「当時の中国人には、色とかスタイルの感覚がなかった。みんな黒か白、灰色、紺色の服を着ていた。軍服を着ている人もいた。私はふつうの人たちにファッション感覚を与えたかった。水着のショーもやったよ。女の子たちは最初、そんなのふしだらだと言って、モデルになるのを嫌がった。でも、私は強烈にプッシュした」。 王は49歳のとき、北京に引っ越した。中国の文化の中心地に住みたくて仕方がなかったのだ。目指すは「生ける彫刻」になること。それにおカネも必要だった。 体を鍛え始めたのはそれからだ。半裸か金属塗料を塗った体で、ロダンやカミーユ・クローデルの彫刻作品と「共演」できるくらいになりたかったのだ。これは王の妻・趙愛娟のアイデアだ。2人は結婚して48年になる。 1993年、王は北京で初めてファッションショーを企画したが、当局にセクシーすぎると目をつけられ、公共の場でのパフォーマンスは禁止されてしまった(しかしア