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ローマ帝国に関するyoshi_kanagawaのブックマーク (7)

  • 人工知能時代の人間の生き方は、古代ローマに学ぶべし(鈴木 貴博) @gendai_biz

    人生は「暇つぶし」になるのか 人工知能とロボットが発達することで、これから30年かけて人類は徐々に仕事から解放されていくだろう。 日にいるとピンと来ないかもしれないが、先日、アメリカに出張した際に目にした風景は、こうした未来が遠い未来ではないことを実感させられた。移動ではウーバーによる配車サービスを頻繁に使わせてもらったし、シリコンバレーでは2022年には自動操縦車がウーバーで配車されることがまるで織り込み済みの未来のように語られていた。 イラクとの戦争ではいまだに多くのアメリカ兵が犠牲になっているが、グーグルの関連会社ではロボット兵が実用間近なところまで到達している。先ごろダラスで起きた銃乱射事件では、ある軍事会社が開発したロボットが、犯人の立てこもる部屋に突入して自爆して事件を解決した。 アメリカITの先端国家であり、ITとロボットの発展を軍事需要がけん引している。その様子を目の当

    人工知能時代の人間の生き方は、古代ローマに学ぶべし(鈴木 貴博) @gendai_biz
  • 威力は.44マグナム並み! 古代ローマ軍の鉛弾

    今から1900年ほど前、スコットランドの丘の上の砦で、ローマ軍と先住民が激しい戦闘を行った。最近の実験によって、ローマ軍の兵士が投石器を使って発射した鉛の弾のストッピングパワー(命中したときに相手を行動不能にする力)は、現代の.44マグナム弾に近かったことがわかった。 英トリモンティウム・トラストの研究者ジョン・リード氏は、投石器による攻撃はおそろしく有効だっただろうと考えている。先住民の戦士は、剣などの簡単な武器しか持っていなかったからだ。「丘の上の先住民は皆殺しにされたことでしょう」。リード氏は、エディンバラの南に位置するバーンズウォークの遺跡で発掘調査を行っている。 ローマ帝国は、バーンズウォークでの戦いを皮切りに、最北端の国境線「ハドリアヌスの長城」の北で暮らす先住民を制圧する戦いに打って出た。しかし、優れた武器を持っていたにもかかわらず、彼らは苦戦を強いられた。スコットランドの先

    威力は.44マグナム並み! 古代ローマ軍の鉛弾
  • 「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著

    「すべての道はローマに通ず」の言葉通り、ローマ帝国は最大版図五百万平方キロメートルもの広大な領土に十五万キロメートル(うち八万キロメートルは舗装道路)ものローマ街道が張り巡らされていた。ローマ帝国はその広大さ故に隅々まで行き渡る水陸の交易路を使ったヒトと物資の移動流通網があって初めて成り立っていた。書はシビル・エンジニアリング(土木技術、構造工学などの総合的な概念)の観点から、ローマ帝国を支えた陸の道と水の道を解説した一冊である。著者は工学博士。 目次 第一部 すべての道はローマに通ず 第一章 ローマ街道の意義 第二章 ローマ帝国以前の諸外国の道路網 第三章 ローマ街道を使った国家統治・防衛と旅の安全・楽しみ方 第四章 ローマ街道の建設技術 第二部 河川・海上交通がローマの繁栄をもたらした 第五章 何を、どこから運んだのか 第六章 船と運航者 第七章 航海で必要なインフラ(港と灯台、地図

    「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著
  • 「古代ローマは2000年前のアフリカにこれほどの都市を建設していた…」廃墟の写真に驚嘆の声 : らばQ

    「古代ローマは2000年前のアフリカにこれほどの都市を建設していた…」廃墟の写真に驚嘆の声 古代ローマ帝国はアフリカまで版図を広げ、大規模な都市も建設されました。 アルジェリアにある、ローマの植民都市の写真が話題を呼んでいたのでご紹介します。 なんと壮大なのでしょう。 西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市ティムガッドの廃墟だそうです。 当時のローマ人たちの勢いがうかがい知れます。 この圧巻の画像に対する、海外掲示板のコメントをご紹介します。 ●これはアルジェリアのティムガッドだね。 (ティムガッド - Wikipedia) ●ここのサイトで地上レベルの写真もある。 (ASA | Ruins of Timgad, the most intact of Roman cities in Algeria.) ●うまく表現できないが迷路っぽい。 ↑ラビリンスだな。 ●ま

    「古代ローマは2000年前のアフリカにこれほどの都市を建設していた…」廃墟の写真に驚嘆の声 : らばQ
  • ローマ帝国国境警備兵達が遊んでいたボードゲーム

    リンク Wikipedia ハドリアヌスの長城 ハドリアヌスの長城(ハドリアヌスのちょうじょう、英語: Hadrian's Wall,ラテン語: Vallum Aelium)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡。広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもある。2世紀に第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。 ハドリアヌスの長城は1987年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 ハドリアヌスの長城はイングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。ローマ帝国は1 リンク Wikipedia アントニヌスの長城 アントニヌスの長城(アントニヌスのちょうじょう、英語: Antonine Wall)は、スコットランドの中央部に残る石と土で作られたローマ時代の防塁。2008年に「ローマ帝国の国境線」に含まれる

    ローマ帝国国境警備兵達が遊んでいたボードゲーム
  • 暴君ネロ 明かされる真実

    ローマの都に火を放ち、や実の母親も殺害したとされる皇帝ネロ。「暴君」として知られる男は、実は時代の先覚者だったのか。その真の姿を追う。 文=ロバート・ドレイパー 写真=リチャード・バーンズ、アレックス・マヨーリ 史料が伝えるところによれば、ネロは最初のオクタウィアの殺害を命じ、身ごもっていた2番目のポッパエアを足で蹴って死なせ、母親であるアグリッピナも暗殺したという。さらにネロは、紀元64年に起きたローマの大火を首謀しておきながらキリスト教徒にその罪をなすりつけ、彼らを斬首やはりつけの刑に処したと伝えられている。 残虐非道な「暴君」説はどこまで当か だが死者は自らの生涯を書き残すことはできない。最初にネロの伝記を書いたスエトニウスとタキトゥスは、ともに元老院とのつながりが強く、ネロの治世を批判的に記した。ローマの元老院が、政治的理由からネロの名声をおとしめようとしたのはまず間違いな

    暴君ネロ 明かされる真実
  • ローマ帝国 栄華と国境

    大帝国となった古代ローマが2世紀に築いた壮大な防壁。その謎に今あらためて挑む。 文=アンドリュー・カリー 写真=ロバート・クラーク 精力的に領土を広げ、地中海世界に空前の大帝国を築いたローマ。紀元2世紀にローマ帝国の版図は最大となったが、その領土はすでに統治能力を超えていた。 そこで皇帝ハドリアヌスは、拡大路線の放棄を決断する。全長数千キロに及ぶ国境の要所に壮大な防壁を築き、外交政策と交易、武力を駆使して守りを固めた。だが、輝かしい栄華の陰で、帝国崩壊への歩みはすでに始まっていたのかもしれない……。全長118キロの「ハドリアヌスの長城」をはじめとするローマの防壁は、いったい何のために築かれたのか。ローマ史の大きな謎を、今あらためて問い直す。 古代ローマの浴場設計技師が、なぜか現代日の風呂へタイムスリップしてしまう――映画化もされた抱腹絶倒の話題作『テルマエ・ロマエ』には、今回の特集とほぼ

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