人間は、そうそうわかりあえるものではない。そんな、ちょっと悲観的な前提に立ってものごとを考えると、コミュニケーションというものの本質が見えてくるように思います。私と君は同じだね、という共感ではなく、これだけ共感をわかちあいつつ、やっぱり私と君は違うという、お互いが非対称な関係であるという冷徹な認識のほうが、人間というものの本質を正直に言い表しているように思います。存在の本質は、その非対称性にある。そんなテーゼは、さみしいテーゼだけれど、なぜ人間はコミュニケートするのかという答えを導きだすには不可欠なもののように思います。 前回のエントリ(参照)でも最後のほうに書いたけれど、そんなコミュニケーションの不可能性を前提にしながら、なお命懸けでもってコミュニケートしようとする人間というものの不可思議さと滑稽さは、コミュニケーションを生半可にかかげ、生業にしている私にそのまま跳ね返ってくるように思い