日本映画のスタジオシステムが崩壊して以降、映画会社の社員になって監督を目指す道は絶たれた。いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主制作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。 そんな日本映画の「青春時代」を自身も自主映画監督である小中和哉が聞き手として振り返る、映画ファン必読のインタビューシリーズ開幕! (全4回の1回目/2回目に続く) ◆◆◆ 8ミリ作家たちはどのように日本映画界を変えていったのか その昔映画監督になるためには、映画会社に就職して助監督になり何年も下積みをするしかなかった。8ミリや16ミリフィルムによる自主映画は作られていたが、その作家たちがプロの映画監督になることはなかった。 その壁を打ち破って『ハウス』(1977)で大林宣彦監督が商業映画デビューし、『オレンジロード急行』(1978)で大森一樹監督が続いた。そして80年代に