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ブックマーク / takedanet.com (6)

  • 武田邦彦 (中部大学): 心が二つに分かれている時代

    今、太平洋の魚介類がどのぐらい汚れているのか、コツコツとやっていますが、北海道から愛知県まで太平洋側の魚介類、藻類でやや小型のものはかなり汚染されています。ところで・・・ 3月12日を堺に、それまであれほど1年1ミリシーベルトを守れといっていた専門家が一斉に「被曝は大したことはない」と言い出したこと、それに衝撃を受けたのは私だけでは無いでしょう。 また、科学者である私にとって見れば、実験結果、観測結果などの事実は、それまでの自分の考えをすべて捨て去らなければならないほど重要なことです。だから、2007年の柏崎刈羽原発の事故と、2011年の東通、福島第一、それに東海第二の事故、さらには福島第一3号機の爆発映像を見て、「原子力発電所は安全だ」などという科学者はいないはずです。 それなのに、まだ日原子力学会も、大学の原子力関係の研究者も、そして国の原子力関係者も、事故の前と同じような考えで研究

  • 武田邦彦 (中部大学): 決まっています。 汚染土の捨て場

    福島県を中心として「汚染された場所の洗浄と、表土の除去」が始まっています。 手をこまねいていれば30年は汚染された土地で生活しなければならず、それは子供達の人生そのものになってしまいます。 しかし、「なぜ、汚染されているのか」というと、「そこに放射性物質(粒)があるからだ」ということですから、とにかく早い内に除去することです. 「綺麗な福島大作戦」が郡山から始まったようですが、早速、「汚染された土をどこに捨てるか」が問題になっているようです。 「校庭の表土は汚染されているから、持ってきては困る」という住民の反応も理解できますが、だからといって誰でもいやがる汚染された土の上で、児童が運動して良いということではありません. ・・・・・・・・・ もちろん、汚染された土は福島原発に返すのです。臨時にどこかにおくのも良いですが、最終的には福島原発に持っていくのが理の当然です。 ある家庭で、間違って汚

    Yuta_Eno
    Yuta_Eno 2011/08/09
    もちろん、汚染された土は福島原発に返すのです。
  • 武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急の緊急(38) プルトニウム・・規制値を守れるか?

    プルトニウムが福島原発の付近で検出された。 すでにプルトニウムの毒性についてはブログで2回、書いているのが、それに加えて、自衛するのは、 1)   国がプルトニウムの規制値(キログラムあたり1ベクレル)を守れるか(ヨウ素は200ベクレルなので、その200分の1)。 規制値を変えると危険度が判らなくなる。すでに東電は規制値を言わずに「原水爆実験の時に日を汚染したプルトニウムと比較すると」などと言っているが、まだ「規制値無視」が続いている. また、農作物でも規制値をゆるめる検討が進んでいる.事故が起こったからといって規制値をゆるめると、何が何だか判らなくなる. 私たちは、「プルトニウムはヨウ素の200倍。ヨウ素は200ベクレル(換算方法は下記)」と覚えておきたい、 2)   すぐには拡散しないが、測定方法が少なく、情報が遅くなる(簡単な方法では測定できないので、もし測定側に誠意があっても1週

    Yuta_Eno
    Yuta_Eno 2011/08/09
    農作物でも規制値をゆるめる検討が進んでいる.事故が起こったからといって規制値をゆるめると、何が何だか判らなくなる
  • 武田邦彦(中部大学)

    武田邦彦(中部大学)
  • 武田邦彦 (中部大学): さらば!

    「反原発派に取り込まれたのか!」 かつて原子力を共にやってきた仲間からがメールきた。 さらば! 原子力 原子力村に帰ることは、もう許されない。 それで良い。 ・・・・・・ この世に生を受け、戦争の惨禍は両親に降り注ぎ、私は戦争のない日人生を終わることができた。そして長じて技術者になったが、私の願いは空しく潰えた。 すまない。申し訳なかった。私の思慮が足りなかった。 だから、攻撃は私の罪で受け止める。痛手が身にしみれば染みるほど、子供の被ばくは減る。 遙かに長い未来と夢がある。彼らの夢を壊してはいけない。 でも、久々に楽な気持ちになった。小学校の校庭が3マイクロから0.6マイクロに減ったのだ。万歳!! ・・・・・・・・・ 私は何をしてきたのだろう? 電気があればテレビを見ることも出来る。石油は日にないから原子力・・・浅はかだった。子供を被ばくさせたら、そんなことは何の意味もない. 福島

    Yuta_Eno
    Yuta_Eno 2011/08/09
    この野郎!!」
  • 武田邦彦 (中部大学): 私の試み・・・日本社会は日本人が作っていけるのか?

    先日、貯金のことを書きました。読者の方から金融や経済について、いろいろ教えていただきました。 私は数年前、s「国債は買ってはいけない」というを東洋経済新社に勧められて書いたのですが、その意味は「経済活動を解明する」という目的ではなく、「国民が日社会を作ることができるのか?」ということでした。 つまり、日の国債は日人が買って、日人が消費しているのですから、ヨーロッパの金融破綻のように国の財政が破綻するということではありません。 また、多くの人が銀行にお金を預けるのは、単に「家においておくと盗難にあうから銀行に預ける」というような意味もありますし、また銀行にしてみれば、お金の運用は預金者の同意がいるわけではありません。 そのような基的なことがわかった上で、「私たちの預金は、結局、日社会にどのような影響を与えているか」ということを考えてみたのです。 つまり、お金はその意図とは別にし

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