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防災に関するhiruhikoandoのブックマーク (3)

  • 神戸のシステム屋が24年間続けてきたこと - ゆとりずむ

    24年経っても、多くの神戸っ子にとって1月17日は特別な日だ。 もっとも私は、当時小学2年生だったし、被害の軽い神戸市西区に住んでいたので、深い思い出はない。震災当日も呑気に幼馴染と学校へ向かっていたところ、電気が止まってつかなくなった信号のもとで交通整理をしていた教師に「何やっとんねん!はよ帰れ!」と追い返されたくらいだ。延々と続く安否情報に飽き飽きしながらも、少しでも明るく振る舞おうとしてくれた大人たちの姿はぼんやりと記憶に残っている。まだ当時は、当の苦労は知らなかったのだ。 震災のことに関して、むしろ記憶に残っているのは、高校生の時分にインターンシップという名目で遊びに行っていた会社で受け取った「災害対応マニュアル」と書かれた小さな冊子のことだ。 地場のシステム屋が、リクルーティングと宣伝を兼ね社長の気まぐれで夏休みの期間に始めたものだったが、初日に「手の空いたときにでも読んでおい

    神戸のシステム屋が24年間続けてきたこと - ゆとりずむ
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2019/01/18
    新潟の震災でも神戸出身者の方が陣頭指揮を取ったし熊本の地震のときも神戸出身の学生が仲間を助けていたというレポートがあった。受け継がれていくもの。
  • 激流に耐え命救った白い家、胸中にあったのは大震災 - 社会 : 日刊スポーツ

    関東・東北水害で、大きな被害が出た茨城、栃木両県では13日も行方不明者の捜索が続き、新たに男性3人の死亡が確認された。このうち1人は、茨城県常総市が鬼怒川の堤防決壊前に避難指示などを出していなかった三坂町で発見された。同市高杉徹市長は記者会見で「行政上のミスだった」と認めて謝罪した。一方、三坂町の住宅が流される中で、一軒の白い家がそのままの形で残った。ネット上では、頑丈な家が危機的状況にあった近隣住民の命を守ったと話題になった。 常総市三坂町の堤防決壊現場で、周囲の住宅が流されたり半壊する中、1軒の白い家がそのままの形で残った。流れてきた家を受け止め、さらには濁流の中、電柱につかまった男性が助かった要因になったとみられている。電柱は、白い家のすぐ下流に立っており、家により水流も弱まったとインターネットなどでたたえられている。 この様子は、テレビ中継され、ネット上でも「あの白い家はすごい」と

    激流に耐え命救った白い家、胸中にあったのは大震災 - 社会 : 日刊スポーツ
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2015/09/14
    日刊の変換ミスで冤罪発生ではないか。何やってんの?!
  • 津波堤防かさ上げ見直す動き…住民「景観壊す」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災の津波被害を受けた宮城、岩手両県の沿岸自治体で、堤防の高さを当初計画の目安より引き下げる動きが出ている。 景観への配慮のほか、高い堤防に対する住民らの抵抗感などが理由で、自治体は道路のかさ上げや津波避難ビルの整備などで防災機能を補う方針。今後の津波防災の議論に一石を投じそうだ。 国の中央防災会議は昨年、東日大震災クラスの巨大津波は堤防などのハード対策と避難などのソフト対策の組み合わせで対応し、数十年から百数十年に1度の「頻度の高い津波」は堤防などハード対策で防ぐとした。これを受け、国や県などでつくる調整会議が昨秋以降、過去に発生した津波の高さや想定実験などのデータを基に、県や市町村が堤防を復旧整備する際の高さの目安を示した。 日三景の一つ、松島湾に面する宮城県松島町。被災前の堤防は2・1~3・5メートルだったが、当初計画では4・3メートルに引き上げられた。しかし、堤防で景観

    hiruhikoando
    hiruhikoando 2012/04/13
    松島は仕方ないとして他の海岸にもともと景観うんぬんのこだわりがあるとは思えんけど。ただ防波堤が出来てみて海岸がどれほど息苦しい感じになるのかまだ見えないのだが。
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