ずいぶん書いてきたのう。 と、『老人』キャラを発動させておるのは、過去を振り返ってみようと思うからじゃ。これは『老人』がよくやることなのじゃ。回顧し、詠嘆することが得意な『老人』キャラを回顧詠嘆の際に発動させるのは、かの太宰治先生も使われた立派な「遊び」のテクニックなのじゃ(第10回・第11回参照)。 振り返ってみれば、いかにも『老人』らしい独り言「もう秋じゃのう」は言うに及ばず(第36回)、誰でも使いそうな「た」のようなことばさえ、その実、特定のキャラクタのことばづかいという面を持っておった(第28回・第29回)。そもそも東京弁か関西弁か、日本語か英語かという段階から、キャラクタはことばと深く結びついておったのじゃ(第15回)。 いや「ことば」だけではないぞ。キャラクタは驚きや否定の発言のイントネーションとも結びついておった(第26回・第32回)。まだある。「住まいのための、おー原則」の