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メディアと極東ブログに関するggg123のブックマーク (2)

  • 「地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りました」: 極東ブログ

    先日、ベトナム戦争を扱った映画に関連するタイ語の歌のことを書いた(参照)あと、ぼんやりいろんなことを思っていた。 いくつか小分けにしてブログに書いてもいいんだけど、どうしようかと思っているうちに、なんとなく気が沈んで、書く気力も抜けてしまった。それはそれで自分としてはどうでもいいことではあるんだけど、ベトナム戦争との関連という以外に、開高健についてこのところ考えていて、そこの交点にまた、いろいろなものが集まってくるんだけど、奇妙に心にひっかかることがいくつかあって、あれだよなあ、あれ、と心を探っていた。あれだ。 昭和41年の雑誌『世界』が初出だが、その後昭和56年単行『言葉の落葉 Ⅲ』(参照)に収録されている「解放戦線との交渉を」だった。 昭和56年というのは1981年。私が学部を卒業した年、昭和41年は1966年。 その二年前の1964年、昭和39年に、その10月に東京オリンピックがあ

    ggg123
    ggg123 2014/07/11
    日本は50年間、なんの変化もなかったように見えるのは、その挙動を許す環境があったからだとも言えるだろう/多分、なくても続くのではないか。…(´・_・`)
  • そして女児殺害事件と遠隔操作事件の報道は途絶えた: 極東ブログ

    たぶんこんな疑問を持っている人は少ないと思うが、私は、栃木女児殺害事件PC遠隔操作事件の報道がどのように推移していくか、この間、見つめていた。そして、どうやら、この二事件の報道は途絶えたかに見える。理由は難しくない。他の話題が生まれているし、この件では新しいネタが投下されないからだろう。私は違和感をもっている。 私の読み落としかもしれないが、女児殺害事件について最新の主要な週刊誌で見かけることがなかったのも違和感を強くした。週刊誌の読者層がすでにこの話題に関心をもっていないという理由も当然あるだろうが、その統制されたような沈黙に奇妙な印象を受けている。少なくとも、この事件には、どうやら確たる証拠もなく、冤罪事件と同じ構図があるのにそのことへの言及すらない。 ネットから見渡せる範囲が主になるが、その他の報道でも見かけなくなった。だが、その言わば消灯とも言える前、この事態の前に、逮捕後一週間

    ggg123
    ggg123 2014/06/16
    物証が乏しければ公判の維持は難しいのではと思うけど、裁判員裁判のことを考えると事実と思われる情報をもとに多様な考えを出した上でそれぞれ心証を形成する事は必要なのでは。
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