース
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  • 岩手県内の被災文化財の修復は長期戦 まだ半数…ハードル高く

    東日大震災の津波で被災した文化財の修復作業が長期戦の様相だ。当初は岩手県内で被災した約50万点を5年で修復する目算だったが、7年かけて修復できたのは半分の約25万点(平成29年度末)。残る半分には修復の難しさから後回しにされたものも多い。修復のハードルは高くなる一方で、専門家も「すべての修復を終えるには最低でもあと10年はかかりそうだ」と話している。 (石田征広) ◆確立された技術なく 修復作業に予想以上の時間を要しているのは、これまで津波で被災した文化財を修復した前例がほとんどなく、確立された技術もなかったため。貴重な文化財の修復に失敗は許されない。被害状況に応じて手探りで一つ一つの修復技術を確立していくしかなく、試行錯誤の連続に陥ってしまったからだ。 文化庁の補助制度を活用した修復作業は岩手県立博物館(盛岡市)が中心となって震災直後の平成23年4月から始まった。文化財の修復と保存処理

    岩手県内の被災文化財の修復は長期戦 まだ半数…ハードル高く
    ykkykym
    ykkykym 2018/05/27
    “岩手県立博物館上席専門学芸員(文化財科学部門)の赤沼英男氏「修復した古文書の中から紙が黄ばみ、異臭がするものが出てきた。原因は紙に残ったわずかな魚の油脂とタンパク質の腐敗。水洗いだけでは不十分。中性
  • 本当の復興へ心込め復元 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    ykkykym
    ykkykym 2018/04/26
    “一人残った学芸員として、3月末から文化財レスキューを始めた。「そんなものより行方不明者を捜せ」と言う被災者もいた。心に葛藤があったのも事実だ”
  • (いま伝えたい 「千人の声」2017)宮城 東日本大震災:朝日新聞デジタル

    七ケ浜町、糟谷節子さん(85) 一昨年に復興住宅に移った。当は自分の家に戻りたい。全てなくなるのが嫌で土地も売りたくなかったが、もうあの場所に建てられないから手放した。経営していた堂は大勢の客でにぎやかだった。今は寂しくてラジオを一日中つけている。編み物で退屈を紛らわし、ひざ掛けを30枚以上編…

    (いま伝えたい 「千人の声」2017)宮城 東日本大震災:朝日新聞デジタル
    ykkykym
    ykkykym 2017/03/14
    “ 気仙沼市、学芸員山内宏泰さん(45) 市内のリアス・アーク美術館に震災直後の街の写真を展示している。子どもたちにも見に来てほしい。なぜ街にこれだけの被害が出たのかを伝える「減災」に力を入れるべきだ。
  • 福島県で暮らし、見つめるメディアの過去、現在、未来。 竹内公太インタビュー

    福島県で暮らし、見つめるメディアの過去、現在、未来。 竹内公太インタビューメディアの性質に着目しながら、近代史や個人の記憶をテーマとした作品を発表している、1982年生まれの竹内公太。東日大震災による事故後に東京電力福島第一原子力発電所の作業員として勤務した後、発電所内のライブカメラを指差す姿が話題となった「指差し作業員」についての展覧会を開催し、注目を集めた。SNOW Contemporary(東京・六木)で3月4日まで開催された個展「写真は石碑を石にする、それでも人は」にあたり、出品作やこれまでの活動について聞いた。 《石碑を二度撮る》より 107p300 四倉魚市場記念碑 左:竹内公太 右:斎藤伊知郎撮影写真 ──開催中の展覧会「写真は石碑を石にする、それでも人は」では、活動拠点である福島県いわき市にある石碑を題材とした作品を発表されています。まずは、今回の展示作品《変身》(20

    福島県で暮らし、見つめるメディアの過去、現在、未来。 竹内公太インタビュー
  • 埋蔵文化財復興に難題 家再建対応学芸員足りず : 最新ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    ykkykym
    ykkykym 2017/02/16
    “文化財保護法は、包蔵地で工事を行う際に学芸員の立ち会いなどを求めており、遺跡を損なう可能性がある場合には発掘調査を行って記録を保存しなければならない”
  • 「震災後」の表現者育成 連続講座 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    ykkykym
    ykkykym 2016/09/21
    “アーティストを育成するプロジェクト「仙台藝術舎/creek」。東日本大震災後の新たな表現方法を模索し講座を開く。 講師陣は、青野文昭氏、五十嵐太郎氏、清水建人氏ら6人”
  • 大竹伸朗「針工場」/淀川テクニック「ゴミニケーションin熊本!!」「だまし絵王エッシャーの挑戦状」:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    瀬戸内国際芸術祭2016の目玉のひとつである、大竹伸朗の最新作「針工場(はりこうば)」を見るために、香川県の豊島に向かった。訪問日はあいにくの雨。フェリー内のテレビからは、高松商業の56年ぶりの甲子園優勝をかけた熱戦の様子を伝えるニュースが聞こえてくる。 大竹の「針工場」は、家浦港から歩いて10分程の家浦岡地区にある。やや大き目の民家といったサイズの鋸屋根の工場は、かつて、ニットやジャージー生地などを編むためのメリヤス針を生産し、産業の少ない島での貴重な働き口のひとつとして、活気にあふれていたと言う。 鉄の廃材で賑やかにブリコラージュされた門扉に迎えられて、一歩中に足を踏み入れる。家浦岡独特の石垣(豊島では三つの地区ごとに石垣の積み方が異なるという)に挟まれるように据えられた年季の入った門型の鉄枠に、用を終えたと思しき鉄板や古材が括り付けられている。左手奥にある、スレート屋根の小屋で受付を

  • 桜井 武(熊本市現代美術館館長):「平成28年 熊本地震」被災状況等について | Art Annual online

    今回の地震発生時に熊市現代美術館(2004年開館)では「だまし絵王エッシャーの挑戦状」が開催されていた。これはオランダの画家M・C・エッシャーと近・現代の内外アーティストによる展覧会であり、初日から多くの観客が詰めかけ、好調に滑り出していた。しかし開催一週間たらずで大地震に見舞われ、展覧会は中断。館が入っているビル全体の修理が必要となり、一時閉館を余儀なくされた。 この地震は2度とも夜間の閉館時に発生し、したがって観客の避難誘導等の必要性はなかった。館内の被害状況は、メインの企画展示室において展示用大型移動壁の多くが動き、固定壁をつなぐ壁紙が裂けた。また細かな器具や部品が飛散し、天井からの細かな落下物が多く、床は埃で白く覆われていたが、幸い移動壁がレールから外れたり、倒れたりはしなかった。この展覧会では、エッシャー、ダリ、草間弥生、福田繁雄等の展示作品は、数点が落下したが損傷はなく、概ね

    桜井 武(熊本市現代美術館館長):「平成28年 熊本地震」被災状況等について | Art Annual online
  • <3・11あの日と今>針が語る被災の瞬間 | 河北新報オンラインニュース

    ykkykym
    ykkykym 2016/03/23
    “原発事故避難区域にある壁掛け時計は、午後2時46分近くで止まっていた。 時を止めたままの時計がもうすぐ5年になる空白の時を浮かび上がらせた。 「揺れで電池が外れ、動かなくなったのでしょう」”
  • 子どものいない教室、壊れた防波堤…福島に移り住んだ華道家が花をいけ続けた理由 | AERA dot. (アエラドット)

    片桐さんは昨秋、福島での活動を記録した写真集『Sacrifice――未来に捧ぐ、再生のいけばな』(青幻舎)を出版。今後のイベント情報は片桐さんのフェイスブックで(撮影/桝郷春美) 荒れ果てた被災地に咲く野の花。これらを摘み、壊れた防潮堤や子どものいなくなった教室などにいけて歩いた華道家がいる。原発事故で鎮魂の機会さえ奪われた地に祈りを捧げる。 福島県南相馬市に移り住み、被災地に野の花をいけて歩いた華道家がいる。大阪府堺市のいけばな流派、花道みささぎ流家元、片桐功敦(あつのぶ)さん(42)だ。 福島に行くきっかけは、水葵(みずあおい)という植物だった。東日大震災から約1年半が経った頃、南相馬の沿岸部に準絶滅危惧種の水葵の群生が咲き始めた。震災前は農地だが、100年以上前は潟だった場所。津波で一帯が沼地に戻ったことで地中深くに潜んでいた種が発芽し、鮮やかな青紫色の花が咲いたという。 そんな話

    子どものいない教室、壊れた防波堤…福島に移り住んだ華道家が花をいけ続けた理由 | AERA dot. (アエラドット)
    ykkykym
    ykkykym 2016/03/22
    “南相馬の沿岸部に準絶滅危惧種の水葵の群生が咲き始めた。震災前は農地だが、100年以上前は潟だった場所。津波で一帯が沼地に戻ったことで地中深くに潜んでいた種が発芽し、鮮やかな青紫色の花が咲いたという”
  • あの日、津波に流された1冊の本が5年ぶりに図書館へ"返却"されるまで

    東日大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市立図書館。津波によって建物は全壊、職員7人全員が落命した。蔵書8万冊もすべて流出したが、支援の手が差し伸べられ、現在は仮設の建物で運営されている。この図書館へ、1冊のが5年ぶりに“返却”された。タイトルは「防災講座 津波の心得」。津波にさらわれ、ボロボロになったこのは、今までどこで、何をしていたのだろうか?

    あの日、津波に流された1冊の本が5年ぶりに図書館へ"返却"されるまで
    ykkykym
    ykkykym 2016/03/13
    “岡本真さんと震災当時に図書館司書だった熊谷慎一郎さん。岡本さんは、震災直後から図書館や美術館、博物館、公民館の被災・救援情報サイト「saveMLAK」を立ち上げ被災地に入って支援活動を行ってきた”
  • 安倍首相ら“フクシマの戦犯”は責任追及からどう逃げたか? 捏造攻撃、スラップ訴訟も - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    【特別企画】思い出せ! 安倍首相は福島原発事故の主犯だった!(後) 安倍首相ら“フクシマの戦犯”は責任追及からどう逃げたか? 捏造攻撃、スラップ訴訟も 前回の原稿で、第一次政権の2006年、安倍首相が国会で福島原発事故と同じ「全電源喪失」事態が起きる危険性を指摘されながら、「日の原発でそういう事態は考えられない」という答弁書を提出。非常用電源に関する地震対策を拒否していた事実を指摘した。安倍首相こそが“フクシマの戦犯”だった、と。 ところが、当の安倍首相はこの無責任デタラメ答弁の問題をほとんど追及されないまま、責任を取らずに逃げおおせてきた。これはいったなぜなのか。 実は、下野していた自民党で安倍が総裁に返り咲いた直後の2012年10月、「サンデー毎日」(毎日新聞社)がこの事実を報道したことがある。1ページの短い記事だったが、サイトが指摘したのと同じ、共産党の吉井英勝衆院議員(当時)の

    安倍首相ら“フクシマの戦犯”は責任追及からどう逃げたか? 捏造攻撃、スラップ訴訟も - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    【特別企画】思い出せ! 安倍首相は福島原発事故の主犯だった!(前) 安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた 故郷に帰れない多くの被災者を生み出し、放射性物質を広範囲にまき散らし、作物を汚染し、今も国土や海を汚し続けている福島原発事故。 だが、この国家による犯罪ともいえる重大な事故をめぐって、ほとんど語られてこなかった事実がある。それは、現内閣総理大臣である安倍晋三の罪についてだ。 こういうと、安倍支持者はおそらく原発事故が起きたときの首相は民主党の菅直人じゃないか、サヨクが安倍さん憎しで何をいっているのか、というだろう。そうでない人も、原発を推進してきたのは自民党だが、歴代の政権すべてがかかわっていることであり、安倍首相ひとりの問題じゃない、と考えるかもしれない。 だが、福島原発の事故に関して安倍首相はきわめて直接的な責任を負っている。第一次政権で今と同じ

    安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ