身体性という言葉を見かけたので、それに言及した本について2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこの本での一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が
46歳のオヤジが言うことじゃないが、世界も宇宙も私という人間の知覚の幻なのではないかと思うことがある。私が死ねば、その意識とともにそれらはすべて崩壊するのではないかと。「我が死後に洪水あれ」と思えるほど、私はこの世界も宇宙も信頼していない。私の死後には世界も宇宙もなくなるのではないだろうか。もちろん、そんなことは常識的にはないのだが、この問題を少年期から今に至るまで問いつめて、そして哲学を学んだ。それでも常識を裏付けることはできなかった。哲学者大森荘蔵のように、世界は宇宙はただひとつだけ存在し私も私という意識も存在しないのだと言ってみたいし、実感してみたい。と、書いてみて、私がそもそも存在せず私の意識とはそのままにして世界であるなら、私の死というものは結局世界の崩壊と同義になる。それでいいのでないか。大森はそう考えていたのだろうか。彼は流れゆく時間もないと言った。つねに意識の今があるばかり
2008年03月01日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Love 志願兵による戦訓 - 書評 - 独身女性の性交哲学 改めて確認した。 独身女性の性交哲学 山口みずか 体で勝ち取った言葉の強さを。 長くて良質の書評はすでに「独身女性の性交哲学 / 山口みずか」として上がっているのでこちらは短めに。 本書「独身女性の性交哲学」は、もの言う売春婦、山口みずかが、愛とセックスの哲学。Philosophy、すなわち「愛知」よりもまさに「哲(さと)り学ぶ」という感じだ。 まえがき 第1章 「恋愛」ってなに? 第2章 「愛」ってなに? 第3章 「セックス」ってなに? 第4章 「欲望」ってなに? 第5章 「幸せ」ってなに? あとがき 引用文献一覧 体で勝ち取った言葉の強さは、風俗嬢ライターには共通して感じる。しかし本書の特徴は、多くの風俗嬢ライターの文章から伝わってくる痛さがほとんどない。同じ(元)売
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