7月10日投開票された参院選で、神奈川選挙区で当選が確実となった自民党の三原じゅん子氏が、同日の選挙特番で「神武天皇は実在の人物」という趣旨のことを話すシーンがあった。
7月10日投開票された参院選で、神奈川選挙区で当選が確実となった自民党の三原じゅん子氏が、同日の選挙特番で「神武天皇は実在の人物」という趣旨のことを話すシーンがあった。
1 :されど書き溜めは無し :2014/11/14(金) 22:09:30.55 ID:FZ9O6y9B0.net 織田信長について、ちょっと独りよがりな持論を展開していくから、暇な人かまってw(ただし書き溜め無し) 信長って言えば第六天魔王の異名がひとり歩きして、魔王っていうゲームのラスボスみたいなイメージだけで悪だとか残忍みたいに言われていますが、じゃぁ第六天魔王って何?って部分に答えられる人ってどれだけ居るんだろうか。 仏教の天界には6つの世界があって、その中の一番下の「欲天」という世界があって、そのからまた6つに世界が分かれていて、その欲天の中の6つの世界の最高位の世界に他化自在天という神が居てそれが第六天魔王で、平たく言うと欲望の神様とされています。 5 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします :2014/11/14(金) 22:11:17.26 ID:jmgEuekM0.
2014年03月02日10:00 江戸幕府が鎖国をした本当の理由は南蛮人共が日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていたのがバレたから Tweet 1: 頭突き(宮城県):2014/03/02(日) 01:05:15.36 ID:HUXj8gwl0 ポルトガル人が日本人を奴隷として売買 ポルトガル人は、それまでアフリカなどで奴隷貿易を営んできましたが、 15世紀にアジアに進出すると東洋貿易を独占し中国人を奴隷として買い込み、 各地に売り飛ばす奴隷貿易を始めました。 日本においては1543年にポルトガル人が初めて種子島に漂着し鉄砲をもたらしましたが、 その数年後から早くも日本人を安く仕入れ、奴隷として海外へ売り飛ばす奴隷貿易が始まりました。? その結果十六世紀の後半には、ポルトガル本国やアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチンにまでも 日本人奴隷は売られるようになり、天正10年(1582年)に ロー
先月26日 靖国神社を参拝した安倍晋三日本総理に対して世界各国からの批判が相次いだ。 その大部分は、第2次世界大戦を起こしたA級戦犯14人が合祀された神社に総理が参拝するのは、東アジアの安定と発展に役立たないという点を指摘していた。 米国国務部はそのような観点で "失望した" という声明を出したし、韓国国会も先月30日 "韓半島を含む東北アジアの平和と安定に対する明確な威嚇になる行為" という決議案を出した。 ‘神社参拝は東北アジアの安定に役立たない。だから愚かなことだ。’恐らくこのような実利的な見解が安倍総理の靖国参拝を眺める平均的な視線ではないかと思う。 しかし神社からA級戦犯が分祀されさえすれば、すべての問題は解決されるのだろうか。 東北アジアの平和と安定に特別な利害関係を持たない異邦人にとってはヤスクニはどうなろうが関係のない問題であろうか。 ここまで考えた時、私たちがヤスクニ問題
「韓国人から感謝されることはあっても、『略奪』呼ばわりするとは、怒りを通り越して空いた口がふさがらない…」 「観世音菩薩坐像」を盗まれた観音寺=長崎県対馬市=の田中節孝・前住職(66)は、こうため息をついた。 伝承によると、この仏像は李氏朝鮮時代、朝鮮半島に吹き荒れた仏教弾圧から逃れるため、対馬に持ち込まれたという。 朝鮮半島では仏教が盛んだった新羅、高麗時代(7~14世紀)に多くの仏像が制作された。だが、14世紀末に李氏朝鮮時代に入ると、一転して儒教が国教となり、仏教は弾圧の対象となった。仏像の没収や破壊が繰り返された。 そんな時代に、交易などで朝鮮半島に渡った日本人が惨状を見かね、仏像を救出するために日本に持ち帰った。古来、日本と朝鮮半島を結ぶ交易の中継点だった対馬には、その仏像が多く残されている-。田中氏はこう指摘した。 実際、対馬市教育委員会文化財課によると、対馬の寺社には新羅、高
(1) 統一教会(正式名称は世界基督教統一神霊協会)の文鮮明教祖が9月3日に92歳で亡くなった。私は四半世紀を超えて統一教会と闘ってきた。拉致問題解決に取り組むひとりとして、文鮮明氏が朝鮮戦争の動乱をきっかけに北朝鮮から韓国に移動し、そこで宗教団体を設立、反共産主義の立場から行動しつつ、生地(平安北道定州)に郷愁を覚えていたことに、南北朝鮮に生きる人たちの歴史の重みを感じている。 (2) 1954年に韓国で設立された統一教会は「混淫教」の流れをくみ、当初からスキャンダルにまみれていた。教祖の女性問題などが社会問題となったからである。密入国した信者が日本で布教をはじめ教団が設立されたのは1959年。東京都の認証をえて宗教法人となったのは1964年。そのころから強引な布教とマインドコントロールで社会問題となっていく。「親泣かせの原理運動」と報じられたのは1965年である。 (3)
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