「経験のデザイン」について、最近考えていること。メディアを「アイデンティティ」としてとらえる試み。 Ittetsu Matsuoka ‘Untitled’, 2009 「経験のデザイン」における利用者の経験に限らず、動的な事象を静的なフレームで切り取って記述する方法は、複雑化を免れない。さらに深刻なのは、その方法が本来の意図から切断され、狭義を生んでしまうことだろう。 最近そうしたことを避けるために、提供者とそこで運営されるメディアを全部まとめて、その性質を「アイデンティティ」として認識するように心掛けている。 身体の拡張としてのメディア 例えば、「経験のデザイン」において利用者のペルソナが設定されるのは、属性やセグメントを確認するためではない。利用者の「アイデンティティ」に向き合って、最適なコミュニケーションを考えるためである。この方法は、チームの意識を合わせるといった目標がその先にある
作家の値打ちは読者の数で決まるものではありません。しかし、ひとりの作家の作品が45の言語に翻訳され、単に名前が通っているというだけでなく、本当に読まれ、愛され、多くの人を楽しませ、また多くの人を救い、励ましているという事実は、決して無意味ではないでしょう。 毎年、国際交流基金は、学術や芸術などの文化活動を通じ、日本と海外の相互理解に貢献した個人や団体に対して「国際交流基金賞」を授与しています。過去には宮崎駿さん、平山郁夫さん、小沢征爾さんも受賞しています。40回目となる本年2012年の受賞者には、作家の村上春樹さんなどが選ばれました。 本日2012年10月9日、六本木アカデミーヒルズにて授賞式が行われました。記事冒頭の言葉は、村上春樹さんゆかりの人物として登壇した東京大学大学院教授・柴田元幸さんによる村上春樹さん紹介スピーチの一節です。柴田元幸さんと村上春樹さんは『翻訳夜話』などの共著があ
[読了時間:3分] 情報化社会になれば人々を動かす力、社会を動かす力が変化する、という考え方がある。簡単に言ってしまえば、これまでは金銭がモノを言う社会だったが、これからは金銭よりも共感がモノを言う社会になり、多くの人がお金持ちを目指すのではなく、評価される人、信頼される人を目指すようになる、という予測だ。 わたしが最初にこの考え方に触れたのは、情報社会学の権威、公文俊平氏が2004年に出した「情報社会学序説」という本だった。 最近では、岡田斗司夫氏の著書「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」が同様の主張を行なっている。 特に岡田氏の本は、価値観が大きく変わるという部分に焦点を当てている。 確かに価値観は、これまでの貨幣経済社会と、これからの評価経済社会では大きく異なる。貨幣経済社会の中では、経済成長を目指すということが「正しい」という価値観があった。テクノロジーは生活を
フレーミング 「自分の経済学」で幸福を切りとる 著者:タイラー・コーエン 販売元:日経BP社 (2011-07-21) 販売元:Amazon.co.jp ★★★★☆ 原題は”Create Your Own Economy”。この邦題は、私の原著への書評の影響だろうか。イノベーションを生み出すのは、既存のフレーミングを打ち破る「変人」である。元の記事を再掲しておこう。 著者は有名な経済ブログ、Marginal Revolutionの管理人。彼もインターネットの現状について怒るのは、「バカが多すぎる」ということだ。したがって今後のウェブの進化のフロンティアは、下らない情報を排除して必要な情報だけを見るしくみをつくることだろう。私が日常的に見るウェブサイトは、自分のブログと「アゴラ」以外は、RSSリーダー(20ぐらいしか登録してない)とグーグルニュースぐらいで、これで95%の用は足りる。著者も、
2011年07月01日10:34 カテゴリ本 自由主義と個人主義の間 昨今の混乱をきわめた政治を見ていると、日本人には合理的な意思決定は無理なのかなと思ってしまう。これは丸山眞男を初めとして近代の知識人が、くり返し問い続けたテーマである。従来の丸山論では、日本の特殊性を分析する彼の問題意識に賛同する者と、彼が理想化した(実在しない)西洋とひとリ芝居をしていたたけじゃないのという吉本隆明などの批判がある。 本書は、その西洋的理念に二つの要素があったことを指摘する。それは現代でいえば、フリードマンやハイエクのような明るい自由主義と、テイラーやグレイの批判する暗い個人主義の違いともいえようか。前者は論理によって学ぶことのできる普遍的真理で、日本人であっても一定の知性があれば身につけることができるが、後者は特殊キリスト教的な情念で、勉強で身につけることはできない。 西洋人は意識していないが、彼らの
2011年06月19日17:07 カテゴリ本テクニカル カントの「コペルニクス的転回」 原発をめぐる議論が不毛な罵り合いになるのは、推進派と反対派が別の「宗教」で、最初から結論が決まっているからだ。人間が論理的に話し合えばわかるというのは大きな間違いで、人間は最初からもっている先入観を事実で確認するのだ。 カントは、こうした構造は認識に普遍的なものだと考え、本書を形而上学(素朴実在論)の批判として書いた。認識は存在の反映ではなく、認識が存在を作り出すのだ。このコペルニクス的転回の最初はヒュームだが、カントはそれによってニュートン力学の正当性を証明しようとした。 「物自体」は認識できないが、それがどういう状態で存在するかは人間の主観で決まる。ではその主観的な認識は何によって決まるのか。それを決める思考様式を彼は先験的カテゴリーと呼んだ。世界を理解するためにまず必要なのは、このカテゴリーを共有
デスマーチの責任 - 石水氏の責任論への批判 ‐ 石田慈宏 / 記事一覧 私が石水氏の責任論について、批判する主な論点は次の通りです。 ①現在の福島第一原発での事故への対処プロジェクトにおいて、このプロジェクトをデスマーチ化させたのは、政府、であるという点 ②東電の災害時対応マニュアルの想定外の事態が起こった場合、それ以外の対応については政府の責任であるから、政府が直ちに現場の指揮権を奪い、介入すべきであったという点 石水氏の論が成り立つには、政府であれば、今回のプロジェクトのデスマーチ化を充分に阻止可能であったということになる。つまり、現場における対処の具体的なオペレーションの実施状況と全体のリスク評価を誤った、いわゆる政府の誤ったプロジェクトマネジメントがデスマーチを発生させたというわけです。 私は究極の責任は、政府が取るしかないと考えますが、政府が早期に介入してもデスマーチ化
[読了時間:2分] メディアは本来コミュニティであり、コミュニティはメディアになりつつある。そう思ってきた。オンラインコミュニティとメディアは融合する運命にあると思ってきたので、TechWaveのコミュニティ育成にも力を入れていきたいと思っているんだけど、どうやらメディアのコニュニティ化より、オンラインコミュニティのメディア化のほうが早いのかもしれない。 ビジネスパーソンの有力コミュニティLinkedInがニュースサービス「LINKEDIN TODAY」を始めた、と発表した。 LinkedInに参加しているユーザーは、取引先や転職先を見つける、もしくは見つけてもらう目的で参加しているので、当然のことならが実名だし、職歴なども正確に書いてある。写真も履歴書に張り付けるような正面を向いた真面目な写真が多い。mixiで言うところの「マイミク」に当たる「コネクション」も、取引先や実際につきあいのあ
前の記事 「風力発電車」でオーストラリア横断に成功(動画) 心の会計:人はなぜお金を非合理的に使うのか 2011年2月18日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) フィードサイエンス・テクノロジー Jonah Lehrer オーストラリア紙幣。画像はWikimedia 筆者は現在ホテルに滞在しているのだが、ちょうどいま、インターネット接続のために16.95ドルも支払った。通常はホテルでの有料接続は避けていちばん近いスターバックスに行き、コーヒーを飲みながらメールを送信するのだが。しかし、米国のどこにでもあるスターバックスは、残念ながらこの周辺にはなかったのだ。 ホテルのサービス料金は馬鹿高い。もし部屋で朝食を食べることにすれば、紅茶のポット1杯で8ドルだ。ベーコンやトーストを付ければ22ドル。シリアル1杯は12ドルだし、それに税金とチップが付き、部屋へのデリバリー料
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米調査会社NPD Groupは、6歳以上の米国人の20%が過去3ヶ月間にソーシャルゲームをプレーしたことがあるという調査結果を発表した。 このうちソーシャルゲームを始める前はゲームを一切したことがないという人が35%いた。同社のアナリストは、ゲームをしたことがない人までソーシャルゲームならプレーするようになっていることが「ゲーム業界全体に及ぼす影響をゲーム業界は感じ、そして対処しなければならなくなるだろう」と語っている。 ソーシャルゲームは無料でプレーできるが、10%のプレーヤーはバーチャルグッズにお金を払っており、11%は今後払うだろうと答えているという。またこれまでほかのゲームをプレーしてきたユーザーは、ソーシャルゲームを始めたことでゲーム全体のプレー時間が20%少なくなったと答えている。 蛇足:オレはこう思う ソーシャルゲームってほかのゲームと違ってコミュニケーションの1つの手段なん
昨日と今日、都内で"AR Commons Summer Bash 2010"というイベントが開催されています。タイトルから分かるように、AR(拡張現実)の発展・普及を支援するコンソーシアム「ARコモンズ」が主催しているもので、昨日は日本のAR界を牽引する研究者やビジネスパーソンが集合。「いまこの建物に何かあったら日本のARは終わる」などという冗談がまことしやかに飛び交うイベントとなりました。いまそのレポート記事を書かせていただいているのですが、完成までちょっと時間がかかりそうなので、印象に残った部分を少しだけ。 昨日の最後のセッションとして、頓智ドット株式会社CEOの井口尊仁氏、『攻殻機動隊S.A.C.』シリーズや『東のエデン』監督として有名な神山健治氏、そして恋愛シミュレーションゲーム『ラブプラス』プロデューサーの内田明理氏という豪華な顔ぶれでパネルディスカッションが行われました。実はI
みなしごで、養父母の元でみじめな生活をおくるハリー・ポッター少年。彼が寄宿舎学校へ入学することにより、友だちを得て、ダンブルドア校長に代表され、かつ象徴される「社会秩序」にうけ入れられるとともに、実の両親の死の真相という自らの来歴(=アイデンティティー)を知り、仇敵ヴォルデモートとの対決という自らの使命を自覚する。 「ハリー・ポッター」に展開されている人生観や価値観は、イギリスのパブリック・スクールと呼ばれる、私立寄宿舎学校文化に根ざしたものであるといえるでしょう。 イギリスのパブリック・スクールの起源は、家庭で家庭教師を雇うだけの財力がなくなった貴族の子弟のために設立された学校です。要するに「プライヴェート」での教育ができなくなった人たちのための「パブリック」スクールというわけです。 パブリック・スクールは、その発展途上で恣意的にイギリス社会の礎石となることを意図されています。 宿敵フラ
★★★★☆(評者)池田信夫 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 著者:マイケル・サンデル 販売元:早川書房 発売日:2010-05-22 クチコミを見る 鳩山内閣も総辞職は時間の問題になってきたようだが、鳩山首相の提唱した「いのちを守る政治」は、無内容な政治的スローガンとして歴史に残るだろう。彼が「市場原理主義」をきらう気持ちはわからなくもないが、それに対して「人間」とか「いのち」などというベタなヒューマニズムを対置したところで、市場原理を乗り超えられるはずもない。 本書はハーバード大学で最大の履修者を誇る、法哲学の講義をもとにしたものだ。哲学といっても「救命ボートで飢えて死にそうな3人が1人の肉を食べたことは有罪か」といった裁判をもとにして何が正義かを論じるもので、よくも悪くもアメリカ的だ。フランスのポストモダンのような哲学的な深みはないが、きわめて具体的でわか
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