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社会と人物に関するbaboocon19820419のブックマーク (4)

  • 宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojima’s blog

    経済学者の宇沢弘文先生が、9月18日に86歳でご逝去された。ご高齢だったので、遠からずこの日がやってくることはわかっていたし、覚悟をしてはいたつもりだけど、喪失感は予想以上のものだった。おととい、朝日新聞から電話取材を受け、ぼくの追悼の談話が昨日(9月27日)の朝刊に掲載された。学習院大の宮川さん、東大の吉川さんと肩を並べ、弟子としての談話を載せることができたのが、喪失感の中でのせめてもの慰めとなった。 この喪失感は、他のすべてのお弟子さんに負けない自信がある。なぜなら、他のお弟子さんたちはすべて、そもそも頭のいい「学問的セレブ」な人たちなので、宇沢先生に出会わなくても、若干専門分野は違っているかもしれないが、間違いなく今の地位を築いただろう。一方、ぼくはといえば、宇沢先生と出会わなければ、経済学を勉強することもなく、研究者になることも大学教員になることもなく、社会の片隅で世をはかなんで拗

  • ぼくが堀江さんを応援する理由(後編) - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    堀江さんは性格が悪いどころか、むしろ尊敬できる人間じゃないかと思い始めたのは彼が逮捕されてあとの話だ。拘置所からもどってきた堀江さんが痩せてスリムになっていたのはともかくとして、人に接する態度がすっかり謙虚になっていたのには驚いた。ほりえもんは逮捕されて人格者になったとその頃、ぼくはまわりに触れ回っていたのを覚えている。やっぱり逮捕されて反省したのだろうと最初は思っていた。 (実際には、堀江さんは、まったく反省していなかった。少なくともぼくが思っていたような意味では。彼は無罪を主張していて、その後、「徹底抗戦」を出版した。) どうも堀江さんは逮捕の以前から自分が認めた相手にはとても謙虚だったらしい。ようするにぼくに対しては・・・まあ、そういうことだ。逮捕後、まわりに残っている人間に対して一様に謙虚になったということなんじゃないかと思う。 逮捕後も相手によっては以前同様の傲岸不遜な態度を示し

    ぼくが堀江さんを応援する理由(後編) - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • ぼくが堀江さんを応援する理由(前編) - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ぼくは堀江氏とは実はそれほど親しくない。事の回数でいえば三回ほどだ。まあ、しかし、ぼくの場合は人見知りなのでたとえば名の通ったITベンチャーの経営者でも名刺交換ですら10人もしていない。だから、三回も会した堀江氏はぼくから見ると、相当に付き合っているほうだ。 最初に堀江さんに会ったのは着ボイスの収録現場だった。堀江さんにいろいろ台詞を喋ってもらって携帯用の着信音にしようという企画だ。当時、近鉄の買収をぶちあげたりした堀江さんはまさに時代の寵児にまつりあげられていた。 こちらが用意した台詞のリストには、「女は金で買える」とか、「必殺、100分割」とか「ぼくホリエモン」とかの言葉が並んでいた。 現場で問題がおこった。ディレクターがこんなリストを堀江さんに見せて喋ってくださいなんて、とても言えないと泣きついてきたのだ。 まあ、言いにくいよね、とは内心おもいつつ、僕はディレクターを叱りつけた。

    ぼくが堀江さんを応援する理由(前編) - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • ピーター・ドラッカー - Wikipedia

    ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、ドイツ語名:ペーター・フェルディナント・ドルッカー 、1909年11月19日 - 2005年11月11日)は、オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人[1]経営学者。「現代経営学」あるいは「マネジメント」(management) の発明者。 他人からは未来学者(フューチャリスト)と呼ばれたこともあったが[注釈 1]、自分では「社会生態学者」を名乗った。義理の叔父に公法学者・国際法学者のハンス・ケルゼン(母方の叔母であるマルガレーテ・ボンディの夫)がいる。 経歴[編集] 父・アドルフ・ドルッカー(ウィーン大学教授)と母・カロリーネ・ボンディの間の子で、ウィーンで裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれる。ドラッカーの自著によれば、父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった[2]。1917年に両

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