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日本軍に関するinterferobserverのブックマーク (4)

  • 父の15年戦争20.満州事変を見た子供たち - 父の15年戦争 ローシャンのブログ

    この記事は2009年9月18日JANJANに掲載されたのを一部写真など入れ替えております。 「支那人を皆殺しにしてください」と少年少女に言わせる軍国時代 中村大尉事件 今から78年前の昭和6年(1931年)9月18日、旧満州(中国東北部)奉天(瀋陽)の東北約7.5kmの柳条湖で満鉄線路の一部が爆破された。関東軍はこれを口実に張学良軍の駐屯地、北大営を攻撃し始めた。満州事変の勃発である。当時、日国内では中国軍が攻撃してきたため日軍が反撃し、衝突が起こったと宣伝されたが、実は関東軍が計画した謀略で、満蒙領有を独自に目指して起こしたものだった。 中村大尉(左)と井杉曹長 筆者所蔵満州事変写真帖より このころ父はまだ小学2年生で政治の事など全く興味がない遊び盛りのやんちゃな少年であった。父が戦前、「義勇軍」に志願して満州に行く話をしていたとき、たまたま満州事変の話になり、「中村大尉事件」を良く

    父の15年戦争20.満州事変を見た子供たち - 父の15年戦争 ローシャンのブログ
    interferobserver
    interferobserver 2014/01/20
    エリートが権益のために国民に嘘をつく・隠し事をする→それを真に受けて国民が劣化する。明治以降の日本史ってこの繰り返し。
  • 米軍が見た日本軍『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏インタビュー(一ノ瀬 俊也)

    「集団的自衛権」の見直し、首相の靖国参拝など、周辺諸国から「軍国主義化」の懸念も表明され始めた、このところの日。では、「あの戦争」を、70年前の日人はどのように戦ったのだろうか? 『日人と日兵』(講談社現代新書)著者の一ノ瀬俊也氏に、敵であるアメリカ軍の目に映った日兵の赤裸々な姿について話を聞いた。 実は弱かった「日軍」? ――単刀直入に言って、米軍の日軍に対する評価はどうだったのでしょう? 高かったのか、低かったのか? 一ノ瀬 同時代の他国陸軍との比較ということであれば、決して高くありません、というより低いです。当時のヨーロッパにおける陸戦はまず航空部隊が敵の正面から後方まで爆撃し、続いて戦車部隊が前面に出て敵陣を突破、これを後続の歩兵部隊が占領するという機甲戦になっていますが、これに関する日軍の装備・戦術は最後まで日中戦争レベルに過ぎない、という低い評価です。各戦場で相

    米軍が見た日本軍『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏インタビュー(一ノ瀬 俊也)
    interferobserver
    interferobserver 2014/01/17
    利益は一部組織が受け取る、だけど大損害が発生した場合にそれを被るのは国民、という構図。だから損害について合理的な計算を行わないのが彼らにとっての合理的な行動。
  • 元陸軍大隊兵長 雇った中国人の男性に助けられた経験を語る (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    太平洋戦争終了から今年で68年が過ぎた。戦争に行った者は年々減っている。戦地ではどのような光景が展開されたのか。今、彼らの証言を聞いてみる。。 証言者:藤原重人(88) 元陸軍第131師団独立歩兵第596大隊兵長 大正13年生まれ。昭和19年、陸軍第27師団支那駐屯歩兵第2連隊に入隊。中国の九江から重慶に向けて行軍。途中で作戦が頓挫したため第131師団歩兵部隊に転属。楽昌に転進し、行軍中に終戦を迎えた。 * * * 昭和20年2月に始まった行軍はただただ厳しかった。楽昌まで2000km以上に及ぶ道中で補給はほとんどなく、糧や水はすぐに底をついた。 最初こそ手持ちの塩と現地住民の米を物々交換したが、それもなくなるとべ物を強奪し、若い男を人夫として徴発するしかなくなった。 自分も農家の生まれだ。糧を取られ、働き手を奪われる辛さはわかる。でも生きるためにはしょうがない。勘弁し

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    interferobserver 2013/09/16
    無理矢理連れて行くことを当時は「雇う」って言ってたのかな。
  • 大戦末期の日本海軍がどれだけ絶望的な戦いをしていたか艦これ風に分かる画像:ハムスター速報

    TOP > 話題 > 大戦末期の日海軍がどれだけ絶望的な戦いをしていたか艦これ風に分かる画像 Tweet カテゴリ話題 0 :ハムスター2ちゃんねる 2013年9月15日 22:30 ID:hamusoku スリガオ海峡海戦を艦これ風に視覚化してみたんだけど、絶望しか無かった https://twitter.com/nullnullkokuyou/status/379196874495766529 ※画像の雷巡は魚雷艇の代わり レイテ沖海戦 (レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)とは、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン及びフィリピン周辺海域で発生した、日海軍とアメリカ海軍とオーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。日側と連合国側の主攻目標が共にレイテ島(レイテ湾)であったことから、この名が付けら

    大戦末期の日本海軍がどれだけ絶望的な戦いをしていたか艦これ風に分かる画像:ハムスター速報
    interferobserver
    interferobserver 2013/09/16
    政府や軍部の過ちを止めれなかった国民は阿呆。まあ、戦争のことはよく分からんけど。兵役という市民の義務を果たすこと自体は否定しない。
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