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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (81)

  • 印刷業・出版社のいきのこり: やまもも書斎記

    2010-10-21 當山日出夫 先日、学会で、東京に行ってきた。学会(訓点語学会)がメインの目的であるが、そのついでに、あれこれと、人と会う用事をすませる。出版社と一件、印刷の会社と一件。 ここで、出る話は、やはり電子出版のこと。 まだ、どのように具体的にとりくんでいいのか、わからない、試行錯誤しているというのが、どうやら、たいていのところの音のような思える。こう書きながら、かくいう、私自身が、まだ、iPadも買っていないのである。 まだ、私自身としては、iPadを買おうという気にはなれないでいる。買って変えない値段ではない。買ってたのしみのもいいのだろうが、楽しむだけで終わってしまいそうな気がする。 理由は二つ。 第一には、これでしか読めないコンテンツがまだ無い(あっても、ごくわずか)という状況がある。どうしても、iPadがなければ、必要な情報が手に入らない、が読めない、というまで

  • 『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』: やまもも書斎記

    2010-08-09 當山日出夫 中西秀彦.『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』.印刷学会出版部.2010 やっと読んだ。で、感想はといえば、タイトルとはちょっと違うな……といったところか。「抵抗勢力」ではなく、「羅針盤」「舵取り」かもしれない。 これまで、各方面から、電子書籍については語られてきている。そのうちで、印刷業の立場から、電子書籍について語ったものとして読む。私自身、DVD版内村鑑三全集にかかわったせいもあって、実際に製作にあたった精興社のひとと話す機会が幾度かあった。そのとき感じたのは、電子書籍といっても、立場……出版社からか、印刷業からか、で、いろいろと、考え方が変わるものであるということ。印刷業には、それなりの考え方がある。 たとえば、書から、一箇所だけ引用するならば、 >>>>> かといって印刷業界人としては出版社と心中するのもあまりうれしくはない。 だからまずは主

    ardarim
    ardarim 2010/08/17
    中西印刷ってどこかで聞いたと思ったら、「世界の文字」のところか。
  • 『電子出版の構図』: やまもも書斎記

    2010-07-20 當山日出夫 植村八潮.『電子出版の構図-実態のない書物の行方-』.印刷学会出版部.2010 昨日から読み始めている。なかなか面白い。というのは、今の時点で書いたではなく、かつて書かれた文章を集めたものであるから、ということもある。『印刷雑誌』に1999年から書いてきた文章をあつめたものである。 かつてのはなし……「フロッピーで渡したんですが、写植のオペレータを僕が代行したのに、手書き原稿と印税が同じなのはおかしいのではないか」(p.21)と言った人がいたらしい。いまから、10年以上も前の話しであるが、いままさに、電子書籍の印税が何%になるかと、同じレベルの議論を、むかしもしていたのだ、ということがわかる。 時代が変わっても、コンピュータの環境がかわっても、そう人間の発想は変わるものではないらしい。 過去10年あまりにわたって、電子書籍をめぐって、どんなことがおこって

  • 電子図書館の可能性(2)図書館は何を残すのか: やまもも書斎記

    2010-07-17 當山日出夫 電子図書館の可能性(国立国会図書館/関西館)で、質疑応答の時、私がした質問はつぎのようなもの。 電子書籍は、デバイスに依存する。紙のであれば、100年後でも同じものとして見ることができる。しかし、電子書籍はどうか。今のiPadを、10年後、20年後に見ることが可能であろうか。 この質問に対する仲俣暁生さんのこたえは……コンテンツを分離して考えるべきである。電子図書館としては、そのコンテンツが残ればいい。デバイスは変わってしまっても、それは必然である。 これについて、さらに言うだけの時間はなかったのだが、ここで、私の思うことを書いておく。仲俣さんのこたえには、半分賛成できるが、半分は納得できない。 紙のでも、実は、歴史的に見れば、デバイスの変革は経てきている。写の時代から、版の時代へ。さらに、活字印刷の時代に。たとえば、『万葉集』。はるか古代、現存す

    ardarim
    ardarim 2010/07/17
    まず、「何を残したいのか、残すべきか」について共通の認識を持てるようにならないと、分野の違う人が議論してもすれ違ったままの気がする。
  • 電子図書館の可能性: やまもも書斎記

    2010-07-17 當山日出夫 昨日は、国立国会図書館(関西館)に行って、「電子図書館の可能性」の講演会。その様子は、次のURLにまとめられている。(他にもあるかもしれないが。今の時点で気づいたところで。) http://togetter.com/li/35818 当初、どれほど人があつまるか危惧されていたようであるが、実際に行ってみると、非常な盛会であった。関西館のような場所で開催したとしても、(言っては悪いが、非常に不便な場所にある)、これほど人があつまるというのは、やはり関心の高さを示すものだろう。 全体的な印象を記すならば、だいたい次のようになるだろうか。 第一に、長尾真館長の考え方は、基的に一環していている。 第二に、だが、それをとりまく周囲の電子図書館についての考え方の方が、その時々の状況によって非常にゆれうごいている。昨年からのグーグルブックス、それに、最近の、Kindl

  • 電子書籍を残すという発想: やまもも書斎記

    2010-07-01 當山日出夫 いよいよ、明後日は、内村鑑三のシンポジウムである。ここでは、いろんなことが話題になるだろう。その中のひとつとして、「のこす」ということがある。 iPadKindle、などから始まって、世の中、一種の「電子書籍」のブームと言ってもいいだろう。その多くは、出版社がいらなくなる、個人でが出せるなどの発想からのもの。 ここで、私の視点を確認しておくならば、電子書籍になって、考えるべきことととしては、 1.それでも紙のは残る。その役割分担がどのようになっていくであろうか。 2.電子書籍になって、より重要性が増すのが、出版社の編集の能力と、印刷業の技術力である。 3.電子書籍についても、それをのこすことをかんがえべきである。 だいたい以上のようになるであろうか。(これらのことについて、内村鑑三のシンポジウムでも言及できたらと思っている。) このうち、「残す」とい

  • 電子図書館の電子書籍: やまもも書斎記

    2010-07-02 當山日出夫 国立国会図書館は、納制度がある。できたは、一部、おさめることになっている。別に、国会図書館にかぎらず、公共図書館・大学図書館でも、電子書籍のうけいれはすすんでいくだろう。 ということは、それを読むための、装置(たとえば、iPadであり、Kindleであり、あるいは、普通のパソコンであり)が、必要ということになる。これからしばらく、電子書籍の動向がどうなるかわからないが、それにしても、わからないことを理由に、図書館が受入を拒むということはないだろう。利用者の要求があり、また、電子書籍にしかない内容のがでてくれば、うけれざるをえない。 まずは、図書館には、どの程度の電子書籍の閲覧設備が必要になるのか。 次に、それは、どのように管理されるものなのか。通常の紙ののようにはいかないにちがいない。 さらには、それを、どのように保存していくのか。図書館の目的とし

  • 『電子書籍の衝撃』: やまもも書斎記

    2010-05-09 當山日出夫 佐々木俊尚.『電子書籍の衝撃』.ディスカヴァー・トゥエンティワン.2010 http://www.d21.co.jp/modules/shop/product_info.php?products_id=746 このについては、すでに多くのブログ、Twitterなどで、言及されている。いまさら、私が付け足すこともないだろうと思うので、ちょっと普通とは違った視点から見てみる。 書籍が電子化する……これは、同時に、日語の表記とメディアの変化でもある。この視点から見るとどうなるだろうか。 言うまでもなく、今、改定常用漢字表をめぐって、議論の最中、というよりほぼ最終段階にきている。この基にあるのが、日語のコンピュータ処理、手で書く文字から、打つ文字への変化である。では、このとき、いや、さかのぼって、改定常用漢字表の議論が開始されたときに、今のような電子書籍

    ardarim
    ardarim 2010/05/12
    常用漢字に限らず、お役所のやることはワンテンポ遅いというか。議論に時間をかけて施行される頃には既に議論のベースとなった社会情勢が変質してるという。
  • 『文化財アーカイブの現場』: やまもも書斎記

    2010-05-04 當山日出夫 このを読んで、考え方が変わった。そう断言できる。文化財のデジタル・アーカイブ、これもなかなか捨てたものではない。いや、この方向に新しい未来がある、そう実感させてくれる。 『文化アーカイブの現場-前夜と現在、そのゆくえ』.福森大二郎.勉誠出版.2010 http://www.bensey.co.jp/book/2225.html そう大部なではないのだが、読むのに時間がかかってしまった。それは、読みながら考え込んでしまったから、である。当に、この考え方でいいのであろうか、しかし、こう考えざるを得ない……このような思いにとらわれながら、考え考えしながら、ようやく読み終えた。 これまでの私の考えを端的にいえば、たかがデジタル複製ではないか、実物の方がいいにきまっている、まあ、このように考えていた。しかし、この考え方が、このを読んで変わってしまった。デジ

    ardarim
    ardarim 2010/05/07
    デジタル化できる文化財はまだいいのかもね。無形文化財とか言語とか、デジタル化できそうもなく且つ消えたら最後のものってどうしたら。
  • 先生との出会い: やまもも書斎記

    2010-04-19 當山日出夫 内田麻理香.『科学との正しい付き合い方』.ディスカバー・トゥエンティワン.2010 http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10479372420.html を、読み始めている。まだ、全部読んでいないのに感想を書くのもどうかなとは思うが、まあ、思ったことを書いてみる。 この、初級編・中級編・上級編とわかれている。初級編でつよく触れられていることの一つが、学校教育(小学校~高校)での、科学との出会い。これをもっと具体的にいえば、どんな先生に、どんなふうに習ったか、ということ。 このことは、自分自身の昔をかえりみて、なるほど、と思う。 誰も、好きこのんで理科(科学)が嫌いになっているのではない。そこには、何かしらの要因がある。また、これはやむをえざることではあるが、現実に、学校教育(高校から大学受験)においては、理系・文系に

  • 電子図書館と知的生産: やまもも書斎記

    2010-03-17 當山日出夫 ようやく、明後日の京大人文研の「東洋学へのコンピュータ利用」セミナーの発表資料を、ととのえた。原稿(論文)の方は、かなり以前に出して(送信して)ある。発表のパワーポイントをつくりながら、まとめのところで考えたこと。 第21回 東洋学へのコンピュータ利用 http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2010.html 電子図書館、デジタルライブラリと言っても、ただ、を読むのが、紙のから、ディスプレイに変わるだけでは、ただ、それだけのことである。そこで、どのような変化が起こるかがとわれる。このとき、いままで、「読む」ということの視点から、主に、電子図書館は考えられてきたように思う。オンライン配信できれば、いつでも、どこでも、読書、ということが可能になる。この観点では、デジタルミュージアムも同様

  • Ustream+Twitterの拓く世界: やまもも書斎記

    2010-03-10 當山日出夫 いま、これを書いている、ちょうど同じ時間帯になるが、東京大学(郷)で、情報処理学会の大会をやっている。そのなかの一つのセッション、 CGMの現在と未来:初音ミク、ニコニコ動画、ピアプロの切り拓いた世界 まず、情報処理学会に、初音ミクに、ニコニコ動画が堂々と登場するのに、ちょっとおどろく。ま、これも、CGMの観点からみれば、取り上げられて当然のながれか。 そして、もうひとつは、このセッションは、Ustreamで実況中継されている。同時に、Twitterでのコメントも同時に見られる。 このようなこと、他の「学会」であるだろうか。私の経験の範囲内で、 Ustream+Twitter というのが、表だって出てきたのは、半年もさかのぼらない。あっというまにひろがってしまった。今では、何かイベント(研究会・シンポジウム)があれば、そのTwitterのハッシュタグがな

  • グーグルへの対抗意識: やまもも書斎記

    2010-03-05 當山日出夫 国会図書館でのシンポジウムとか、あるいは、京大での「文化とコンピューティング」などで、感じたこと。日では、グーグルに対する対抗意識が希薄なのではないか。 いや逆だろう。ヨーロッパの方であると、はっきりと、対グーグルアメリカ)という意識を明確に持っている。自分の国の文化遺産、文化資源は、自らの責任でデジタル化して発信するのだ、という強固な意志を感じる。 これにくらべると日はどうだろう。国会図書館の大規模デジタルライブラリ構想とはいっても、グーグルブックサーチに対抗して、自国の文化遺産(書籍)を、自国の手でデジタル化するのだ、という意識があるか、どうか。どうも、これまでの、グーグルブックサーチをめぐる日での議論は、そういう方向ではないように思えてならない。 それから、この観点から重要なこと。ヨーロッパが、対グーグルということで、自らの文化資源をデジタル

  • 『日本の公文書』: やまもも書斎記

    2010-03-04 當山日出夫 松岡資明.『日の公文書』.ポット出版.2010 http://www.pot.co.jp/books/isbn978-4-7808-0140-8.html ひょっとすると、Europeanaについて、もっとも簡潔に説明してあるは、今の日では、このかもしれない。Europeanaというと、一般的なイメージとしては、デジタル・ミュージアムの方向からかと思う。だが、そうではない、Europeanaは、MLA連携のうえになりたっている。だから、A(アーカイブズ)の方向から見ても、価値がある。 とりあえず目次をざっと紹介すれば、 I 公文書管理法はなぜ、必要なのか II 公文書管理法の成り立ち III 深くて広いアーカイブズの海 IV デジタル化の功罪 V 記録資料を残す意味 VI 記録資料を残すには である。 アーカイブズとは何であるか、という基の解説。

  • デジタルアーカイブという用語のこと: やまもも書斎記

    2010-02-19 當山日出夫 今日は、国立国会図書館で、 ディジタル情報資源の長期保存とディジタルアーカイブの長期利用に関する国際シンポジウム だった。(なまえが長いと入力するだけで、つかれるよ) で、ひとことだけ、感想。 「Digital Archives」と「Digital Preservation」、これは、区別して使用する必要がある。私の聞いていた範囲(同時通訳であるが)では、発表者で海外からの方は、これを区別してつっていたように思える。意図的にであるかどうかはわからないが。 日の場合、いきなり、「デジタルアーカイブ(Digital Archives)」と称してしまったために、いろいろと、アーカイブズ専門の人たちとの間で、いきちがいがあったように、私は思う。詳しくは追ってまた。明日は、別のシンポジウムで、改定常用漢字表の話し。その準備のチェックなど、これから。 當山日出夫(と

  • ARG『412』号の感想: やまもも書斎記

    2010-02-01 當山日出夫 『ARG』の第412号を読んですこしだけ。今回の号の中心はなんといっても、 連載企画:国立国会図書館若手連続インタビュー(1) であろう。ざっと読んでだけれども、やはりキーワードになるのは「知のインフラ」だろう。これをどのような意味でつかうのか、人によってことなるにちがいない。ここで、注目すべきは次のことばかなと思う。 >>>>> インフラたろうとするいい意味での謙虚さがないように思います。 <<<<< これは、特に今の国会図書館のあり方を批判したというよりも、非常にひろい意味で、図書館がいまの我々に何をもたらしてくれているかを考えるうえで、非常に刺激的なことばだと私はうけとめる。 そして、それを実践していくうえで、長尾館長の発言などについて、 >>>>> 館内にもっと討論をする土壌が欲しいです。館長の自説についての討論ももちろんですが、職員が語ることをあ

    ardarim
    ardarim 2010/02/03
    でしゃばり過ぎず、かといって完全に空気でも困る。配分が難しい
  • 『ネットがあれば履歴書はいらない』: やまもも書斎記

    2010-01-22 當山日出夫 佐々木俊尚.『ネットがあれば履歴書はいらない-ウェブ時代のセルフブランディング術-』(宝島社新書).宝島社.2010 宝島社 http://tkj.jp/book/?cd=01748501 これを読んでいろいろ考えることが多い。特に、学生に教える立場としては、である。 まず、このは、「エゴサーチ」のことからはじまる。WEBで自分自身を検索してみることである。そして、その結果が、その人間の「価値」を決める要因の一つになる。 たとえば、次のような指摘。 >>>>> いまのインターネットの流れからすると、プライバシーというのは将来的にはいまよりもずっとゆるやかになり、個人の情報をよりオープンにすることによって、利便性を高めるという方向におそらくは進んでいくということは間違いないだろう。 (中略) インターネット世界と現実は全然異なるとみている人もいるだろう。イ

  • 『群像』の特集:活版印刷の記憶: やまもも書斎記

    2009-11-12 當山日出夫 文芸誌『群像』(講談社)の2009年12月号は、「特集:活版印刷の記憶」となっている。もはや文芸誌など買わない私であるが、この特集号だけは、オンライン書店てすぐに注文して買ってしまってある。(いま、手元にある。) 次号から、オフセット印刷。活版は、今号が最後とのこと。で、確かに触ってみてみると、活版である。ただし、文のみである。広告などは、オフセット。 まず、おどろいたのは、まだ、活版印刷を続けていたのか……ということ。いくら、文芸誌だからといって、作家のみなさんが、全員、原稿用紙に万年筆というわけではあるまいに、ワープロ入稿の原稿は、どのように処理していたのだろう。自動の文選・組版の機械というのはないわけであるし。 しかし、これも時代の流れだろう。もし、活版印刷を維持しようと思っても、その基盤がもはや絶滅している。文選・組版・印刷の技術は、かろうじて残

  • 石川県のカラーユニバーサルデザイン: やまもも書斎記

    2009-10-21 當山日出夫 Twitterからの情報。 石川県のカラーユニバーサルデザインのホームページについての情報。とりあえず、メモがわりに記しておく。 石川県のCUD(カラーユニバーサルデザイン) http://www.irii.jp/staff/home/mmm/cud/guideline.htm 参考 やまもも書斎記 2009年5月9日 『CUDカラーユニバーサルデザイン』 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/05/09/4295485 CUDO(カラーユニバーサルデザイン機構) http://www.cudo.jp/ 當山日出夫(とうやまひでお)

  • デジタル化後の紙の本のゆくえ: やまもも書斎記

    2009-10-02 當山日出夫 国会図書館 カレントアゥエアネス デジタル化した後の紙資料をいつまで保存するべきか http://current.ndl.go.jp/node/14753 一方で、 NY公共図書館のパブリックドメインの50万冊が、オンデマンドのデジタル化可能に http://current.ndl.go.jp/node/14754 グーグルブックサーチでなんだかんだとやっているうち、さて、デジタル化はしたものの、その後の紙のをどうするか、あまり議論されていなかったような。 私の考えとしては、デジタルライブラリになっても、紙のは、残すべきである。いろんな観点がある。そのうちのひとつ。紙のをつくるとき、出版社・編集者は、どの大きさの、どんな紙、どんな活字(フォント)、どんな装丁、これまで考えているはず。これは、が、一種の表現として持っている情報である。これを消しては