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吉本隆明に関するggg123のブックマーク (18)

  • 吉本隆明が亡くなった: 極東ブログ

    隆明が亡くなった。未明に地震があり、あの震源はどこだったんだろうと思ってテレビの音声を聞いているときに、訃報を聞いた。 まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。 僕は吉さんに個人的に会うことはなかった。知人が吉さんのの編集などをしていたので会うこともできないものでなかったけど、まあいいかと思っていた。自分が若い頃、自暴自棄になって自分の学んだことをすべて放り出したいと思ってプログラマーになって、ヴェイユのひそみもあって工場でファームウエアのアセンブラプログラムとかしているとき、吉さんのの、宮沢賢治に触れたところで、知識人は知性を罪責と思

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    ggg123 2012/03/16
    私が怖いと思ういくつかのことを、説明してくれる誰かが死んでしまったという感じがする。たぶんこれから恩を感じるようになる気がする。
  • 吉本隆明の言う「精神の速度」について: 極東ブログ

    正月ぼんやりとだが、「精神の速度」ということを考えていた。もはや遠く過ぎ去った時代のこととして吉隆明「完 情況への発言」(参照)をつらつらと読んでいるとき、三分冊(参照)の二巻(参照)と三巻(参照)の後書きが、2008年の2月と3月とで同一のテーマとして「精神の速度」だったことに気がついたのが、きっかけだった。 「情況への発言」は分冊の一巻が出たときに購入したが二巻は購入に失した。三巻はすでに宝島「情況へ」(参照)でカバーしていたので、私としてはいずれ二巻分だけ買えばよしとしてたが、完もあってもよいかと思いなおして購入しておいた。 「情況への発言」は吉隆明の同人誌『試行』の巻頭に連載されていた、その時点の政治状況への提言であった。結果として1960年代から1990年代の、あるいは昭和から平成の歴史も兼ねているともいえる。『試行』は直接購読以外に紀伊國屋書店でも販売されていて、私

  • 1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(2) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉隆明1968』を読んでみて思ったこと(2) 吉隆明という思想家は、独特の問題意識を持っているように思います。私の思い込みかもしれませんが、思想家というものは、原理を追求し、倫理を問うてくるものだと思います。もちろん、ここでいう思想家とは、著作が多くの人に読まれ、語りつくされるような思想家ですが、例えば、僕のような一般の人が書くブログにしても同じです。 僕は広告屋で、広告の過去、現在、未来を僕なりに語っています。それはひとつの党派性であり、「僕」という独立した個の中での原理でもあります。そして、その言説は、当然のように倫理を問うてくるものです。問うてくると言っても、その影響力の問題がフィルターとしてあるのですが、そのフィルターを捨象したうえで純化して言えば、僕のブログを読んだ人は、共感か拒絶か、という態度表明を少なからず強い

    1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(2) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(1) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉隆明1968』を読んでみて思ったこと(1) 大学教授でフランス文学者の鹿島茂さん(好き御用達の棚「カシマカスタム」の発案者でもあられます!)が書き下ろした『吉隆明1968(平凡社新書459)』を読みました。ですます調のやわらかい口調で書かれていますが、中身はけっこう重めで、423ページと新書にしてはけっこう長めです。 このは、たぶん私と同じか、それより下の世代の編集者の鹿島さんへの質問がきっかけで書かれたとのことです。 「吉隆明さんって、そんなに偉いんですか?」 もちろん、その質問に対する鹿島さんの答えは「偉いよ、ものすごく偉い」なんですが、その吉さんの「偉さ」を、自身の吉体験をひもとくかたちで解き明かしていこうという見立てで書き綴られていきます。鹿島さんはこう書かれています。 吉隆明を再読するという体験を介

    1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(1) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 冗談じゃねえよ(あるいは吉本隆明さんの道理) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    隆明さんの対談やインタビューを読むと、「冗談じゃねえよ、って思うんですね。」という台詞をよく見かけます。この「冗談じゃねえよ、って思うんですよね。」という一言は、わりと吉さんの考え方の根幹を示しているように思います。そこから気づいたことなどをメモがてらに。 1 吉さんは「道理」で考える人で、道理を超える「正義」みたいなものを徹底的に嫌います。文学者がアメリカの核政策に反対する署名活動を展開したときにも、反核を唱えるなら、その実効性においては、アメリカ・ソ連の両方を名指しで批判するしかあり得ない、冗談じゃねえよ、と。一文学者が単に反核を表明することが、ソ連主導の政治運動に吸収されてしまう活動の構造自体がおかしいじゃねえか、冗談じゃねえよ、と。 吉さんは、上記の運動のような、一部の指導者が大衆を指導する、つまり、その大衆は、その運動がソ連主導の運動に収斂されてしまうかもしれないという

    冗談じゃねえよ(あるいは吉本隆明さんの道理) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2009/03/02
    ぼんやりと思うのは「言葉の根幹は沈黙である」とか「共同幻想は対幻想と逆立する」といった、妙に詩的で物語的なところ。それは原理ではなく倫理なのでは、と思います。
  • miya blog:SSブログ

  • [書評]吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里): 極東ブログ

    今日、NHK教育で22:00~23:29に、ETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)が放映される。いちおう録画予約を入れた。リアルで見ることはないと思うし、予約がこけることもないと思うのだけど、そうだな、ワンセグのほうでもダブルで予約入れておくかな。 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日の言論界を長年リードしてきた吉隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 とういこと。 かなりたぶん、この講演のころ出版された「吉隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉隆明,・糸井重里)」

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    ggg123 2009/01/04
    大衆の原像の声が聞きうるかもしれない/歴史というのは、知ではなく、非・知の側から揺り動く。その言葉にならないものが言葉になろうとしている
  • ETV特集 2009年1月4日(日)吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~

    写真・左、中:2008年7月19日 吉隆明講演会 写真・右:吉さんの自宅にて糸井重里さんとの対談 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日の言論界を長年リードしてきた吉隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 「僕のなんか読んでいない人に、どうやったら分かってもらえるかが勝負です。」 車椅子に乗って登場した吉さんは、2千人を超える聴衆を前に、3時間にわたり休むことなく語り続けた。 詩人にして文芸評論家、そして思想家。文学や芸術だけでなく、政治・経済、国家、宗教、家族や大衆文化まで、人間社会のあらゆる事象

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    ggg123 2008/12/10
    あ。この講演、一日迷っただけでもう取れなかったやつだ。。。ないすNHK^^
  • 筋とか仁義とか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    仁義なき戦いじゃないけれど、すべては、筋とか仁義とかなんじゃないか。そんなことを考えた。合っているか間違っているかはわからないけれど。 気になったので、吉隆明さんのかつての論争を読み直してみると、みごとに吉さん、筋が通らないことを怒っている。大切な人に対して仁義を通そうと、必死になっている。それを下品だという人もいるみたいだけど。福田和也さんが、左翼のあの下品さが嫌なんだと言っていた。左翼、右翼というのはわからないけど、あの吉さんの下品さからは、そんな筋とか仁義を守ろうとする凄みは感じる。 確かに罵倒はあるけど、そこには嘲笑はない。私は、吉さんのそんな風情を、まるで高倉健さんのようだ、なんてことは言わない。そんなに美しいものでもないし。だけど、なぜあそこまで反論し、論駁しようとするのかは、なんとなく分かる気がする。 吉さんの概念では、対幻想がいまいち分からなかった。国家を代表とす

    筋とか仁義とか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 現代思想「吉本隆明 肯定の思想」がすごく面白いです。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    冒頭の67ページにわたるロング・インタビュー(聞き手:高橋順一)だけでも読む価値があると思います。私は吉フォロアですので、たいがいの新刊は買って読むのですが、基的には同じことの繰り返しだったりします。それが悪いかと言えば、吉さんの場合そうではなくて、この人は大切なことは何度でも言うタイプなので、それはそれで面白いのですが、今回のインタビューは違います。 なんか、生々しいんですよね。全学連の同伴者知識人として「一兵卒」として安保闘争に関わっていた頃のこと、丸山眞男、花田清輝、埴谷雄高といった進歩主義的知識人のこと、なぜ吉さんが「転向論」を書いたのか、そんなこんなが、今だから言いますが的な言葉で語られていきます。 有名な論争に、80年代の吉・埴谷論争というものがあります。吉さんが、川久保玲さんのファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」のモデルになって、ファッション雑誌に登場し

    現代思想「吉本隆明 肯定の思想」がすごく面白いです。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    ggg123 2008/08/21
    買うです。
  • 家族のゆくえ - 新・整腸亭日乗

    家族のゆくえ (学芸) 作者: 吉隆明出版社/メーカー: 光文社発売日: 2006/02/23メディア: 単行購入: 2人 クリック: 8回この商品を含むブログ (17件) を見る 吉隆明関係がこのところやたら目につく。多くは、再編集ものや聞き書きなどだが、自ら書き下ろしたはめずらしい。『家族のゆくえ』(光文社、2006.3)は、自らの過去と老齢になった現在から、吉氏にとっての家族観(対幻想)を中心に、娘たち、長女「ハルノ宵子(漫画家)」、次女で著名な「よしもとばなな(作家)」、その家族のありように関心が向く。そして何より、冒頭に太宰の「家庭の幸福は諸悪のもと」ということばの引用から始まっており、吉隆明の思想が平明に語られているだと判断した。 吉隆明×吉ばなな 作者: 吉隆明,吉ばなな出版社/メーカー: ロッキングオン発売日: 1997/02メディア: ペーパーバッ

    家族のゆくえ - 新・整腸亭日乗
  • 吉本隆明と紙おむつ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    隆明さんと糸井重里さんの対談「悪人正機」を読み直しているのですが、またまた驚きがありました。糸井さんは、「ほんとのことを言う人の時間」というタイトルでまえがきを書いています。まさに糸井さんの言う通り、吉さんは「ほんとのことを言う人」だなあ、と思います。 吉さんは、このの中で、この社会の管理機構が容易にあ破れないものであれば、その管理機構というものをどのようにましなものにしていくかを語っています。その答えが、管理機構においては「管理されている者の利益を第一にする」というもの。なるほど、答えとしては相当なもんだなとは思いますが、これだけでは普通の思想家でも言えることかもしれません。 けれども、吉さんが普通の人と違うところは、その答えに至ったきっかけとして語られるもののすごさ。それは、かつての新左翼運動の同伴者としての体験でもなく、吉さんが生涯こだわり続けるスターリニズムの歴史

    吉本隆明と紙おむつ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    ggg123 2008/07/06
    思想はよくわからないし興味あんまりなかったんですが、ほぼ日の対談とかを読んでいて、このひとすごいないいなと思うようになりました。「こういうことなんだな」ってあると思う。例えば私にも。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 日本の子ども 吉本隆明

    1924年生まれ。詩人、文芸評論家、思想家。 東京工業大学電気化学科卒業後、 工場に勤務しながら詩作や評論活動をつづける。 現在に至るまで、幅広い層から支持を受けつづけ、 「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。 著書に『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』 『ハイ・イメージ論』『カール・マルクス』 『悪人正機』『最後の親鸞』『ひきこもれ』 『吉隆明 自著を語る』『真贋』 『日語のゆくえ』など。

    ggg123
    ggg123 2008/05/21
    このひと、はっきり言うよね。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 親鸞 Shinran

    親鸞が洞察して、 最初から仏教の戒律を破っていたことは 現在に生きています。 このほかに、もうひとり、 マルクス (1818~1883 ドイツの哲学者、経済学者。 『資論』『共産党宣言』などを書いた人) の言ったことで いまに生きている考えがあると思います。 それは、 人間が何かを言ったり書いたり 主張したりすると そういう人に、自分のほうもなっちゃうんだ、 ということです。 自分が何かを書いたら、まずは、 例えば屋さんが儲かったとか、 あるいは誰かが感心して、 何かを考えざるを得なくなったりすることが あります。 外界の人たちに対する影響なしに 何かをするということはない。 人間が何かをすると、 しただけの変化が必ず 外界のほうにもあるわけです。 それと同時にね、 主張したり書いたりしたことは、 ちゃんと書いたとおりに、 自分にも同時に、影響があるわけなんです。 それは、必ず、ありま

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    ggg123 2008/03/01
    人間が何かを言ったり書いたりするとそういうふうに自分もなっちゃうよ/はい。わかっております。なんか硬くなっちゃいますよね。
  • 知識的なこのや、年齢的なこともあるけど、まだ私にはその実感はわからないのかもしれない。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    小林秀雄が真正面から居宣長を語り、山七平が小林を語るときに、居論にあえて踏み込まず、橋治はたくみに迂回し、吉隆明は忌避した。語り、踏み込まず、迂回し、忌避するにしても、日語という言語で何かを語るとき、その中心には居がいる。その関係性について、極東ブログ「[書評]小林秀雄の恵み(橋治)」でfinalventさんは書かれています。それは、極東ブログ「[書評]反哲学入門(木田元)」の後段の後期ハイデガーと居についてのつながりについての続編として、私は読みました。 後期ハイデガー問題は、私の理解だと、ゲルマン民族のアイデンティティと哲学のかかわりの中での悲劇でしょうし、小林の居論は、finalventさん曰く「戦後の世界のなかで、昭和という悲劇が殺傷せしめた日人の鎮魂と再生の祈念」として書かれたものなのでしょう。ハイデガーは、仏教などの東洋哲学の影響が言われていたりします。そ

    知識的なこのや、年齢的なこともあるけど、まだ私にはその実感はわからないのかもしれない。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/02/23
    日本人であることの質感みたいのって、外国の人からしか(あるいは外国で長く生活した人とか)見えないものなのかな?それとも意識してないからわからないというか、そのあたり決定的に欠けてるのかな。
  • 存在が先か、言葉が先か。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    人間は、そうそうわかりあえるものではない。そんな、ちょっと悲観的な前提に立ってものごとを考えると、コミュニケーションというものの質が見えてくるように思います。私と君は同じだね、という共感ではなく、これだけ共感をわかちあいつつ、やっぱり私と君は違うという、お互いが非対称な関係であるという冷徹な認識のほうが、人間というものの質を正直に言い表しているように思います。存在の質は、その非対称性にある。そんなテーゼは、さみしいテーゼだけれど、なぜ人間はコミュニケートするのかという答えを導きだすには不可欠なもののように思います。 前回のエントリ(参照)でも最後のほうに書いたけれど、そんなコミュニケーションの不可能性を前提にしながら、なお命懸けでもってコミュニケートしようとする人間というものの不可思議さと滑稽さは、コミュニケーションを生半可にかかげ、生業にしている私にそのまま跳ね返ってくるように思い

    存在が先か、言葉が先か。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

    治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの

    ggg123
    ggg123 2008/02/23
    うたのこころみたいのって、日本人というか日本語使いにしかわからない。その総体みたいなのが宗教的な・・あらかじめ共有されている宗教というか「よきもの」なんだろうな。魂というか。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 2008年吉本隆明

    何時間か意識がなくなったと おっしゃっていましたね。 たしか、ご飯をべ損なったのが よくなかったんですよね?

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