この記事は2009年9月18日JANJANに掲載されたのを一部写真など入れ替えております。 「支那人を皆殺しにしてください」と少年少女に言わせる軍国時代 中村大尉事件 今から78年前の昭和6年(1931年)9月18日、旧満州(中国東北部)奉天(瀋陽)の東北約7.5kmの柳条湖で満鉄線路の一部が爆破された。関東軍はこれを口実に張学良軍の駐屯地、北大営を攻撃し始めた。満州事変の勃発である。当時、日本国内では中国軍が攻撃してきたため日本軍が反撃し、衝突が起こったと宣伝されたが、実は関東軍が計画した謀略で、満蒙領有を独自に目指して起こしたものだった。 中村大尉(左)と井杉曹長 筆者所蔵満州事変写真帖より このころ父はまだ小学2年生で政治の事など全く興味がない遊び盛りのやんちゃな少年であった。父が戦前、「義勇軍」に志願して満州に行く話をしていたとき、たまたま満州事変の話になり、「中村大尉事件」を良く