という何とも酔狂な会が、桜の膝元で週末に、飲み過ぎながら行われたわけだが、自分の守備範囲をギリギリ外れるようにも感じられたので、時間をかけて、根本から考え直してみた。すると、よく見るフローの恒等式は、特に何も言わないという当たり前の壁に行き着いてしまう。誰かが支払うとき、誰かが受け取るわけだが、なぜ支払ったのか、交換された物やサービスが、どんなふうに魅力的だったのか、それらは今後もつくられ続けるのか、そのために今後どんなふうに投資されるのか、といった問いに「資金繰り」は答えないからだ。 より具体的には、例えば所得収支の意味がさっぱりわからなかったのは、利益とタコ足配当は本質的に区別がつかない。クーポン収入が多いことは、その投資の収益や価値が大きいことを必ずしも意味しないし、配当支払いが小さいことは、その投資の収益や価値が小さいことを必ずしも意味しない。こいつを要するに、資本収支と切り分ける