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武田砂鉄に関するholly_dのブックマーク (1)

  • 「怒り」をどう取り扱うか 匿名社会の鬱憤ばらしにならないように

    「個人の怒り」と憤ばらしの怒り——「空気を読む」「気配に従う」ことへの対抗手段として、繰り返し、個人が怒りを表明し続けることを訴えていらっしゃいます。しかし、怒りも様々で、自分が主体的に抱いた怒りもあれば、誰かの怒りに便乗した怒りもあります。最近起きた、弁護士への大量懲戒請求の問題はどう受け止められましたか? 懲戒請求した人たちに対し、損害賠償請求や刑事告訴などの法的措置がとられるかも、とわかった時の動揺は、やはり、自分の投げる文句が、絶対に自分に返ってこないという前提の下で放たれていたんだなということを明らかにしましたね。 人を批判したり、人にものを言う時は、こちらにもダメージが生じるかもしれないと思いながら書きます。どんな会議であろうが、親との会話であろうが、何かの話題に関して批判的な見解を投げるということは自分に返ってくる覚悟が前提です。 そうか、それすら怖がる人が石を投げていたん

    「怒り」をどう取り扱うか 匿名社会の鬱憤ばらしにならないように
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